莫大な遺産を巡るサスペンス。
「からみ合い」(1962日)ジャンルサスペンス
(あらすじ) 大企業の社長・専造は胃癌で余命3か月を宣告をされる。遺産を後継者に残そうとするが、彼には3人の隠し子がいた。彼らが今どこにいるのかは分からない。そこで専造は顧問弁護士に彼らを探し出してくれと相談する。妻の里枝は当然これが気に入らなく、秘書課長・藤井と結託して全遺産を我が物にしようとした。また、顧問弁護士古川も自分のキャリアアップを目論んで動き出した。更に、そこに専造の専属秘書・やす子も巻き込まれていく。こうして莫大な遺産を巡って様々な人間が暗躍していくようになる。
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(レビュー) 莫大な遺産を巡って骨苦肉争いが繰り広げられるサスペンス映画。
いかにも俗っぽい内容であるが、監督小林正樹の堅実な手腕が相変わらず冴えていて最後までダレることなく一気に見れた。ただ、どちらかと言うと今回はクールでモダンな映像演出が横溢し、彼本来の重厚さは余り感じられない。2時間ドラマのような歯切れの良さが、良くも悪くも映画の見易さ、つまりこれまでの重々しいイメージだった小林作品のカラーを払拭している。それは同年に製作された傑作時代劇
「切腹」(1962日)、前年に堂々の完結を迎えた全3部作に渡る戦争巨編
「人間の條件」(1959~1961日)との比較からも明確である。
音楽は小林作品ではお馴染みの武満徹が担当している。こちらも小林の演出に合せるように、今回は随分とモダンなBGMになっている。作品自体が時代劇ではなく現代劇ということも関係しているのだろう。両氏共に今回は新機軸を見せようとしている感じがした。
このように重苦しさが余り感じられない演出、音楽ということもあり、全体の鑑賞感がやや薄みである。「切腹」や「人間の條件」とガラリとスタイルを変えた所に新味はあるが、正直今一つ物足りないという感想を持った。
また、ストーリーも予測の範囲内で収まっているし、これは原作がそうなのか、あるいは脚色の問題なのか、サスペンスとしてはそれほど意外性が無いまま終わってしまっている。よくある話と言えばそれまでである。また、そこに人間の欲望や嫉妬、情念といった負の感情が強烈に落し込まれているかというと、そうでもない。シナリオが若干上品になり過ぎてる感じがした。
主演のすみ子を演じた岸恵子のクールな佇まいは、非情な女を見事に体現していて悪くはないが、ここまで一辺倒な演技が続いてしまうと何だか超然とした存在に見えてしまう。女性の二面性をもっと大胆に忍ばせても良かったのではないだろうか。
「首なし事件」にのめり込んでいく弁護士の姿を熱度高く描いたサスペンス作品。
「首」(1968日)ジャンルサスペンス・ジャンル社会派
(あらすじ) 昭和18年、東京に事務所を構える弁護士・正木の元に、茨城県の炭鉱会社を経営する夫婦から、従業員・奥村の死因について調べて欲しいという依頼がくる。奥村は賭博の疑いで警察署に連行され、そのまま脳溢血で死亡した。しかし、一緒に連行された他の従業員によると、彼は署員から相当激しい暴行を受けていたらしい。奥村は殺されたのではないか‥という疑惑を抱き、正木は早速、事件の担当検事に死体の解剖を行うよう掛け合った。ところが、検事はその申し出を拒み、死体解剖を内々に済ませて埋葬してしまった。正木は疑惑を深めながら本格的に調査に乗り出していく。
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(レビュー) 熱血弁護士が警察の暴行死事件を暴いていくサスペンス作品。
物語の時代背景が戦時下と言うこともあり、本作には当時の官憲に対する痛烈が批判が込められている。実に重厚な告発映画である。終始緊迫感を貫き通した作りも見事で、全体的に中々の力作感がある。
ただ、惜しむらくは、戦争の空気感がそれほど画面に表れていない事である。そこに若干の作りの甘さが認められた。しかし、見れば分かるが、本作は決して予算がそれほどかかっている映画ではない。当時としては珍しいモノクロ・スタンダードである。そのあたりの事情を踏まえると、このあたりの作りの甘さはやむを得ないと言えるかもしれない。
原作は今作の主人公弁護士・正木ひろしが描いたノンフィクション小説「裁判官」である。俗に「首なし事件」と言われているそうだが、今回の警察による不祥事は彼の正義感を相当奮い立たせたのだろう。実際に映画で描かれている正木の追及は、狂気的とも言えるほどに熱を帯びている。
正木役を演じたのは小林桂樹。少々大仰な部分もあるが、不正を憎み、真実一路を目指す姿には説得力が感じられた。「死骸が腐りかけてる!早く首を切らないと!」と繰り返し発する辺りは、常軌を逸した世界に入ってしまったかのようだった。こういう役は正に敵役である。
尚、劇中にも出てくるが、正木は「近きより」という個人雑誌を発行していた。この雑誌は、世の不正や悪を徹底的に糾弾する雑誌で、特に権力に対する批判については、かなり過激な物もあった。当時の東條内閣を批判するような記事も掲載していたらしい。普通に考えれば危険思想として排除されてもおかしくない。しかし、彼はどんなに他人から文句を付けられても、自分の意見を決して曲げなかった。そういう人間だから、今回のような事件にも恐れず立ち向かったのだろう。はっきり言って、彼は机の上で六法全書と睨めっこするようなタイプの弁護士ではない。どんな難敵にも立ち向かっていく勇猛果敢な”行動する”弁護士である。
脚本・橋本忍の軽快な構成力も見事である。映画は、事件の被害者である奥村が取調官に殴打されるというショッキングな光景から始まる。自分はこの画面で一気に映画の中に引き込まれた。クライマックスの墓堀りシーン以降も手に汗握る展開で良かった。ある種、娯楽然としたベタな展開とも言えるかもしれないが、このくらいのサービス精神はあっても良いと思う。個人的にはS・ペキンパー監督の「ガルシアの首」(1974米)を連想した。
ただ、一点だけどうしても不自然に感じた部分がある。終盤で正木が、今回の事件を戦争に結び付けて軍官憲を批判しているが、少々飛躍しすぎな論調と思えなくもない。このあたりはもう少し繊細さが欲しい。丁寧に論じればもっとすんなりと呑み込めただろう。
橋本忍以下、他の主要スタッフもほぼ黒澤組で固められている。
監督の森谷司郎は黒澤の「用心棒」(1961日)や
「赤ひげ」(1965日)で監督助手を務めていた新鋭であり、緊密な演出に師匠譲りの才気が感じられた。特に、終盤の列車のシーンのスリリングさと言ったら堪らない。見ていてどうやって切り抜けるのか、ハラハラドキドキさせられた。
撮影の中井朝一も黒澤作品の常連である。シャープな陰影が画面に張りつめた緊張感をもたらしている。硬質な画面作りが見事だった。
三國連太郎の老け役振りが見所。
「異母兄弟」(1957日)ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 利江は陸軍大尉・鬼頭範太郎の家で女中として働いていた。範太郎は傲慢な男で、ある晩、利江は彼に手籠めにされてしまう。そして、彼女は男児・良利を出産した。良利は範太郎に認知してもらえないまま、母と一緒にこの屋敷で暮らすことになった。その数年後、利江は二人目の子供・智秀を出産する。更にそれから10年後、範太郎の実の息子たちは父に可愛がられながら立派に陸軍学校に進学した。その一方で、良利と智秀は学校にも行かせてもらえず、毎日範太郎に剣道の稽古でしごかれた。2人は徐々に範太郎に憎しみを募らせていくようになる。
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(レビュー) 戦時中の陸軍一家に奉公する母子の辛く悲しい物語。
実に隠滅としたドラマである。しかし、人間の残酷さ、反戦メッセージが重厚にしたためられていて見応えがあった。演者の好演も作品のクオリティを根底から支えている。
特に、範太郎を演じた三國連太郎の老け役振りは堂に入ってる。撮影当時34歳だった彼は、この役作りのために上下の歯を10本も抜いたそうである。そのかいあって、この造形のリアルさといったら見事というほかない。利江と彼女の子供たちに酷い仕打ちをする憎々しい演技も絶品だった。
一方、利江を演じた田中絹代もまずまずの好演を見せている。三國に比べると造形面で若干、年齢の推移に甘さを感じたがそこは演技力でカバーしている。尚、彼女はこの後に木下恵介監督の
「楢山節考」(1958日)で、やはり抜歯して老け役に挑んだ。今回の三國の役作りに触発されたというわけではないだろうが、このストイックな俳優魂は大したものである。
物語は約20年に渡る大河ドラマとなっている。展開が流麗に進むので飽きなく見れた。省略の仕方も上手い。例えば、範太郎の息子たちが戦争でどうなったのかは具体的に描かれておらず、そこは写真を使って説明されている。言葉でクドクドと説明するよりも直感的に分からせるという点で見事な演出だと思った。他にも、サブキャラを上手く立ち回らせることで主要人物たちの立場、感情を説明したり、シナリオ自体はよく練られていると思った。
ただ、演出は場面によって過剰な所があり余り感心できない。役者の演技が剥き出しになる場面が多々あり、全体的に苦しい、悲しいの”押し売り”に写ってしまった。また、時折、照明が作為的になるのも不自然で今一つである。
更に音楽も作品に合っているとは言い難い。基本的に電子オルガンによる演奏が続くのだが、これが場面によっては大仰で興が削がれてしまう。音楽監督は芥川也寸志。彼が音楽を担当した作品は何本か見ているが、今回はどうも実験色が強すぎる気がした。
尚、彼は文豪・芥川龍之介の三男である。音楽の才能に恵まれた彼は数多くの映画音楽を手掛けているが、当時日本では電子オルガンが出始めたばかりである。おそらくだが、今回それを取り入れてみたのだろう。しかし、これが完全に裏目に出てしまった。
捕虜を巡ってカオスに陥っていく村の様子が恐ろしい。
「飼育」(1961日)ジャンル戦争・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 太平洋戦争末期、ある貧しい村に米軍機が墜落し、黒人兵士が村人たちによって捕らえられた。地主の鷹野一正は、彼を納屋で管理することにする。そして、あわよくば彼を捕虜として差し出して報奨金をせしめようとした。一方、村の子供たちは、初めこそ兵士を奇異の目で見ていたが、次第に慣れて交友を育んでいく。そんなある日、村の少年・次郎に召集令状が届く。その出征祝いの夜、兵士の身に事件が起きる。
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(レビュー) 大江健三郎の同名小説を鬼才・大島渚が監督した作品。
閉塞的で理不尽な村社会の実態を描きながら、戦争の無慈悲を皮肉的に訴えた傑作である。
今作は大島が
「日本の夜と霧」(1960日)で松竹を退社した後に、初めて撮った作品である。大島らしい政治色はあるものの、象徴主義、観念主義なところがなく割と突っつきやすい作品になっている。彼の映像感性が今一つ大人しめであるが、所々に登場する長回しや、ラストショットの荘厳さ、埋葬シーンの厳粛さは特筆に値する。特に、長回しに関しては、前作「日本と夜と霧」の失敗を反省してか、安定感のあるフレーミングと演者の好演によって見応えが感じられた。例えば、土砂降りの雨のシーンは印象深い。二郎の失踪は一正の姪・幹子のせいだと咎めたことで八郎が木に縛られて放置されるのだが、その絵面の凄まじさは撮影の過酷さを物語っている。
ストーリーは、捕虜を囲った村の混乱を様々な局面で描くことで展開されていく。戦時下における捕虜の扱いは他の映画でも描かれているが、今作のように民間人が捕虜を捕まえるという設定は中々面白い。このシチュエーションで真っ先に思い浮かべるのは、チェチェン紛争を描いた「コーカサスの虜」(1996カザフスタンロシア)という作品である。あれもチェチェンの村人たちがロシア兵を捕虜にする話だった。軍隊と違って、彼らは捕虜の扱いに慣れていない。生かすも殺すも個々の感情次第ということで中々スリリングである。そこに軍事物のドラマにはない面白さがある。
今作でも、村人たちは黒人兵士をどうするかで言い合う場面がある。食糧不足で苦しんでる時に、捕虜を養うほどの余裕はないと言う者。報奨金を貰うまでは生かしておけと言う者。意見は様々だ。また、大人たちが言い争いをしている一方で、子供たちは外国人など見たことが無いので物珍しさで近寄っていく。こうした対比も面白い。
やがて、軍から正式な命令がきて、村人たちはその捕虜を暫く管理することになる。これがタイトルの「飼育」という言葉に繋がっていくのだが、いくら敵とはいえ仮にも人間を「飼育」とは実に酷いタイトルである。
ここまで聞くと多くの人は、捕虜の扱いを巡って展開されるヒューマン・ドラマのように思うだろう。ところが、今作のテーマはまた別の所にある。村に起こる様々な問題。そこをを中心に映画は描いているのである。
村には富める者、貧しい者、様々な人間が住んでいる。貧困に喘ぐ者は他人の畑を荒らす。中には、東京から疎開した者もいて、彼らなどは村人から反感を買っている。エゴをむき出しにしながら争いを始める人々。映画の本文はそこになる。
こうした問題に地主の一正は進んで解決を試みる。しかし、強権的な彼のやり方には反発も少なくなく、問題は余計ややこしいことになっていく。更には、出征するはずの二郎が直前になって逃亡したり、一正の過去の蛮行が明るみになったり、人々は熱病にでもかかったかのように冷静さを失っていく。そして、彼らは一つの解決策を見出す。全ての問題を捕虜である黒人兵士に転嫁するのだ。怒りの矛先が、何の関係もない彼に向けられていくのである。この集団心理は実に恐ろしい。
映画は終盤である悲惨な事故が起こる。ここから畳み掛けるようにして憎しみの連鎖が発動し、最後は皮肉的な結末で締め括られる。一連の事件は正に人間の憎しみが生んだ悲劇であり、見終わった後には暗澹たる気持ちにさせられた。戦争は醜いものである。しかし、本当に酷いのは人間の憎悪に満ちた心である‥と、この映画は語っているような気がした。
この事は我々の日常に引き寄せて考えてみても当てはまる。
例えば、昨今の魔女狩り的なバッシングは良い例である。事情もろくに知らないまま、周囲に乗っかる形で他者を批判する傾向はどうにかならないものだろうか。それでしか日々の鬱憤を解消できないというのであれば、それは何と悲しい世の中だろう‥と思う。これではこの映画で描かれている村人たちの集団心理と何ら変わらない。
キャストでは、一正を演じた三國連太郎の怪演が印象に残った。特に、黒人兵士をナタで追い廻す時の形相はホラー映画さながらの恐ろしさだった。
また、黒人兵士を演じた俳優の熱演も印象に残った。調べてみると、彼はアメリカのインディペンデント映画界の父J・カサヴェテスの監督デビュー作「アメリカの影」(1959米)の主演俳優だった。「アメリカの影」は全て即興演出で撮られたドライヴ感溢れる社会派人間ドラマで中々ユニークな作品だった。その彼がどういう経緯で今作にキャスティングされたのかは分からない。
ただ、大島渚が本作を製作した時期は、松竹を退社して間もない頃だった。自分と同じように本流から離れた所で活動をしていたカサヴェテスに興味を持っていたとしても何の不思議もない。それで彼の作品を見て今作に彼を起用したのかもしれない。
大島渚監督最後の作品。
「御法度」(1999日)ジャンルロマンス
(あらすじ) 幕末の京都。新選組に妖しい魅力を放つ美剣士・惣三郎と、血気盛んな青年・田代が入隊する。来て早々、惣三郎は土方の命令で御法度を破った隊士の斬首役を任された。大役を担った惣三郎に同期の田代は嫉妬する。しかし、土方には惣三郎の剣技が田代を上回っていたことを初めから見抜いていたのだ。やがて、田代は惣三郎を自分の寝床に誘い、毎晩愛し合うようになる。これが組に様々な波紋を及ぼすことになる。
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(レビュー) 新選組を舞台にしたミステリアスな愛憎ドラマ。
鬼才・大島渚監督の遺作。老いと病魔に犯されながら完成させた労作で、氏の作家としての”意地”が乗り移ったかのような美しい映像作品となっている。
耽美な色彩とライティング、クライマックスの眩惑的な光景、新選組の崩壊と自らの死をまるでダブらせたかのような寂寥感漂うラストカット。いずれも惚れ惚れさせられた。長年独特の映像美を追求してきた氏の感性が余すところなく炸裂しており、改めて大島渚の美学を見せつけられた思いである。
一方、ドラマの方も中々興味深く見ることが出来た。おそらく日本人なら誰でも知っているであろう新選組。そこで同性愛を描くというのだから、これは驚きである。今で言えばBL、二次創作的な”ネタ”ということになろうが、当時これを映画でやるというのはかなり野心的な試みだったのではないだろうか。
そして、この大胆なドラマを穿ってみれば、「新撰組」=「映画現場」と捉えられなくもない。今でこそ女流監督がたくさん出てきた邦画界であるが、かつては完全に男だけの世界だった。スタッフの中に女性がいたとしても、それはほんの一握りで、今ほど女性の進出は盛んではなかった。つまり、大島は新選組をかつての撮影現場のように捉えていたのではないだろうか。
もし、彼が本作にそのあたりの意図を込めていたとしたら、これを最後の作品としたのは実に合点がいく。つまり、新選組の崩壊は自分が慣れ親しんだ映画現場の”死”を意味し、同時に自らの作家生命の”終わり”を意味しているということになるからだ。
しかも、本作には二人の映画監督が登場してくる。一人は土方役のビートたけし、もう一人は近藤役の崔洋一。どのような経緯で彼らがキャスティングされたのかは分からないが、大島が若い才能に映画界の未来の引き継いだ‥というふうに読み取れなくもない。大島渚はこの映画を遺言のようにして撮ったのではないか。そんな風に想像できる。
演出は随分と丸くなっており、かつてのアバンギャルドさは鳴りを潜めている。コメディチックな演出を施しながら、キャスティングにも喜劇担当を揃え、娯楽テイストをかなり取り入れている。また、アクション・シーンも要所を盛り上げ、過去の作品に比べれば非常に取っつきやすい映画になっている。
逆に言えば、かつての破天荒で難解な作風が影に隠れてしまい、いわゆる商業作品になってしまった‥という一抹の寂しさも覚えた。
尚、今作の製作中に大島は脳溢血で倒れた。その後、病状が回復して撮影が始まったのだが、その健康を気遣う形でスタッフ陣に豪華なメンバーが結集している。撮影はアメリカでも活躍中だった栗田豊通、衣装はアカデミー賞受賞経験者ワダ・エミ、音楽はこれまたアカデミー賞受賞歴のある坂本龍一。錚々たる布陣である。
キャストも個性あふれる顔ぶれが揃っている。中でも、惣三郎を演じた松田龍平は、持って生まれたオーラとでも言おうか、父・優作の役者としての血を受け継いで見事に本作で映画デビューを果たしている。演技自体は未完成であるが、この存在感はずば抜けている。
豪華スターが集う時代劇。
「待ち伏せ」(1970日)ジャンルサスペンス・ジャンルアクション
(あらすじ) 浪人・三郎は、”からす”と呼ばれる武士から用心棒として雇われる。早速、彼は三州峠へ行くよう頼まれる。しかし、そこで何が起こるのかは分からなかった。密命はあとから追って連絡が来ることになっている。三郎はその道中、夫から虐待を受ける”おくに”という女を助ける。2人は峠の茶屋に一時身を隠した。そこには医者崩れの玄哲という男が居候していた。暫くして渡世人の弥太郎、盗人を捕まえた役人・伊吹が転がり込んでくる。伊吹は怪我をしていたので、その場にいた皆で介抱した。ところが、元医者の玄哲はそっぽを向いて自分の部屋に入っていってしまった。三郎は彼の素性を怪しむ。
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(レビュー) 峠の茶屋を舞台にした群像時代劇。
派手なアクションシーンはクライマックスにあるくらいで、ほとんどが茶屋という限定された空間で行われる室内劇になってる。確かに地味ではあるが、中々スリリングな心理劇で最後まで息の抜けないサスペンスが堪能できる。
様々な訳あり人間が登場してくるが、茶屋に居候する医者崩れの玄哲という男は最も面白く見れた。外見からして只者ではないと言った風貌で、最初から胡散臭い匂いをプンプンさせている。その正体は後半に入ってようやく判明するが、そこからこの映画は怒涛の展開に入っていく。玄哲がドラマの鍵を握るキーマンとして、良い働きぶりを見せている。
また、この映画には、玄哲の正体の他にもう一つのミステリーが仕込まれている。それは主人公・三郎が受ける密命だ。彼は”からす”という男に用心棒として雇われて、この峠に来る。しかし、その密命が何なのかは知らされていない。後から連絡される手はずになっている。この密命の内容もクライマックスに入るまでは明かされない。三郎はそれに翻弄されていく。
今作は、他にも様々な個性的な人物たちが登場してくる。夫の暴力から逃げたおくに。フラリとやってきた渡世人・弥太郎。罪人と激しい格闘を演じて負傷した役人・伊吹。そして、茶屋の主人と孫娘である。映画は彼らのやり取りをユーモラスに描きながら、クライマックスの戦いへ至るテンションを徐々に高めている。緊迫したサスペンスの合間に、こうした人情ドラマ的な風情を織り交ぜた所に、作り手側の”したたかさ”が伺える。これによって作品にかすかな抒情性が付帯する。
脚本は小国英雄の他に3名のシナリオライターが共同で務めている。監督は稲垣浩。彼も別のペンネームで脚本に参加している。人物の出し入れ、心理の機微を絶妙に捉えた演出は流石に上手く、ベテランならではの手練が感じられた。ちょっとした隙に見せる微妙な表情の変化も見事に掬い上げている。
ただし、ラストのあっけない幕切れは少々物足りなかった。また、おくにが三郎に連れて逃げてと言うクダリの整合性のなさ、茶屋の娘の説明台詞は気になる部分であった。クライマックスの爆弾も、その使い方がご都合主義に思えてしまう。
しかし、こうした不満点以外はキッチリと作られていて、ほとんど破綻が見られない作品である。
今作はキャストも見逃せない。三郎役の三船敏郎はひたすら豪快であるし、玄哲役の勝新太郎は怪しい雰囲気を滲ませながら独特の怪演を披露している。弥太郎役の石原裕次郎は生来の男前ぶりを発揮しながら飄々とした味わいで自分のカラーを出している。伊吹役の中村錦之助は多少、小役人の些末さを強調しすぎた感はあるが印象的な演技だった。これだけのスターが一堂に会するというのはそうそうないことである。それだけでも今作を見た甲斐があった。
人気劇画の実写映画化。
「子連れ狼 子を貸し腕貸しつかまつる」(1972日)ジャンルアクション
(あらすじ) かつて徳川幕府の元で公儀介錯人をしていた拝一刀は、柳生一族の陰謀によって破滅の道へ追い込まれ、各地を流れ歩く浪人に成り果てた。「子を貸し腕貸しつかまつる」の旗を掲げて、唯一の家族である幼子・大五郎を乳母車に乗せて旅をしていた。ある日、彼は小山田藩江戸家老・市毛から暗殺の依頼を受けるのだが‥。
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(レビュー) 子連れの浪人・拝一刀の活躍を描いた人気劇画の映画化。
勝新太郎に「座頭市」シリーズがあれば、兄・若山富三郎にはこの「子連れ狼」シリーズがある。向こうは大映、こちらは東宝。配給会社の違いはあるが、どちらも勝新太郎が製作に携わっている。勧善懲悪、痛快無比な時代劇という点では共通している。
また、監督は座頭市シリーズ第1作
「座頭市物語」(1962日)でメガホンを取った三隅研二が務めている。同じ監督ということで、作品のテイストも劇画タッチな作風が貫かれている。ただ、こちらは原作がコミックということもあり、やや現実離れした演出が見られる。
更に、原作者である小池一雄(小池一夫)が脚本を書いていることもあり、原作の世界観に沿った作りが徹底されている。そのせいか、「座頭市」シリーズよりも破天荒な剣技や過剰なスプラッタ描写なども出てくる。このあたりは、リアリズムを好む者にとってはマイナス要因になるかもしれない。
例えば、首や手足が飛んだり、噴水のように血が噴き出したり、いかにもマンガ的な表現が見られる。劇画の実写化という割り切りが出来ていればさほど気にならないが、見ようによっては軽薄に写りかねない。
ただ、この過激さは良い意味で勝新太郎の「座頭市」と異なるケレンミに繋がっていて、今シリーズのセールス・ポイントにもなっている。個人的には楽しく見れた。
特に、一刀と露口茂演じる用心棒が対決するシーンには見入ってしまった。夕日をバックに対峙する二人。決着は一瞬でつく。茜色の空に用心棒の首が飛び、残された胴体のシルエットから大量の血が噴き出して倒れる。残酷ではあるが、どこか様式美を感じさせる映像は、いかにも劇画的で印象に残った。
キャストでは、やはり一刀を演じた若山富三郎の魅力。これに尽きる。演技云々と言うより、その圧倒的な存在感に目が釘付けになった。
一方、敵役・柳生のリーダーを演じた伊藤雄之助は持ち前の異様な風貌を活かしながら独特の怪演を披露しているが、いくら劇画タッチとはいえこれは作り過ぎである。少しコミカルに写ってしまう場面があった。
小池一雄の脚本は、一刀のバックストーリーを流麗に紹介した前半に上手さを感じる。現在と過去を交錯させながら、彼が柳生一族と対立することになった経緯、大五郎と一緒に旅をすることになった経緯が巧みに紹介されている。
但し、幾つか強引な個所もあった。一つは、大五郎の前に刀と手毬を置いてどちらかを選べ‥と言うクダリ。修羅の道を歩むか、平穏な暮らしを歩むか。一刀はその選択を大五郎自身に選ばせようとするのだ。しかし、これはいくらなんでもマンガ的過ぎる。まだ物心もつかない赤子に選べと言っても分かる筈がない。このシーンには苦笑してしまった。
また、一刀と本作の紅一点・お仙との濡れ場も唐突な感じを受けた。ヤクザに捕まった一刀が、皆の見てる目の前でお仙で抱けと命令される。余りの脈絡の無さに飲んでたお茶を吹き出しそうになった。
もっとも、その後のお仙のセリフは良い。周囲にタンカを切って「命が惜しいって時に女を抱けるかい!」と言い放つ。これには痺れてしまった。
思うに、今作はこういう”見得を切り方”を如何に楽しむか。そこが重要なポイントになってくると思う。映像的にもドラマ的にもかなりハッタリが効いていて、強引な箇所もあるにはあるが、ここまでエンタテインメントを追求していれば潔いというほかない。
牧歌的な雰囲気で描かれるファンタジーアニメ。
「ももへの手紙」(2012日)ジャンルアニメ・ジャンルファンタジー・ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) 小学6年生のももは、父の死をきっかけに母の実家がある瀬戸内海の島に引越しする。しかし、ももは人見知りな性格なため地元の子供たちと知り合っても中々一緒に遊べないでいた。そんなある日、屋根裏部屋で1冊の古い書物を見つける。そこには妖怪の絵が描かれていた。祖父の話によれば、それは古い先祖が遺した物らしい。母は朝早くから夜遅くまで仕事。夏休みで学校も休みである。日々、退屈を持て余していたももの前に、3人の妖怪イワ、カワ、マメが現れる。
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(レビュー) 妖怪と少女の交流をハートウォーミングに描いたファンタジー・アニメ。
映画のタイトル「ももへの手紙」が示す意味。それは序盤の父の書きかけの手紙と、ラストの手紙によって感動的に提示されている。正直、この仕掛けには”してやられた”という感じがした。伏線も見事に回収されており、ももと天国の父の奇跡の交流に涙させられた。泣ける作品であるが、変な嫌らしさは余りない。淡々とする中で感動を謳い上げた所に好感が持てた。
加えて、映像のクオリティもかなり高い。
まず、何と言っても美術が素晴らしい。物語の舞台となるのは瀬戸内海をのぞむ小さな港町である。周囲には青い空と緑の山々が広がり、この牧歌的な佇まいには癒される。
アニメーションを制作しているのは「攻殻機動隊」シリーズ等でも有名なProduction I.G.である。正直、こうした朴訥としたアニメを制作するとは意外だった。しかも、そこで繰り広げられるのは等身大の”生”の人々の物語である。これまではSF、サイバーパンクな世界観を得意としてきたプロダクションだけに、良い意味で期待を裏切ってくれたという感じである。
ちなみに、細かい作画面で言えば、序盤の父の笑った表情が抜群に良かった。大人が思春期の子供に媚を売る感じ。それがよく出ていた。それを見たももの失望も当然という気がした。
監督は沖浦啓之。彼は先述のProduction I.G.の中で活動してきた作家である。前監督作「人狼 JIN-ROH」(1999日)は未見であるが、押井守監督の「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊」(1995日)や「イノセンス」(2004日)ではキャラクターデザインや作画監督を務めていた。それらを見る限り、ハードな世界観を持った作家のように思った。ところが、これも意外で、今回は所々にコミカルな演出を効かせながら、全体的にハートウォーミングに仕上げられている。これまで見てきた作品とガラリと作風を変えてきた所に、新境地に対する意気込みが感じられる。
特に、妖怪3人組の登場の仕方については、沖浦監督の上手さが光っていた。彼らは外見からして写実的な美術背景から、かけ離れた造形となっている。これを普通に描くとなると周囲から浮いてしまいかねない。その下手を打たないためにも沖浦監督は周到に演出を積み重ねながら、ももの前に彼らを登場させている。これがアッサリと見えてしまったら嘘くさくなるし、逆に必要以上に伸ばしてしまうとホラー的になってしまう。ももと妖怪の接触を早すぎず遅すぎず、丁度いいタイミングで描いた所に感心させられた。少しでも彼らの存在にリアリティを与えんとする苦心が見て取れる。
ただ、妖怪の存在については、少し引っかかりを覚える部分もあった。通常、彼らは人間には見えない存在である。しかし、1箇所だけ、近所の小さな女の子が彼らの姿に気付いているような演出があった。もも以外の子にも見えるのだろうか?だとするのなら、その説明は要したかった。
また、演出面で気になる点もあった。母親が倒れて、ももが奔走するというクライマックスの展開。今作の一番の見せ場である。しかし、ここに余り危機感が感じられない。ももの周囲の人間たちが余り焦ってないというのもあるのだが、そもそも、ももの使命感が安易に写ってしまった。ここは溜めに溜めて、ももの葛藤を深く掘り下げる必要があったのではないだろうか。ボルテージをゆっくりと盛り上げることで、クライマックスはもっとドラマチックに出来たように思う。
尚、キャストは夫々好演していると思った。いわゆるタレントなどは使わず、プロの声優陣で固められているので安心して聞けた。
凝りに凝った映像は一見の価値あり。もはやアートの領域。
「哀しみのベラドンナ」(1973日)ジャンルアニメ・ジャンルロマンス・ジャンルファンタジー
(あらすじ) 中世のフランス。村で一番の美女ジャンヌは、農夫のジャンと幸せな結婚式を挙げた。ところが、領主の元へ貢物を献上しに行った時にジャンヌは慰み者にされてしまう。幸せから一転、絶望の淵に立たされるジャンヌ。ある晩、彼女は不思議な生き物に出会う。それは悪魔の化身だった。ジャンヌはその化身と契りを交わし魔力的な力を手に入れる。そして、村の人々の心を掌握していった。一方、夫のジャンは税金の取り立て屋として成功していた。しかし、戦争が始まると財政難に陥り、その責任を取って領主に左手を切り落とされてしまう。
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(レビュー) 虫プロが製作した大人のためのアニメ”アニメラマ”の第3弾。
第1弾と第2弾は手塚治虫本人が製作に携わっていたが、今回は一切タッチしていない。そのせいか随分とこれまでとは異なるトーンになっている。第2作の「クレオパトラ」(1970日)は未見なので比較は出来ないが、少なくとも第1作の
「千夜一夜物語」(1969日)よりキャラクターは劇画タッチになっている。また、エロティックな表現もより大胆になっていて、アニメラマのコンセプトを推し進めた完全に大人向けなアニメとなっている。
尚、原作はフランスの歴史家ジュール・ミシュレの小説「魔女」である。
さて、まず何と言っても、今作の最大の見所は映像となろう。いわゆる一般的なアニメの常識を覆すような実験的な技法が次から次へと出てきて驚かされる。
今作は基本的には静止画が多く、ドラマ背景や展開を紹介する部分では絵巻物語よろしくパンニングで綴られている。この静止画がまるで水彩画のような淡い絵で非常に美しい。見事なまでにアート志向である。
その一方で、ジャンヌの心象や、ここぞという見せ所になると、滑らかな動きで表現された、いわゆる既存のアニメ表現になる。これもクオリティの高い動画で手抜き感がまったく感じられない。
例えば、悲しみにくれるジャンヌを鏡の中に延々と映すカット、ベッドの中で悪魔の化身に身を委ねるカット。これなどはシンプルな描線と色彩で描かれているが、1カット1シーンという長回し故、非常に印象に残るカットだった。
更に、悪魔の首領と交わる後半のシーンになると、今度はジャンヌの肉体が奇怪なまでに変容し、ほとんどドラッグ・ムービーのようなサイケデリックな映像に切り替わる。アニメーションでしか表現できないようなイメージの世界が広がり、これも印象に残った。
不気味に襲い来る黒死病が人間と町を呑み込んでいくシーンも素晴らしい。文字通り黒の波で画面が塗り固められていく毒々しい表現はダイナミック且つ悪夢的である。見る人によってはトラウマ的な恐ろしさを感じるだろう。
更に、圧巻は後半の宴のシーンである。ナンセンス、エログロ、スカトロジー、何でもありの狂騒に頭がクラクラしてしまった。男のペニスが木やキリンの首になってからみ合ったり、女が股から魚を生んだり、何だか凄いことになっている。
一方、ストーリーはというと、こちらは存外普通のメロドラマである。映像ほどの奇抜さは無く、特に難解な所もない。ヒロインの名前からも分かる通り、これは
「裁かるゝジャンヌ」(1928仏)と同じドラマと言える。魔女として火あぶりの刑にされたジャンヌダルクの半生を、ロマンスとして味付けしたのが今作である。しかして、ラストも予想通りの結末となるのだが、彼女の心痛は見ててよく伝わってきた。また、階級社会の残酷さ、人間の欲望の醜さといったメッセージもとくと理解できた。
このように中々ハードコアな作品である。ここまでエロとバイオレンスを倒錯的フェティズムの中に封入したアニメーションはそうそうないだろう。しかも、ただ悪趣味で猥雑なだけではない。映像のセンスは極めてアーティスティックで、動画のクオリティも高い。今から40年も前に作られたアニメとは到底思えないくらい先鋭的で、今見ても驚きと新鮮さに溢れている。確かに演出がメロウすぎるという欠点はあるが、日本アニメ界に残る傑作と言えるのではないだろうか。
尚、監督はアニメラマの第1弾から続投の山本暎一である。作画監督は第1弾でも原画を務めていた杉井ギサブローが担当している。他に、林静一、ウノ・カマキリといったイラストレーターがゲスト参加している。
キャストはジャンヌ役を長山藍子、悪魔役を仲代達也が演じている。夫々に映像の雰囲気に合った演技をしていると思った。特に、エロティックな場面における長山藍子の艶っぽい声は、映像に一層の淫靡さを与えていて中々良かった。
手塚治虫が製作したサイケなアニメ。
「千夜一夜物語」(1969日)ジャンルアニメ・ジャンルファンタジー・ジャンルロマンス・ジャンルアクション
(あらすじ) 水売り証人アルディンはバグダットの都にやって来た。そこで奴隷として売りに出されていた美女ミリアムに一目惚れし、彼女を強奪して愛し合う仲になる。一方、ミリアムを競落そうとしていた監視総監の息子は、寸前で彼女を奪われ失意のどん底に落ちる。不憫に思った彼の父は、部下のバドリーにミリアム奪還を命令する。バドリーは権力欲に取りつかれた男で、これを機に出世を目論んだ。彼は早速、砂漠の盗賊マーキム率いる一団と結託してミリアムを奪い返す。そして、アルディンに殺人罪の濡れ衣を着せて投獄した。こうして愛し合うアルディンとミリアムの仲は権力者たちの手によって引き裂かれてしまう。
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(レビュー) 手塚治虫が製作総指揮・共同脚本を務めたファンタジー・アニメ。
有名な「千夜一夜物語」から着想を得たと言われる物語は、大胆にしてドラマチック、人間の欲心を痛烈に皮肉った結末を含め、中々興味深く見ることが出来た。
また、本作は世界初の大人のためのアニメーション”アニメラマ”と名付けられたシリーズの第1弾として製作された作品である。実験且つ野心に溢れた映像の中にエロとバイオレンスを浩々と曝け出しながら、人間は所詮欲望の塊だ‥というメッセージを見る側に突き付けてくる。途中で微笑ましく見れるようなユーモラスな演出も出てくるが、基本的には子供よりも大人に向けた作りとなっている。
ストーリーは、主人公アルディンが辿る数奇な運命を軸に展開されていく。しかし、この他にも警察隊長バドリーの野望、盗賊の娘マーディアの葛藤、アルディンの娘ジャリスの悲恋など、かなり濃密なドラマが並行的に綴られている。ある種大河ドラマ的な広がりを持つ群像劇となっている。
ただ、さすがにこれだけ内容を詰め込んでしまうと、2時間10分という長丁場でも、かなり駆け足気味な展開にならざるを得ない。個々の葛藤に十分迫り切れているかというと、やや物足りなく感じた。
今作の見所は何と言っても映像である。サイケデリックでアヴァンギャルドな演出が各所に登場し今見ても新鮮に感じられる。例えば、序盤のアルディンとミリアムのベッドシーン、中盤でアルディンが女体の海に溺れるイメージ・シーン等は、かなり刺激的で手塚のアーティスティックな感性が存分に伺える。
また、手塚治虫と言えば、「バンパイヤ」や「メルモちゃん」に代表されるメタモルフォーゼ(変身)を題材にした作品が思い出される。それが今回の映画にも中盤で登場してくる。
アルディンは女だけが住む島に漂流する。初めは快楽を貪り尽くすアルディンだが、ある晩驚愕の光景を見てしまう。自分が寝た女が蛇に変身するのだ。これがちょっとしたトラウマ級の怖さだった。見てて何とも言えない気持ちが悪さもあった。
他にも、巨人や怪鳥、空飛ぶ木馬、空飛ぶ絨毯といった様々な空想物が出てくる。このあたりは、ひょっとしたら特撮の巨匠レイ・ハリーハウゼンが手がけた「シンドバット」シリーズを意識しているのかもしれない。アニメーションならではの魅力が感じられた。
音楽は富田勲が担当している。氏にしては珍しく、全編サイケデリック調なロックとなっている。これが思いのほか映像のトーンと合っていて、全体のサイケな雰囲気はこの音楽によるところも大きいと思う。
キャストでは、アルディン役の青島幸男が中々良い味を出していた。他の主要キャラも実力派の俳優陣で固められていて安心して聞ける。また、チョイ役に登場する異色の特別キャストも面白かった。遠藤周作、筒井康隆、小松左京といった作家や、野末陳平、立川談志、大橋巨泉といった曲者が声を当てている。