「シークレット・オブ・モンスター」(2015米)ジャンルサスペンス・ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) 第一次世界大戦末期の1918年。少年プレスコットはアメリカ政府高官の父と母と一緒にフランスへやってきた。父はヴェルサイユ条約締結を前に仕事に明け暮れ、母は厳しい躾でプレスコットを縛り付けていた。孤独に耐えかねたプレスコットは、ある夜教会に投石してしまう。その後も、プレスコットはたびたび癇癪を起こして周囲を当惑させていく。
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(レビュー) プレスコットという少年が独裁者になっていく物語。
冒頭で第一次世界大戦の記録映像が出てくるので実話の映画化かと思いきや、そうではない。ラストで架空の物語だったということが分かり、なんだか釈然としない思いが残った。
しかし、逆にこれを寓話として捉えるならば”あり”と思えてくる。この映画は誰か特定の人間のドラマではなく、普遍的な意味での独裁者誕生のドラマだ…と解釈すればスッキリとする。
プレスコットは両親の愛を受けられず、不慣れな土地で孤独な青春時代を送っている。唯一心を許せるのが屋敷に長年仕えてきた中年の給仕である。しかし、彼女も母から不当に解雇されてしまい、プレスコットは完全に心を閉ざしてしまう。
彼が置かれている立場は完全に牢獄の囚人のようであり、これでは心が病んでしまうのも無理はない…そう思えた。
映画はひたすらプレスコットの視座で、彼の孤独と怒り、寂しさを描いていく。終始、閉塞感と圧迫感に包まれた映画なので観ていて疲れる作品かもしれない。
しかも、本作は決して分かりやすい映画とは言えない。プレスコットは不満や孤独を口に出して言うわけではなく、その心情は観る方が想像するほかないからだ。彼の心の闇がこちら側に伝わってくるような親切な作りにはなっていない。
したがって、彼が独裁者(モンスター)になっていくラストにも今一つピンとこなかった。
これが
「ジョーカー」(2019米)のような明快な作りだったら、観ている方としても気持ちを持っていかれるだろう。しかし、この映画はプレスコットの置かれている”状況”しか描いていないため感情移入するまでに至らなかった。
監督はこれが初演出となるブラディ・コーベット。
後で調べて分かったが、彼は
「メランコリア」(デンマークスウェーデン仏独)や
「マーサ、あるいはマーシー・レイ」(2011米)等に出演していた俳優である。
おそらく本業は俳優なのだろうが、監督としても中々面白い存在だと思った。オカルトチックでシュールな雰囲気を漂わせた独特のタッチに惹きつけられる。
例えば、プレスコットが見る悪夢はまるでホラー映画のような薄暗いトーンで占められている。本作は決してホラージャンルの映画ではないのだが、これらのシーンに関して言えば完全にホラーである。
あるいは、プレスコットの主観で捉えたカットがたびたび登場してくるのだが、これも実にシュールだった。
若い女性家庭教師のブラウスから透ける乳首のカットは、思春期特有のエロ目線で捉えたものであるが、逆に言えば無垢な少年を魅了する大人の女性の無意識な魔性が感じられる。
遠くの田園に”何か”を見つけた後に、その”何か”からの主観カットに切り替わる演出もユニークだった。普通の映画であればその”何か”の正体がハッキリと開示されるだろうが、本作は謎のままである。観ているこちらは得体のしれぬ不安に駆られるほかない。
音楽も独特な不気味さがあった。担当したのはスコット・ウォーカー。
彼は元々はウォーカー・ブラザーズというバンドで活動していたミュージシャンで、映画音楽はこれまでL・カラックスの「ポーラX」(1999仏独日)を務めたのみである。電子音を駆使した不穏なサウンドが特徴的で、これが作品に異様な雰囲気を醸している。
尚、コーベット監督とウォーカーはN・ポートマン主演の「ポップスター」(2018米)という作品でもコンビを組んでいる。日本では今年の4月に劇場公開予定ということだ。そして、残念ながらスコット・ウォーカーは2019年に他界してしまった。
「ハクソー・リッジ」(2016豪米)ジャンル戦争・ジャンルアクション
(あらすじ) アメリカの田舎町で育ったデズモンド・ドスは、看護師のドロシーと恋に落ちるも、激化する第2次世界大戦に心を痛め、衛生兵になるべく陸軍に志願した。しかし、自らの信条に従って銃に触れることを拒絶した彼は、上官や他の兵士たちから執拗ないやがらせを受けるようになる。
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(レビュー) 実在の人物デズモンド・ドスの半生を激しい戦場シーンを交えて描いた戦争映画。
監督は俳優としても数々の作品に出演しているハリウッド・スター、メル・ギブソン。
過去に「ブレイブハート」(1995米)や
「アポカリプト」(2006米)といった過激なアクション大作を撮ってきたこともあり、今回も戦闘シーンは凄まじい。
舞台となるのは沖縄戦線である。銃弾に倒れ、血しぶきを上げ、肉片が飛び散り、これでもかと言わんばかりの人体破壊描写が戦場の恐怖を観る側に突きつけてくる。いかにもメルらしいマッチョでタフな演出が今回も際立っていた。
そして、死屍累々と化した戦場の中で決死の救出に乗り出すドスの行動も凄まじい。
取り残された負傷兵を一人助けると、再び戻ってまた一人助ける。銃も持たずにこの行為を延々と繰り返す、その姿はどこか狂気をも滲ませる。このストイックな宗教観には、もちろん敬虔なカトリック信者であるメル・ギブソンの信条が投影されていることは間違いない。彼は過去にキリストの受難を描いた「パッション」(2004米伊)という問題作も撮ったことがある。
このように本作におけるドスというキャラクターは、ただの一兵士という意味合いだけでは捉えきれない意味が込められている。例えるなら、それは兵士たちの魂を救済する『天使』のようでもある。
現に過酷な救出劇をやり遂げた彼は、最後にタンカに乗せられて帰還する。その時、彼の身体には太陽の光が降り注ぐ。まるで神の祝福を受けているかのように見えた。
正直、映画自体の作りは前半が平板で退屈に思えた。実在する人間を描くので仕方がない面もあるが、余り思い切った脚色ができないのは如何ともしがたい。
しかし、実際にドスが戦場へと赴く中盤以降は俄然面白くなっていく。彼と戦友たちのやり取りや鬼上官との関係が、物語に幅を持たせるようになり映画を徐々に面白く見せていくようになる。
キャストでは、ドスの鬼気迫る姿を熱演して見せたA・ガーフィールドが素晴らしかった。何かに取りつかれたかのようなその姿は、もはや狂信的演技と言っても良いだろう。
「タイガーランド」(2000米)ジャンル戦争・ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) 1971年、ベトナム戦争が泥沼化する中、新兵たちは“タイガーランド”と呼ばれる地で一週間におよぶ実戦さながらの訓練をすることになった。そこに反戦を公然と口にする新兵ボズがやってくる。兵隊としての能力は一流だったが、上官からは問題児扱いされる。そんなボズに同じ部隊のウィルソンも反感を覚えるのだが…。
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(レビュー) ベトナム戦争に送り出される新兵たちの過酷な訓練の日々を描いた戦争青春映画。
アウトロー然としたボズがこの映画をとても魅力的なものにしている。
堂々と反戦を主張したり、横暴な教官に反抗したり、軍に縛られて生きる不幸な仲間をあの手この手を使って除隊させたり等々。規律を重んじる軍隊では明らかに異端であり、当然上官からも目を付けられる。
ボズの反戦思考、反体制的な態度には当時のフラワー・ムーブメントの潮流が見て取れる。戦争の中で『反戦』を訴える映画は数多く作られているが、本作はベトナム戦争真っただ中という時代設定が一つの妙味となっている。
こうしてボズは何度も規律を乱して懲罰を受ける。しかし、それでも彼は自分のスタイルを決して曲げたりしない。それはまるで
「暴力脱獄」(1967米)におけるポール・ニューマンのようであり、実にタフなアウトローで魅力的だった。
同期のウィルソンも、そんな彼に最初は反感を覚えるが、苦しい訓練生活を共に掻い潜るうちに彼のスタイルに感化され、その人間性に触れることで友情を芽生えさせていく。このあたりの人間ドラマも中々面白かった。
さらに言えば、本作は何と言ってもラストが痺れる。ウィルソンの目線で描かれるこのラストは、実に郷愁的なテイストで涙を誘うのだが、同時に爽快感も覚える。流石にノートのクダリは臭すぎという気がしなくもないが、素晴らしいエンディングだった。
監督はJ・シューマカー。様々なジャンルを撮る職人気質な監督である。重厚さには欠けるが軽快な演出が持ち前のベテラン監督で、本作も最後までダレることなく上手くまとめていると思った。
特に、クライマックスシーンのサスペンスタッチは印象に残る。決して派手な銃撃戦ではないが、ボズと彼を敵対視する兵士の模擬戦闘を実戦さながらのスリリングさで表現している。
また、本作はカメラも特徴的である。撮影監督を務めたのはM・リヴァティーク。彼の特徴はクローズアップの多用である。緊張感を引き出す上では、この撮影スタイルは功を奏していた。
尚、シューマカー監督とは「フォーン・ブース」(2002米)でもコンビを組んでおり、これも電話ボックスという限られた空間をドキュメンタルに活写することで上手くスリルを作り上げていた。
キャストでは、ボズ役を演じたコリン・ファレルの好演が印象に残った。荒んだ表情の中に一瞬の柔和さを表出させたあたりに生来のスター性を感じる。
また、M・シャノンが1シーンだけ出演している。拷問好きなサディスクティックな教官という役所で、やはりこちらも1シーンながら強烈な印象を残していた。
「1917 命をかけた伝令」(2019米)ジャンル戦争・ジャンルアクション
(あらすじ) 第一次世界大戦真っ只中の1917年。西部戦線ではドイツ軍の後退が始まり、イギリス軍はこれを好機と、追撃に乗り出そうとしていた。しかし、これはドイツ軍の罠だった。若い兵士スコフィールドとブレイクに、翌朝までに作戦中止の命令を届けるよう指令が下る。二人は早速、死屍累々と化した戦場へ足を踏み入れていくのだが…。
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(レビュー) 作戦中止の伝令を届けるために過酷な戦場を駆け抜ける兵士たちの物語。
何と言っても、本作の見所は映像である。疑似ワンショットで紡いで臨場感タップリに描いたカメラワークが素晴らしい。
こうした全編1カットの撮影は、本作が初めてというわけではない。過去にはヒッチコックの「ロープ」(1948米)、オスカーも受賞したイニャリトゥの
「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」(2014米)、若者の一夜の凶行をエネルギッシュに描いた
「ヴィクトリア」(2015独)、悲劇の銃乱射事件を描いた実録劇
「ウトヤ島、7月22日」(2018ノルウェー)等がある。この中で本当の意味での全編1カット撮影は「ヴィクトリア」だけであるが、その他はCGやトリック撮影で1カットに見せた、いわゆる疑似1カット映画であるし、「ウトヤ島~」は島に入ってからが1カット撮影である。
観ていれば分かるのだが、本作も明らかに途中でカメラを切り替えている個所がある。昼間から夜に切り替わる場面などはそうである。したがって、全編1カットという宣伝文句は間違っている。
しかし、だとしても戦場を舞台に多くのエキストラ(一説には500人とも言われている)を使った派手なアクションシーンを交えて描ているという点においては、比類なき疑似1カット映画になっていることは間違いない。他の作品とは比べ物にならないくらい多くの手間暇をかけた大作である。
撮影監督はロジャー・ディーキンス。もはや説明要らずの名手であるが、2年前の
「ブレードランナー2049」(2017米)に続き、本作で見事に2度目のアカデミー賞の撮影賞を受賞した。この他にも多くの賞を受賞している。
ここまで計算されつくされたタイミングで大仕掛けの撮影を敢行した所が高く評価されたのだろう。納得の受賞である。
物語は実にシンプルである。言ってしまえば、「走れメロス」のような命をかけたマラソンである。二人の若い兵士が出てきて戦場を駆け抜けるのだが、中盤でポイントとなる事件が起こり、そこからドラマが中々熱いものとなっていく。登場人物もスッキリしているし複雑なエピソードもないので素直に入り込める。
ただ、主人公の一人スコフィールドは、中盤以降かなりヒロイックな活躍を見せている。敵の銃弾を掻い潜りながら逃走する姿は、あまりリアリティがあるとは言えない。映画としてのアクション的な面白みが無くなってしまうので、そうせざるを得ないというのは分かるが、もう少し抑え目な演出にしたほうが良かったのではないかと思う。
しかし、そうはいってもスコフィールドは決してマッチョタイプのスーパーマンではない。どこにでもいる普通の青年で、むしろ戦場には不似合いなほど心優しい男で、逆にそれが仇となりピンチに陥ってしまうことがままある。そんな彼に観ているこちらは自然と共感を覚えてしまうのも事実で、ドラマの芯を成すには十分の造形である。
監督、共同脚本はサム・メンデス。メンデスは元々舞台劇の演出家である。疑似1カットでリアルタイムで進行する映画に挑戦しようとしたのは、舞台劇を手掛けてきた彼ならではの一つの挑戦だったのだろう。そして、名手ディーキンスのおかげで、その賭けは見事に成功したと言える。
切迫した状況が続くため演出は非常にタイトにまとめ上げられている。ただ、野花の画面配置やミルクの伏線と回収等、気を利かせた演出がそこかしこに見られ一定の味わいも感じられた。このあたりはベテラン監督ならではの面目躍如である。
尚、映画の最後にメンデス監督の祖父への献辞が述べられている。彼は実際に西部戦線で伝令をしていたということで、本作のインスピレーションの元になっているということである。
今年のアカデミー賞は「パラサイト」が作品賞、監督賞、脚本賞、インターナショナル作品賞を受賞。外国語映画で作品賞を受賞するという快挙を成し遂げました。かつてアカデミー会員はアメリカの白人が多数を占めていましたが、最近は会員規模がグローバル化しており、今回の受賞はその表れのように感じました。
さて、個人的に去年観た映画ベスト10を挙げたいと思います。去年劇場で観たのは33本。尚、ここ最近は実写邦画まで手が回らない状態が続いているのでその点はご容赦を。
1.ジョーカー2.グリーンブック3.サタンタンゴ4.存在のない子供たち5.ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド6.判決、ふたつの希望7.マリッジ・ストーリー8.THE GUILTY/ギルティ9.ウトヤ島、7月22日10.CLIMAX クライマックス作品賞:「ジョーカー」
監督賞:タル・ベーラ(「サタンタンゴ」)
脚本賞:ピーター・ファレリー、ニック・ヴァレロンガ、ブライアン・カリー(「グリーンブック」)
男優賞:フォアキン・フェニックス(「ジョーカー」)
女優賞:スカーレット・ヨハンソン(「マリッジ・ストーリー」)
「サタンタンゴ」は旧作ですが、映画体験として余りにも新鮮だったので忘れらない1本としてベスト10に入れました。
1~3位は僅差。4~6位、7~10位は順不同。
ジャンル俺アカデミー賞
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「SING/シング」(2016米)ジャンルアニメ・ジャンル音楽・ジャンルコメディ:ジャンルファンタジー
(あらすじ) コアラのバスター・ムーンは潰れかけた劇場の支配人。かつての賑わいを取り戻そうと、歌のオーディションを開催する。ところが、募集チラシに間違った賞金額を書いてしまったことで多数の応募者が殺到してしまう。その中には、あがり症の内気なゾウのミーナやパンクロックを愛するヤマアラシの少女アッシュ、ギャング団のボスを父に持つゴリラの青年ジョニーら、様々な動物がいた。
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(レビュー) 潰れかけた劇場を再興しようと悪戦苦闘する動物たちの姿をヒットナンバーに乗せて描いたアニメーション作品。
ポップスやロック、フォーク、カントリー、ジャズ、オペラ。様々な音楽がバックに流れる。どれも聴いたことがある有名な曲ばかりで、ある種大衆向け音楽映画として奇をてらうことなく作った所に好感を持てた。
多種多様な動物たちが、夫々に声高らかに歌い上げる姿にも勇気を覚える。
本作を製作したのは「怪盗グルー」シリーズを手掛けたイルミネーション・エンターテインメントというスタジオである。ディズニーでも動物たちの世界を描いた
「ズートピア」(2016米)という作品があったが、奇しくも本作も同年に製作された作品である。
「ズートピア」は風刺を含めたメッセージ性の強い作品だったが、こちらは思想性は皆無である。純粋にエンタメに傾倒した作りで、そこは物足りないと感じる人がいるかもしれない。しかし、紋切的ながら率直にドラマに重点を置いた作りは大変親しみやすく、個人的には最後まで楽しく観ることができた。
物語は夫々のキャラクターに葛藤を持たせた群像劇になっている。
内気なゾウのミーナは自分の殻を打ち破り、ヤマアラシのアッシュは元相棒を見返すようなパワフルなロックを響かせ、ゴリラのジョニーは父との情愛を浪花節的な展開に乗せて見事に歌い上げている。他にも大家族の主婦をしているブタのロジータ、サックスを吹きながら伊達男を気取るネズミのマイクといった多彩なキャラが場を賑わしている。クライマックスのコンサートではそれぞれに見せ場が用意されている。
また、5人組のアライグマが出てきてムーンの前で売り込むのだが、こちらは日本人のアイドルグループを投影しているようだ。きゃりーぱみゅぱみゅの歌を歌っている。
劇場の支配人コアラのムーンは、如何にも山師らしいずる賢さがあり、これも中々面白い。劇場が文字通り崩壊した後の彼の改心は本作の一つの見所と言えよう。
ただ、流石にここまで上手く作られてしまうと、余りにもご都合主義という感じは拭えない。
一番気になったのは、落ちぶれたムーンの元にみんなが一斉に戻ってくるクダリである。嘘の賞金額で自分たちを騙していた彼をそんなに簡単に許せるだろうか?あまりにも人が良すぎると思った。
映像のクオリティは文句なし。動物たちの活き活きとしたダンスシーンは楽しいし、劇場が崩壊するシーンには破壊のカタルシスが感じられた。そして、何と言ってもクライマックスのコンサートシーンの盛り上がりである。音楽の力も相まって何倍にも迫力が感じられた。
改めて音楽映画の”力”を実感させてくれるような作品である。
「ヒックとドラゴン2」(2014米)ジャンルアニメ・ジャンルファンタジー・ジャンルアクション
(あらすじ) ドラゴンと人間が共存するバーク島では、賑やかなドラゴンレースが開催されていた。レースに参加しないヒックは、ドラゴンのトゥースに乗って地図にない場所を求め探検へ出かける。そこで巨大なドラゴンを操る集団に遭遇する。彼らはバーク島を狙っていると言うが…。
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(レビュー) バイキングの少年とドラゴンの友情を描いたファンタジー・アニメ
「ヒックとドラゴン」(2010米)の続編。
前作も傑作だったが、この続編も期待を裏切らぬ内容で中々面白い。
実は、この続編の前にテレビシリーズが作られているということを後で知った。自分は未見であるが、どうやら前作との間をつなぐエピソードになっているらしい。ただ、テレビを観ていなくても、すんなり今回のドラマに入り込むことができた。映画の第1作を観ておけば特に問題なく楽しむことができるように思う。
今回の話のメインとなるのはヒックの家族である。前作に続きヒックとトゥースの友情も描かれるが、それ以上にヒックと父、そして母との関係が大きく取り上げられている。特に、母親の登場は今回の新味だろう。
ただし、ドラマ的にもう少し捻りが欲しいという気はした。母親にもっと何か裏の秘密でもあるのではないかと想像したのだが、思いのほかシンプルである。一番物足りなかったのは、彼女が島を出て行った理由が今一つ説得力に欠けることである。一応、彼女自身の口から説明されているが、随分とアッサリとしている。観客に分かりやすいようにしたのかもしれないが、もう少し葛藤を掘り下げて欲しかった。
今回の適役はドラゴンを人間を服従させようとするドラゴというバイキングである。彼は巨大なドラゴン、ワイルダービーストを操ってバーク島に攻め入ってくる。ドラゴンに対して好戦的なドラゴ。ドラゴンと共存関係を保とうとするヒック。陰と陽にはっきりと分かれたクライマックスの戦いは映像的にも迫力十分で非常に面白く観ることができた。寛容と融和というテーマも普遍的で良い。
また、何かを得るためには何かを失うというのは前作の大きなトピックだったと思うが、今回もそのことは引き継がれている。ヒックはクライマックスの戦いで大切なモノを失ってしまう。前回同様、臆せず描いた製作サイドの勇気には拍手を送りたい。
もっとも、その悲しみを一気に吹き払うように陽気に締めくくるのには違和感を覚えたが…。なんだかカラ元気のような感じで今一つ乗り切れなかった。
ユーモアも前作同様、ふんだんに盛り込まれていて良かった。新キャラも良い味を出していたし、トゥースがヒックの前で見せる愛らしい表情も心和む。
映像も前作同様素晴らしかった。なんといっても本シリーズの見所と言えば飛翔シーンであろう。オープニングのドラゴンレースからしてアトラクションとしての迫力は十分。本作は残念ながらビデオスルーになってしまったが、できれば大きな画面でこの興奮を味わいたかった。おそらく3Dとの相性も抜群だろう。
特に、中盤でドラゴンの大軍を引き連れたヒックと母が飛翔するシーンは白眉の出来栄えである。まるでダンスでもしてるかのように母親がドラゴンからドラゴンへと優雅に飛び乗り、壮大なミュージカルシーンでも見てるかのような感動が味わえた。
幼児の時間旅行をファンタジックに描いた作品。
「未来のミライ」(2018日)ジャンルアニメ・ジャンルファンタジー
(あらすじ) ある日、甘えん坊の男の子“くんちゃん”に初めての妹“ミライちゃん”ができる。それまで両親の愛情を独占してきたくんちゃんは面白くなかった。そんな時、庭でセーラー服の少女と出会う。彼女はなんと、未来からやってきたミライちゃんだった。
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(レビュー) 甘えん坊の男児が未来からやってきた妹と不思議な体験をしていくファンタジーアニメ。
くんちゃんは甘えん坊な4歳の男児である。よくある話だが、この年頃の子供は弟や妹ができると急に我儘になったり、嫉妬をして弟や妹に意地悪をして、母親の愛情を独占しようとしたがるものである。そのあたりの幼児の心理を本作は実に丁寧に描いている。
自分の知る限り、ここまで幼児の心理を細かに分析したアニメは他にないような気がする。他の人が中々手を出さない題材ということで言えば、本作は実に稀有な作品であり、それだけでもかなり意義のあるアニメーションになっていると思う。
見所は何といっても、丁寧に描写されたくんちゃんの所作である。尻もちをつくにしても、走り方にしても、駄々のこね方にしても、ここまでこだわって作画されたアニメは他にないだろう。
そして、単にリアルに描くだけではなく、そこにはきちんとアニメならではのケレンミも加味されている。例えば、くんちゃんがペットの犬の真似をするシーンなどは、ユーモラスなファンタジー表現を交えながら表現されている。実写では到底不可能なコミカルで大仰な動きが、観てて微笑ましく感じられた。
原作・監督・脚本は細田守。
ここまで幼児の生態を細かく観察していることに驚かされる。彼は以前
「おおかみこどもの雨と雪」(2012日)で、オオカミと人間の間に生まれた子供の物語を描いていた。あれも本質的には育児アニメみたいなところがあって、子供たちの生態が丁寧に作り込まれていて感心させられたものである。こうした作品歴を考えれば、今回のリアリティのある、くんちゃんの所作表現がその延長線上にあることは合点がいく。
日常描写が大半を占めるので地味な作品であることに違いないが、細かなところまで丁寧に作りこまれた作画は画面のクオリティを支えていて、終始面白く観ることができる映画になっている。
ただし、本作には致命的な失敗があると思う。それは、くんちゃんの声優である。残念ながら完全にミスキャストという気がした。声質が太くて、とても幼児の声には聞こえなかった。
後で調べて分かったが、演じたのは東宝シンデレラオーディンションでグランプリに輝いた子らしく、本作が製作された当時は高校性だったということである。映像は素晴らしいのだが、この声のせいで本作は大分損をしている感じがした。
また、シナリオに関しても色々と難がある。
まず、タイトルにもなっているミライだが、実は本作は彼女の物語ではない。くんちゃんが主人公であり、ミライはあくまでキーパーソンに過ぎない。
そして、キーパーソンは、この物語にもう一人いる。それは、くんちゃんの、ひいじいじである。実は彼がくんちゃんの成長に一つの糧をもたらす。どちらかと言うと、妹のミライよりもひいじいじの方がくんちゃんの成長を促すという点では重要な役割を担っており、これではタイトルが完全にミスリードしているとしか思えない。したがって、鑑賞後に肩透かしを食らった気分になった。
もう一つ気になったのは、庭に立つ木をきっかけにタイムワープする方法である。日常の中に突如現れた非日常というファンタジックな仕掛けは大変いいのだが、その入り方が全て偶然というのがいただけない。2度目はいいと思うのだが、さすがに3度目はいくら何でもご都合主義すぎるだろう。ここは別の入り方にするなど、変化が欲しかった。例えば、くんちゃんが自らの意志で時空の扉を開くというくらいのケレンミと臨機応変さがあっても良かったように思う。その方が彼の成長の表明にもなるはずである。
一方で、昔の母のエピソードやひいじいじのエピソードなどにはしみじみとさせられた。
「時をかける少女」(2006日)、
「サマーウォーズ」(2009日)、
「バケモノの子」(2015日)等、毎回新作を作るたびに注目される細田作品であるが、今作は巷での評判は余り良くなかったと記憶している。確かに今回は主人公が幼児という、およそ観客の共感を得にくいキャラクターなので、その時点で好き嫌いがハッキリと分かれるのは仕方がない。細田監督も、そのあたりは最初から覚悟してこの題材に挑んだのだろう。言わば万人受けせずとも、自分の描きたいテーマを優先させたのだと思う。
自分もくんちゃんの横暴とも言える行動に決して共感を覚えることはできなかった。実際の幼児はこういうものだろうな、という客観的目線で観ることしかできなかった。
とはいえ、今や日本を代表するアニメーション作家になった細田守である。その彼がここまで自分の作家としての”エゴ”を押し出したところは評価してもいいのではないだろうか。少なくとも大衆に迎合することが重要とされる産業映画界において、自らの創作を貫いたのだから、その姿勢は讃えるべきではないかと思う。