老人の暴走がドラマチックでエキサイティング!
”DVD化されていない隠れた私的傑作”シリーズの最終回。
「トト・ザ・ヒーロー」(1991ベルギー仏独)ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 老人トマは大富豪カントの暗殺を企てていた。何故彼はそんな事を考えるに到ったのか------------幼い頃、トマは同じ日に生まれた隣近所に住む裕福なカントのことを羨んでいた。赤ん坊の頃に取り違えられたと本気で信じていたのである。ある日、父が飛行機事故で死んでしまう。カントの父の事業を手伝ったためである。益々カントに恨みを募らせるトマ。そして、愛する姉アリスまで彼に取られそうになった時、不幸は起こる。それから10数年後、トマは大富豪になったカントと再会する。
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(レビュー) 老人の生い立ちに隠された数奇な運命。彼が取った最期の結末とは?現実と幻想が交錯したブラックなヒューマンドラマ。
映画は老人ホームに暮らす現在のトマを通して、少年期と青年期の二つの過去が振り返られていく。複雑に入り組んだフラッシュバックが氾濫するが、違和感なく構成されているところが見事で、緊迫感に溢れたミステリアスな映画になっている。また、ラストのオチは何とも言えぬ哀愁に満ちていて味わい深い。
結局、トマは現実を見誤った悲しい老人なのだと思う。出生にまつわる疑心、父の死の悲しみ、姉アリスへの叶わぬ想い。彼はこれら全てを裕福な隣人カントに対する憎しみに結び付けて考えてしまう。そして、彼はテレビのヒーロー番組、トト探偵になって悪者カントをやっつけようと妄想し始める。トト老人はその思いを生涯引きずって生きてきたのである。
客観的に見ればこれは単なる逆恨み、ただの独りよがりな妄想でしかない。彼の生涯は一体何だったのか?そこに自分の人生はあったのか?幸せな時期はあったのか?‥と考えさせられてしまう。
映画の最後で彼は初めて現実に気付くことになるが、テレビのヒーロー番組のように時間を巻き戻すことは出来ない。自分をヒーローだと勘違いした生涯は確かに滑稽かもしれないが、同時に余りにも悲劇的でドラマチックである。現実と喧嘩して背を向けて生きたその姿に哀愁を見てしまう。
監督・脚本はジャコ・ヴァン・ドルマン。これが彼の長編デビュー作となる。ビターな現実世界に時折スウィートな空想表現を入れるのが彼の作品の特徴で、例えば今回で言えば、トマがトト探偵に変身してテレビの中で大活躍するシーンは正に彼の特性が現れたシーンであろう。ドルマンのこの特徴は次作「八日目」(1996ベルギー仏)で更に劇的に突き詰められ、作品そのものをもはや寓話の域にまで押し上げる。
この独特な作風が好きなのでぜひ新作を見せて欲しいのだが、彼は寡作な作家という事でも知られている。しかし、そのドルマンが前作から10年以上経ってようやく3作目を発表するという事である。
一応トレーラーを貼っておくので、興味のある方はご覧ください。
どうやらSF映画みたいなのだが‥。日本では公開されるのだろうか?
異才D・マカヴェイフの不条理な過激作。この監督の作品もDVD化はされていない。
「スウィート・ムービー」(1974仏独カナダ)ジャンルコメディ・ジャンルエロティック
(あらすじ) ミス・カナダのキャロルは大富豪の花嫁候補を選ぶテレビのオーディション番組で見事優勝し、早速アブラナブル氏の元に嫁いだ。しかし、彼のペニスが金粉まみれだったのに驚きベッドインを拒絶してしまう。これに腹を立てたアブラナブルは、彼女を下男の慰み者にして放り出した。一方、アムステルダムでは一隻の船が優雅に川を渡っていた。女性船長アンナは町の水夫を船に引き入れ肉体関係に及ぶ。彼女の欲望は留まる事を知らず、無垢な子供達にまでその手が忍び寄る。
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(レビュー) 二人の女性が辿る性愛をシュルレアリスティックに描いた作品。
処女の花嫁として資産家の元に嫁いだキャロルが辿る数奇な運命。マルクスの顔を船頭にあつらえた船に乗るアンナの異常な快楽行為。二つのエピソードが交互に描かれていく。倒錯的な性の世界に溺れていく姿は実に皮肉めいている。
監督は異才D・マカヴェイエフ。低俗とインテリの共存が彼の作品の持ち味だが、本作からはその素養が存分に感じられる。
のっけからテレビの公開オーディション番組。しかも、その内容が世界で一番美しい処女膜を持った女性を選ぶというもの。その後も公然猥褻や、エッフェル塔でのレイプシーン、更にはまだ精通もしてないような少年達に対するポルノティックな誘惑シーン等、ありとあらゆる描写で人間の欲望を描ききる。後半に入るとゲロ、糞尿まみれのスカトロ描写も加わり、低俗な乱痴気騒動は留まる事を知らず、見ていてかなりキツい。この下劣さはカルト映画の代表「ピンク・フラミンゴ」(1972米)の比ではない。
一方で、マカヴェイエフのもう一つの素養、インテリ気質はと言うと、これまたアナーキーな思想を強烈にアジテーションし、見る側をビビらせるような”意地悪”な駆け引きをしてくる。本作の主役、キャロルとアンナは資本主義と共産主義のメタファーになっている。
大富豪に捨てられたキャロルは、資本の原理に利用されるだけ利用され、ついには乞食の集落に身を落とし精神を崩壊させる。チョコレートまみれになりながら恍惚と喘ぐ姿はドラマチックだ。
一方のアンナは革命の申し子である。死体を積んだサバイバル号、別称カール・マルクス号に乗って純情な少年達を革命の生贄として捕食しつつ旅を続ける。彼女もまた人生を崩壊させていくのだが、ラストショットが面白い。革命が夢に過ぎないと言う事を暗に示すかのごとく幻想的な締めくくり方になっている。
二人とも最終的には悲惨な運命を辿るわけであるが、右も左も関係なく放逸な表現で彼女等を文字通り”汚して”しまうこのアナーキーな精神。おそらくは生真面目に社会派的なテーマを追い求める作家からすれば、実にけしからん!と言って怒りたくなるような内容だが、しかし同時にそれは痛快無比でもある。そこを笑えるだけの度量があるかどうかで、作品に対する評価も分かれてきそうである。
グロ注意。これも一部でカルト的な人気があるのだがDVD化はされていない。
「ネクロマンティック(特別編)」(1995独)ジャンルホラー・ジャンルロマンス・ジャンルエロティック
(あらすじ) 死体処理業に勤めるロブは、死体愛好家の恋人ベティと同棲している。ロブは現場からくすねた死体の一部をベティに捧げて喜ばれていたが、このたび死体を丸々一体盗み出すことに成功した。その夜、二人は死体を交えてセックスにふけった。そんなある日、ロブは上司と喧嘩をして会社を首になってしまう。見切りをつけたベティが死体を持ってどこかに去っていってしまった。傷心のロブは彼女を取り戻したいがために”ある行為”に及ぶ。
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(レビュー) ネクロフィリア達の倒錯的な世界を描いた問題作。
本国ドイツでは上映禁止になった挙句、ネガを含めた全ての映画の素材を処分するよう裁判所命令が下された。元々は前後編で製作された作品だったが、日本ではなぜか監督自らが編集した「特別編」がリリースされている。気色の悪い描写に批判が集まる中、一部からはカルト的人気を受けている。この手のタイプの作品は、評価するとなると0か100になってしまう。
物語は前半と後半に分かれている。前半はロブとベティの異常な性愛を描くもので、死体を巡る三角関係がブラック且つシュールに描かれている。
後半は、死体と駆け落ちしたベティのその後を追うドラマになっている。異常と正常な性愛の狭間に置かれた彼女の心的葛藤が描かれている。
性愛の対象が死体だったというところを除けば、実にシンプルでオーソドックスなメロドラマと言える。男は女を追いかけ、女は別の男を追いかけ、最後に二人は元の鞘に収まる‥という展開は特段目新しくはない。ただ、この映画の唯一無二なところは、何と言ってもこの凡庸なドラマが吹き飛ぶくらいの性愛に対するラジカルな表現だろう。
グロとエロの二律背反のビジュアルによって、その追及が行われている。見世物小屋的な風情に満ちているが、同時にリリカルさも併せ持っているところがユニークだ。
例えば、ロブの自傷行為をしながらのオナニーシーンは実におぞましい。しかし、後半でそれがベティに対する究極の愛の証だったと知ると何だか切なく反芻される。
一方のベティも、ロブのペニスを大切に冷蔵庫に保管するのだから実に健気だ。常識から激しく逸れたこれらの行為はラジカルであるけれども、純粋で素直な愛情表現に他ならない。
また、悪趣味な描写ばかりが取り上げられる本作であるが、一方で所々に登場するフォトジェニックなシーンも印象に残る。例えば、ロブが夢の中で天使の少女と生首を使って戯れるシーンは、恍惚としたトーンで切り取られ幻想的で美しい。”死”というものに対する哲学的なメッセージすら感じさせる。
監督・脚本はJ・ブットゲライト。本作以降、新作の発表が無いのは当然と言えば当然か?しかし、独特の哲学的テーマを臭わすセンスも持っており、それが埋もれてしまうのは実に勿体無い。
DVDにならない作品というものがあって(理由は色々あろうが)、これから1週間ほどそういったものを取り上げたいと思います。
「ありふれた事件」(1992ベルギー)ジャンルサスペンス・ジャンルアクション
(あらすじ) 連続殺人犯ブノワを追ったドキュメンタリー映画が作られることになる。カメラの前で次々と殺人を犯していくブノワ。やがて、資金が底をつくと撮影隊は共犯者となって躊躇なく強盗殺人を繰り返していくようになる。
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(レビュー) 架空の連続殺人鬼を追ったフェイク・ドキュメンタリー。
主演のブノワ、監督、カメラマンというたった3人で撮られたインディペンデント・フィルムだが、余りの生々しい凄惨な光景の連続に世界が驚愕したという曰くつきの作品である。3人の以後の新作はない。彼等が作り出す刺激的な作品をもっと見てみたいのだが‥。
映画はブノワの凶行と周囲の家族や愛人の素顔を淡々と切り取りながら進んでいく。その中で、ブノワにとっての正義、社会観、趣味嗜好といった物が徐々に露わにされていく。そして、ドラマは後半で大きな転換を迎え、そこをきっかけに悲劇的な結末へと転じていく。
後半あたりから作為性を感じる演出が氾濫し始めるのだが、ともかくもホンモノによく似せて作られたフェイク・ドキュメンタリーだと思った。
もっとも、リアリティーがあるとはいえ、あれだけの大量殺人を犯しておきながら、近しい者を含め警察やマスコミの騒動といった社会性が完全に映画の世界から排除されているので、そこには”嘘っぽさ”を感じてしまう隙間がある。映画の中での出来事は完全に虚構の出来事として提示されており、生々しい光景もどこかで安心して見る事が出来るのも事実である。
衝撃性だけが取り上げられる本作だが、随所に見られるブラック・ユーモアも中々面白かった。
例えば、ブノワのために開かれた誕生パーティーのシーン。ブノワ自身の凶行によって和気あいあいとした場が一瞬にして凍りつくのだが、この時の鳩が豆鉄砲を食らったような周囲の顔が何とも可笑しい。笑いから恐怖のどん底へ叩き落される様は、丁度ドッキリカメラと同じで仕掛けになっていて、このギャップがブラックな笑いへと繋がっている。
映像はモノクロで照明も一台しかないので、夜などの暗い場面は多少見づらいことがある。しかし、これが奏功し余計に作品に不気味さをもたらしている。また、一部で特殊撮影が使われているが、モノクロ映像が技術的な粗を上手く隠しているように思った。
それと”音”に関してのリアリティ。ここにも卓抜したセンスが感じられた。
中盤で銃撃戦の現場にカメラは突入して行くのだが、突然鳴り響く気色の悪い激音。その直後、画面が地面にへばりついて初めてカメラマンが撃たれた事が分かる。「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」(1999米)でも似たような演出があったが、こちらの方が断然ショックの度合い高い。効果音演出のためである。他にも、マイク集音の遠近感を利用することで、近いところの音を小さく、遠いところの音を大きくして現場の混乱振りを捉えるシーンもある。このあたりの音の演出にもリアリティが感じられた。
ところで、この映画ではブノワの殺人動機については詳しく語られていない。単に金目当ての強盗殺人だったのか、疲弊した自らの人生に嫌気が差して自暴自棄になった結果だったのか。理由が分からない。そこが病んだ現代社会を物語っているようで怖かった。
また、人を人と思わぬ冷淡な心理も不気味だった。ブノワは湖に死体を沈めるのにどれだけの重石が必要か論理的に考えている。子供のように軽い死体なら重石が少なく済むので手間がかからなくて楽だと言う。彼は自ら作ったオリジナル・カクテルに”グレゴリー坊や”と名付けて撮影クルーに振る舞うのだが、グラスの中味が重石をつけた死体が沈んでいるような、そんな見た目になっている。このネーミングから、彼は明らかに子供を湖に沈める行為と酒を飲む行為を頭の中でイコールで結び付けているのだろう。この思考には寒気が走った。
楽しげなミュージカルシーンが良い。
「ヘンダーソン夫人の贈り物」(2005英)ジャンル音楽・ジャンルコメディ
(あらすじ) 1937年のロンドン。大富豪の夫を亡くしたヘンダーソン夫人は莫大な遺産を受け継いだ。彼女は閉館中のウィンドミル劇場を蘇らせようと買い上げる。やり手の演出家ヴァンダムを雇ってミュージカルを上演すると、たちまち千客万来となる。しかし、マンネリズムによって次第に客足が遠のいていった。そこで夫人は次なる起死回生の策を考える。それはヴァンダムをも驚かせるアイディアだった。何と女優をヌードにしてステージに上げようというのだ。実演するとなると、どう考えても検閲で引っ掛かってしまう。そこで夫人は一計を案じ‥。
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(レビュー) ウィンドミル劇場はイギリスで初めてヌード上演を行った劇場だそうである。本作はその発起人であるヘンダーソン夫人と周縁人物の悲喜こもごもを、軽快に綴った実話の映画である。
ヘンダーソン夫人は少し口の悪いところがあるが、情熱的で前向きで行動力に溢れた実に頼もしい中年女性である。これを英国映画界の重鎮J・デンチがきびきびとした演技で好演している。
彼女と尽く衝突するのが劇場支配人のヴァンダムである。彼は超一流の演出家だが、生真面目なところがあり演目を巡ってたびたびヘンダーソン夫人と対立する。こちらはB・ホプキンスが妙演している。
本作の魅力は何と言っても、この二人の絶妙な掛け合いだろう。激しく口論する二人を見て夫人の友人が「まるで長年連れ添った夫婦みたい」と冷やすが、正にその通り。二人の息のあったコンビぶりが実に楽しく見れた。
映画は全体的に非常に軽妙に作られていて飽きなく見れた。随所に挿入されるステージシーンも様々なアイディアが盛り込まれていてエンタメ性もかなり高い。
監督はS・フリアーズ。割と社会派的なテーマや重厚な作品を撮る事の多い監督だが、こうしたミュージカル色の強い作品を撮ることが出来るとは少し意外だった。
ただ、全体的に楽しく見れるのは良いのだが、肝心のドラマにつていは、いささか掴み所を誤っている‥という風に思った。
夫人がこの劇場を建て直した理由。そこに迫り切れていないため、どうしても彼らのやっていることが浮き足立って見えてしまう。完全にコメディならそれでもいいが、本作はコメディとは言い難い。現に戦争の悲劇も登場してくる。
具体的には、看板女優モーリーンにまつわるエピソードである。この部分の描き込みが不足しているように思った。ここにこそ夫人がヌード上演を企画したそもそもの動機があるわけで、映画はもっとそこに時間をかけて描いて欲しかった気がする。そうすれば、タイトルの意味とラストのカタルシスもズシリと心に響いてきただろう。
「レディ・チャタレー」(2006仏ベルギー英)ジャンルロマンス・ジャンルエロティック
(あらすじ) 炭鉱村にそびえ建つラグビー邸。新妻コンスタンスは、第1次世界大戦で半身不随になった夫クリフォードの傍に仕えていた。ある日、森に散歩に出かけた時に猟師パーキンの入浴姿を見る。夫婦の営みが疎遠だった彼女はその光景に胸が高鳴った。以来、時々彼の小屋を訪問しては交遊を育んでいった。孤独なパーキンも日頃の寂しさから自然とコンスタンスの肉体を求めていくようになる。
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(レビュー) D・H・ロレンスの文芸ロマンス「チャタレイ夫人の恋人」の映画化。これまで何度も映画化されてきた作品だが、最も有名なのは「エマニエル夫人」(1974仏)のS・クリステル主演で製作された1982年版だと思う。幼い頃にTVで見たが、濡れ場のシーンは今でも印象に残っている。確か公開当時も結構話題になったはずである。
原作は女性の性の解放を描いたことで知られる名著であるが、同時に超えられない階級の差をシビアに捉えており、当時の世情がよく分かるという点で歴史的価値のある作品だと思う。こうしてたびたび映像化されるのも頷ける話だ。
ストーリーは一応うろ覚えではあるが知っていたので、見るべき点は”どう演出され、どう料理されているか?”という点につきる。しかし、緩慢な展開のせいもあるだろう。改めて見てみると少し退屈してしまった。仕方が無いことだが、どうしても既視感を覚えてしまう。
ただ、ラストで少し意外なエピソードが挿話されていて、ここについては面白く見れた。パーキンが今のような隠者生活を送るようになった原因。それがラストで告白される。これには切なくさせられた。
彼は最後まで愛に純真な男だったのだと思う。実は、コンスタンスに求めたものは子供の頃に得られなかった”母性”だったのかもしれない。それが彼の最後の言葉から伺える。
しかし、コンスタンスがパーキンに求めたものは肉体的快楽、およびそれに伴う心的快楽だった。客観的に見れば、彼女は子供を持ちたいという願望を満たすための種付けとしてパーキンを利用した‥と取れなくもない。これはパーキンが求める”母性”、つまり与える愛とは相容れないものである。コンスタンスが求めたのは、自分の母親願望を満たすために捧げられるべき”奉仕愛”だったのである。そこにこの不倫のそもそもの不幸があるように思った。
また、コンスタンスは貴族出の淑女として育った箱入り娘であるから、俗世を生きてきた下男パーキンの気持ちを汲み取るだけの気遣いを持ち合わせていない。パーキンにとっては余りにも無情な関係である。
映像は文芸作品らしい美しい佇まいを見せる。ただし、ベッドシーンに関しては耽美的・陶酔的な美しさがもう少し欲しかった。また、終盤に行くに連れて編集の粗が目立ったのもいただけない。どうしても気になってしまい、物語に中々没頭できなかった。総じて演出面の不満が惜しまれる。
コメディ寄りなホラーといった感じ。
「ゾンビーノ」(2006カナダ)ジャンルコメディ・ジャンルホラー
(あらすじ) 人間とゾンビが共存するもう一つの世界。ゾンビは特殊な首輪をつけられ人間のペットやメイドとして飼われていた。小学生ティミーの家にも新しいゾンビがやって来た。同級生に虐められた所を助けられたティミーは、ゾンビをファイドと名付けて心を通わせていくようになる。そんなある日、首輪が故障してファイドが近所の老婆を噛み殺してしまった。平和な町が一転してパニックに陥る。
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(レビュー) イジメられっ子の少年と心優しいゾンビの友情を、ほのぼのとしたタッチ描いたコメディ。
ホラー映画における一大ジャンルであるゾンビ映画。それをコメディとして料理したセンスを買いたい。残酷描写も出てくるが極力抑えられており、基本的にはティミー少年から見た朴訥とした世界観が構築されている。まるで50~60年代のアメリカを描くサバービア・ムービーのようだ。
とはいえ、一応ゾンビ映画である以上ただのコメディでは終わらない。辛辣なブラック・ジョークも少し入っている。
例えば、ゾンビしか愛せない隣人の存在は面白い。どうして彼がそうなってしまったのかは映画を見てもよく分からないが、趣味嗜好とはいえかなりのド変態で、人間に愛を示せない所に少しだけ同情も覚えてしまう。この屈折した偏愛は気の毒であると同時に滑稽でもある。
もう一つは、ティミーの父親の顛末についてである。これには少し考えさせられる面があった。
町の佇まいが60年代風なら、そこに住む人々の生活リズムや思考もやはり半世紀前のものである。ティミーの家庭は、先進的な母親と古い価値観に縛られて生きる父親。そして、メイドとして飼われるゾンビのファイドで成り立っている。そこでは古風な父権社会がまかり通っている。
ここで着目したいのはゾンビの扱いである。まるで南部社会における奴隷黒人のような卑賤の扱いを受けている。黒人を異端視し社会から阻害した過去の歴史から見ても、ゾンビが黒人のメタファーのように見えて仕方がなかった。アメリカで公民権運動が盛んになったのは50年代から60年代にかけてのこと。ドラマの舞台と合致するのは単なる偶然ではないはずだ。
更に言うと、ティミーの母親の反乱については、60年代に起こるウーマンリブの潮流と重ねて見ることも出来る。映画のラストは葬式のシーンで締めくくられているが、父権社会の終焉を暗喩しているようでクスリとさせるれた。中々エスプリの効いたオチだと思う。
一方、映画の本文であるところのティミーとファイドの友情についてはやや物足りなさを覚えた。淡々とした展開でもう一捻り欲しい所である。
むしろ、俺が興味を引かれたのは、ティミーではなく彼の母親とのささやかなロマンスの方である。ゾンビとの不倫なんて考えただけで病的過ぎるが、中々面白い。ダンスのシーンに奇妙なロマンチズムをおぼえた。ここはこの作品で一番の名シーンだと思う。
ダウナー一直線のドラマで狙いとしては間違ってないんだろうけど、謎解きのカタルシスを求めてしまうと苦しいかな。
「プレステージ」(2007米)ジャンルサスペンス
(あらすじ) 19世紀末のロンドンに二人の若き天才奇術師がいた。類まれなるパフォーマンスセンスを持った”偉大なるダントン”ことアンジャー。抜群のトリック・アイディアで観衆を魅了する”プロフェッサー”ことボーデン。二人は良きライバル関係にあったが、ある不幸な出来事をきっかけに対立するようになる。アンジャーはボーデンへの憎しみから彼のステージを妨害。一方のボーテンも仕返しとばかりのアンジャーのステージを汚した。憎しみは増幅し、やがて取り返しのつかない事件を引き起こす。
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(レビュー) 二人の天才マジシャンの戦いをミステリアスなトーンで綴った作品。
マジックというのは案外タネ明かしすると拍子抜けするものだったりする。それをいかに”魅せる”かがマジシャンの腕なのだろう。
この映画もラストでタネ明かしされるのだが、”魅せる”演出はそれなりにあるのだが、肝心のタネそのものが余りにもリアリティに欠けるもので、拍子抜けどころか「馬鹿にしてるだろう?」と思ってしまった。それまでに登場した全てのマジックにはリアリティがあったのだが、ここだけはもはやマジックという次元では語れない。そのため釈然としない思いが残った。
オチはともかくとして、ストーリー自体は中々面白く見れた。
映画はアンジャーの殺害容疑で起訴されるボーデンの裁判から始まる。そこから二人の過去の因縁が挿話され、殺人に至る動機が振り返られていく。互いの報復合戦が繰り返されるだけなのだが、ミステリー仕立ての話法が上手いため、次はどんな手を使って報復する?といった興味に掻き立てられる。私怨絡みの不毛な争いが空疎感をもたらし、このドラマが伝えるメッセージ、人間の欲心がいかに愚かな物であるか‥ということもよく伝わってきた。
惜しむらくは、悲劇を起こす要因の一つ、不倫のドラマに精彩さを欠いた点である。S・ヨハンソンが渦中の女性を演じるのだが、ここが退屈してしまった。彼女のキャラが弱い。やりようによっては、彼等の憎しみを更に増幅させるべく凶悪な火付け役になれたものを、実に勿体無い使われ」方をしてしまっている。
ちなみに、このドラマには実在した発明家ニコラ・テスラが重要なキャラとして登場してくる。エンドクレジットが出るまで誰が演じていたのか分からなかったが、意外なアーティストが演じていて驚いた。誰が演じているのかは見てのお楽しみである。
また、彼の発明品を巡ってはトーマス・エジソンが登場してくるのだが、これも実在した発明家である。余りにも有名なので皆知っていると思うが、ここでは存外、底意地の悪い爺さんとして描かれている。実際にそうだったという説もあり、これは興味深く見れた。
クライマックスさえ上手く作れていれば‥と惜しまれる。
「第5惑星」(1985米)ジャンルSF・ジャンル人間ドラマ・ジャンルアクション
(あらすじ) 21世紀後半。宇宙に進出した人類はドラコ星と戦争状態にあった。地球人パイロット、ダヴィッジは交戦中に未開の星第5惑星に不時着する。そこで同じように不時着したドラコ星人ジェリーに遭遇する。対立を深める二人だったが、惑星の自然の脅威に晒されていくうちに次第に協力関係を築いていくようになる。そんなある日、ジェリーの身に異変が起こる。
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(レビュー) 異星人間の友愛をドラマチックに綴ったSF作品。派手なシーンは無いものの、ヒューマニズムなテーマに感動させられる。
好戦的な地球人ダヴィッジ。知的で冷静なドラコ星人ジェリー。前半は、キャラの相違と言語の食い違いによるコミュニケーションのズレによって作劇されていく。初めこそ罵りあっていた二人だが、未開の地でのサバイバルは想像以上に過酷なもので、協力関係を築いていくようになる。そこに友情が芽生えていく。
中盤でその絆をいっそう強めるような事件が起こる。ジェリーの身体に異変が生じるのだ。
地球人とドラコ星人の一番の違いは生態的な特徴である。ドラコ星人は雄雌同体である。通常、男女間の性愛を前提としなければ、子孫の繁栄は無い。しかし、ドラコ星人には予め出産の機能が付いているので、単体で子孫を繁殖できるのだ。地球人よりもずっと純粋で優れた生命体と言えよう。ダヴィッジはドラコ星人の生命の神秘に触れることで感動する。それは殺伐とした戦火における生命の奇跡‥つまるところ”死生観”というテーマにまで昇華されていく。
ただ、クライマックスに差し掛かってくる辺りからガラリと作風が変わり、陳腐なアクション映画になってしまったのは残念だった。それまでの丁寧な作りから一転。乱暴な展開を見せ、ご都合主義でドラマに綻びを見せ始める。そもそもダヴィッジは宇宙船に戻る必要は無かったと思うのだが‥。
特撮は一昔前の映画なので世界観の作りに甘い部分が見られる。しかし、ドラコ星人の特殊メイクは良く出来ていて感心させられた。今見ても全然遜色ない。
ドラコ星人ジェリー役を演じるのはルイス・ゴセット・Jr。特殊メイクしながらの演技は結構苦労するものだが、感情の機微をスムーズに伝える名演を見せている。エイリアンということを忘れてつい感情移入してしまうくらいだった。
監督はW・ペーターゼン。ドイツ出身の彼にとって、アメリカ進出第1弾にあたる本作は、前作「ネバー・エンディング・ストーリー」(1984西独英)の世界的ヒットを受けてのことだろう。やはり同系列にあたるジャンル映画になったわけだが、終盤の乱雑さを除けば十分見応えのある好編に仕上げられている。
誰もが持ってる青春時代の淡いロマンスを描いた佳作。
「おもいでの夏」(1970米)ジャンル青春ドラマ・ジャンルロマンス
(あらすじ) 1942年の夏、ニューイングランドの小島に15歳の少年ハーミーと家族が避暑にやって来た。ハーミーは現地の少年達と仲良くなり毎日海に遊びに出かけ、そこで若く美しい人妻に出会う。ハーミーは一瞬にして心奪われた。人妻は夫が戦場に出兵したばかりで海辺のコテージに一人寂しく住んでいた。ある日、町で買い物袋を持った彼女を見かけたハーミーはそれを家まで運んでやる。これがきっかけで、彼女の家に招待されるのだが‥。
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(レビュー) 少年の一夏の恋を綴った青春ロマンス。
ソフトフォーカスで捉えた叙情的描景が心に染みる美しい映画である。朴訥としたムードが、いかにも古き良きアメリカといった感じで心温まる。
物語は、大人になったハーミーの語りで少年時代を振り返る回想ドラマになっている。やや懐古主義的だが、そこで語られる物語は実に堅実に作られている。大人のハーミーにシンクロするかのように、回想ドラマに素直に入り込むことが出来た。
これは、いわゆる年上の女性に憧れる少年の初恋のドラマである。取り立てて目新しい題材ではないが、安直に幕引きしなかった所が良い。また、単なる麗しき思い出だけに終わらせるのではなく、きちんと現実を見据えた少年の成長ドラマとして成立させた所に見応えが感じられた。
特に、人妻とハーミーの初夜を描くクライマックス・シーンは秀逸である。古いレコード、さざなみ、甘いキス‥何もかもが美しく儚いものに思えてくる。しっとりとしたトーンで描かれていて切々と胸に迫ってきた。
ハーミーと地元少年達との交流も、この手のドラマでは定番だが堅実に描かれている。エッチな本を拾って読んだり、干してある下着にムラムラしたり、映画館で女の子をナンパしたりetc.年相応の姿が微笑ましく見れた。特に、ドラッグストアにコンドームを買いに行くエピソードが印象に残った。いかにも性に好奇心旺盛なこの年頃の少年にありそうなエピソードである。
尚、本作の公開3年後に「続・おもいでの夏」(1975米)が続編として作られている。未見であるが、”おもいで”として本ドラマは葬られてしまったわけだから、それを改めて穿り返すような真似は無粋という気がしなくもない。