デ・ニーロ&L・ミネリの好演が光る。
「ニューヨーク・ニューヨーク」(1977米)ジャンルロマンス・ジャンル音楽
(あらすじ) 1945年、ニューヨーク。終戦で沸く夜のナイトクラブでサックス奏者ジミーはナンパに興じていた。その時、ふと一人の美女に目が留まる。彼女は元歌手のフランシーヌ。最初は強引なジミーの誘いを嫌悪するフランシーヌだったが、偶然の再会によって彼のオーディションに付き添うことになった。そこで彼女はジミーの素晴らしい演奏を耳にして心奪われる。こうして二人はコンビを組んでステージデビューすることになる。しかし、そんな矢先、フランシーヌにビッグチャンスが舞い込んできて‥。
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(レビュー) サックス奏者ジミーと歌手フランシーヌのロマンスを華やかな音楽で綴ったラブ・ストーリー。
ジミー役のR・デ・ニーロ、フランシーヌ役のL・ミネリ、共に好演していると思う。音楽物ということではL・ミネリは安心して見れるが、一方のデ・ニーロも演奏こそ吹き替えだが、まるで本当に吹いてるように見せている。この辺りはさすが上手い。
監督はM・スコセッシ。デ・ニーロとのコンビで作られた作品は数多くあるが、二人が組むとなぜか主役が男根主義的な造形になるから不思議だ。「レイジング・ブル」(1980米)のジェイク・ラモッタなどはその最たるものだが、本作のジミーもそれに負けず劣らずの男根主義的キャラクターになっている。冒頭から延々と10分以上もフランシーヌを口説いたり、ツアーに出かけた彼女を追いかけて強引にプロポーズを迫ったり、その独善的なやり方からは、ある種男尊女卑的なエゴイズムが伺える。そして、所帯を持つに至ると、今度は楽団仲間として、妻として、公私にわたって忠義を強制するのだ。
しかし、最後にはそんな彼に全てのツケが回ってくる。この寂寥感漂う結末にはホロリとさせられてしまった。これが独善的な男の末路だ‥とはいえ、余りにも惨めすぎて言葉にならない。きっと、二人はどこかでやり直せたはずである。しかし、こうなってしまってからではもう手遅れなのである。それが男と女なのである。
音楽を通して愛が芽生えるドラマ‥と言うとロマンチックなストーリーに思うかもしれないが、最終的にはそうはならないところが面白い。このあたりは流石にスコセッシらしいと思える所だ。彼のシニカルな眼差しが強く感じられる。
尚、クライマックスのL・ミネリのパフォーマンスは実に素晴らしかった。ここだけは劇中劇という形でミュージカル映画の構造になっていて、彼女のパワフルな歌声が存分に味わえる。その歌唱に痺れた。
また、音楽のみならずファッショナブルに彩られた美術も素晴らしい。さすがにカキワリの背景には違和感を覚えたが、40年代を表した世界観が鮮やかに再現されていて、目で見て楽しむことも出来る作品になっている。
気楽に見れる。
「オーシャンズ12」(2004米)ジャンルサスペンス・ジャンルコメディ
(あらすじ) ラスベガスのカジノから現金を強奪したオーシャンと仲間達は、悠々自適な暮らしを送っていた。そこにカジノのオーナー、ベネディクトが利子をつけて返済しろと乗り込んでくる。期限は2週間。オーシャン達はアムステルダムの豪邸からお宝を奪取しようとするが‥。
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(レビュー) 泥棒稼業の活躍を描いた「オーシャンズ11」(2001米)の続編。
実は、恥ずかしながら前作は見ていない。オリジナル版の「オーシャンと11人の仲間達」(1960米)を見た時に余り面白い映画だと思わなかったからである。シナトラ一家が仲間内でワイワイと騒いでいるだけで、映画としてはどこか気の抜けた物に見えてしまった。それをリメイクしたのだから、きっとシナトラ一家がG・クルーニー一家に変わっただけだろ?そんな風に思ったのである。
そういった頭が最初からあった上で本作を見た。
豪華なキャストを揃えて予想通りの内輪受けな笑いを振りまいてはいたが、映画の出来に関してはそれほど悪いとは思わなかった。
J・ロバーツが”本人”になりきる場面などは何だか微笑ましく見れたし概ね好印象。
何故同じ内輪ウケでもオリジナル版がダメでリメイク版が良かったかというと、リメイクされた方は少なくともエンタテインメントとしてのサービスに徹しているからだと思う。軽快なテンポ、ロケーションの華やかさ、ポップな演出。観客を楽しませようとするサービス精神は「新オーシャン」では見るべき点が多い。特に、前半は多彩なメンバーが登場してくるのでかなり面白く見れた。
ただ、中盤以降は、かなり突っ込みを入れたくなるような内容である。
中盤にタネが仕掛けられていたのは意外性があって良かったが、後半の駆け引きは先が読めてしまい物足りなかった。また、12人目の仲間が続編としての最大のウリだとするならば、渦中の人物を演じるゼタ=ジョーンズの活躍場面はもっと早めに出して欲しいところである。
先述の通り、内輪で盛り上がるパーティー要素の強いシリーズなので、ことストーリーに関しては何事も”緩~く”見てあげる。そのくらいの割り切りを持った上で見れば及第点の娯楽作だと思う。
M・ロークありきの映画。プロレスをよく分かっている演出もGood!
「レスラー」(2008米)ジャンル人間ドラマ・ジャンルスポーツ
(あらすじ) 20年前のスターレスラー、ランディ・ロビンソンは、今や地方のドサ周りとスーパーのアルバイトをしながらトレーラーハウスに一人で暮らしていた。孤独を癒してくれるのは行きつけのストリップバーで踊り子をしているキャンディだけである。ある日、激しい試合がたたり心臓発作で倒れてしまった彼は、医者に二度とリングに上がれないと宣告される。
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(レビュー) 孤独な中年レスラーの生き様を綴ったドラマ。
物語は実にシンプルである。家族に見捨てられた中年レスラー、ランディの再起をかけた戦いを描いていく‥というものである。その中で、家族とは?レスラーとしての人生とは?といった自己葛藤が彼の悔恨と共に綴られていく。かなりウェルメイドなドラマだが、ドキュメンタリータッチな演出が上手い具合に”作り物”嘘臭さを払拭しランディに共感しながら最後まで面白く見ることが出来た。
ランディを演じるのはM・ローク。80年代に人気を博した彼が長期低迷を掻い潜り本作で久々の主演となった。正に自身の俳優人生をオーバーラップさせるような物語仕立てになっており、本作にかける彼の思いも強く伝わってくる。ランディ=M・ロークに見えてくる。
キャンディ役のM・トメイも良い。彼女もまた一時の隆盛を極めた頃から比べると今や下火の女優と言わざるをえない。ここではシングルマザーの年増ストリッパーという役どころである。こちらも体を張った演技を見せ、現実と役柄がダブって見えてくる。
監督は鬼才D・アロノフスキー。前作「ファウンテン 永遠につづく愛」(2006米)は未見なので良く分からないが、この監督はデビュー作から一貫して人間の孤独というものに焦点を当てて映画を作っているような気がする。「π」(1997米)では、電脳世界に埋没していくエンジニアの狂気。「レイクエム・フォー・ドリーム」(2000米)では、ドラッグに溺れていく若者達の姿。いずれも現実逃避の先に見る孤独の闇を見事に捉えきった傑作である。そして、孤独なレスラーを題材にした本作でも、アロノフスキーは人間の孤独と闇を描いている。
ランディは現実に背を向けてプロレスという”ショー”、つまり非現実な世界に生き過ぎた男なのだと思う。しかし、老いとは誰もが避けて通れぬものである。特に、肉体が資本のプロレスの世界では、現役として活躍できるスパンは非常に短い。結果、彼は今や惨めな暮らしを送っているわけだが、そのやり切れない思いはラストの彼のセリフに表白されている。
「俺にとっては現実の方が痛い」
正に現実から遠く離れて生きた人間ならではの言葉であろう。その痛み、孤独、悲しみには涙せずにいられなかった。
尚、アロノフスキーと言えば出自がコニーアイランドである。過去作品にも重要な舞台として登場してきた舞台だが、それが今回も出てくる。このシーンも良かった。一瞬だけ通う娘との交流にしみじみとさせられた。
また、音楽については全編に80年代ロックが散りばめられている。これはランディの黄金時代を彩るという意味ではベスト・チューンだと思う。このセンスも良い。
本作は正にオッサン世代に向けられたような映画である。アロノフスキーはどちらかと言うと少し毛色の変わった偏執的な作品を撮る監督だと思っていたのだが、今回のような正統派な人間ドラマも撮れるという所に新たな驚きも覚えた。彼の今後の活躍がまた楽しみになってきた。
前半はほぼ裸。後半の姿には憐憫の情に駆られる。K・ウィンスレットの演技が一つの見所。
「愛を読むひと」(2008米独)ジャンルロマンス
(あらすじ) 1958年、ドイツ。高校生マイケルは町中で高熱で倒れ、そこを年上の女性ハンナに助けられる。後日、彼女にお礼を言いに行った時に、改めてその美しさに心奪われた。彼女の方もマイケルの純なところに惹かれ、二人はすぐにベッドを共にする。こうして二人の交際は始まる。マイケルがハンナに本を読んで聞かせ、その後に二人は愛し合う。そんな関係が数回続いたある日、突然ハンナが姿を消してしまう。それから8年後、二人は思わぬ形で再会を果たす。
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(レビュー) 純情少年と年上女性の切ないロマンスを、過去の戦争の悲劇を絡めて描いたラブストーリー。
物語は成人したマイケルの回想で綴られる。ハンナと愛し合った少年時代、彼女と不幸な形で再会した青年時代が語られていく。
まず、少年期パートは思春期によくある青い性を綴ったものである。オーソドックスな”一夏の経験”のドラマであるが、すんなりと入り込むことが出来た。身も心も捧げながらこの愛にのめり込んでいくマイケル。しかし、その無我夢中な彼の愛を背負いきれず、ハンナは少しずつ恐ろしくなっていく。自分には年上としての責務をがある。”一夏の経験”をずるずると続けるわけにはいかない。そう思った彼女は、別れも告げず彼の元から去ってしまう。
そして、マイケルの失意を引きずりながらドラマは青年期へと移っていく。法学生になったマイケルはハンナと思わぬ場所で再会する。ここからハンナの知られざる秘密が判明し、幸せだった頃の思い出が過去のものへと漂白されていく。映画は時制を交錯させながら抒情的に描いており、この数奇な運命には切なくさせられた。
そして、最後に再び現在パートに戻って締めくくられる。ここで二人に愛は更に盛り上げられ、永遠の愛として昇華される。見事な幕引きだと思った。
監督はS・ダルドリー。前作「めぐあう時間たち」(2002米)同様、現在と過去を行き来するドラマだが、今回もカットバックは絶妙なタイミングで挿入され、展開に躓くようなところはない。この辺りの自然な演出は実に見事である。但し、学校のシーンにやけに水泳が多い気がした。ここはもう少し変化の工夫が欲しいところである。
C・メンゲスのカメラも美しい。画面は丁寧に作りこまれていて完成度が高い。
そして、何と言っても主演二人の演技が見事である。
ハンナ役を演じたK・ウィンスレットは臆することなくベッドシーンに挑戦し、前半はほぼ全裸状態である。元来演技のポテンシャルは高い女優だったが、ようやくこの体当たりの演技で念願のオスカー受賞となった。後半の愁いを帯びた演技などを見ても納得の受賞だと思う。惜しむらくは晩年の演技である。さすがに倍以上の老け役は難しいという気がした。メイクのせいもあるだろうが、枯れた味わいがもっと欲しい。
一方、若い頃のマイケルも中々に良かった。性に対する欲望を初々しく体現し、ハンナに翻弄される様も実にハマッている。決して美形俳優ではないが、彼女と肉体関係を重ねることでどんどん逞しい顔つきになっていく辺りは良く考えられていた。
一方、本作を見ていて腑に落ちない点もあった。それは、ハンナが何故頑なに秘密を隠そうとしたのか?その理由である。プライドのためなのは分かるが、実際には20年という期間もあればどこかでその秘密はバレると思うのだが‥。弁護士への接見は?友達や親戚縁者は一人もいなかったのだろうか?このあたりの説明が加わればラストの感動にいっそうの説得力が備わったように思う。
すごいインフレ‥
「トランスフォーマー/リベンジ」(2009米)ジャンルアクション・ジャンルSF
(あらすじ) オートボット軍は地球に残ったディセプティコン軍と激しい戦いを繰り広げていた。大学生になったサムは、恋人ミカエラを残して旅立とうとしていた。その矢先、彼はディセプティコンが狙っているキューブの欠片を発見する。ミカエラにそれを託してサムは一路大学へ向かった。ところが、彼の頭の中にキューブから受け継がれた謎の暗号文が刷り込まれてしまう。サムを巡ってオートボットとディセプティコンの戦いが熾烈を極めていく。
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(レビュー) 同名アニメを実写映画化した「トランスフォーマー」(2007米)の続編。
新しいロボットが続々登場して、前作以上に派手なドンパチが繰り広げられている。人型ロボットには「T3」か!と突っ込みを入れたくなったが、仮に続編が作られるとしたらコイツの存在が展開を面白くするかも‥なんてことを考えた。
ただ、確かに前作を上回るCGシーンには感服するが、正直なところ楽しめたかというと否。前作が牛丼(並盛)だとしたら今回は(大盛)になったというだけで、食べてみた感動は余り無かった。すでに新鮮味が薄まってしまったということかもしれない。
かたやドラマはというと、これもかなりお粗末。
前作はエイリアンの侵略というサスペンスが映画前半を牽引し、尚且つ巨大ロボットが目の前に姿を現すという衝撃がドラマを新鮮なものに見せていたのだが、今回は初めからロボット同士の戦いがすでにあってそこにサムが関与していくというストーリー。貧弱青年サムの成長を描こうとしたのだろうが、ハナッから地球の命運を背負えるような器じゃないことは誰が見ても分かりきっていること。今回もあっちへ逃げ、こっちへ逃げ、都合の良いように助けられ‥。何でもありな状況に呆れてしまった。
更に、難を言うと新キャラの存在である。女好きで臆病という所ではサムと同類型に入るキャラクターだ。彼のおかげで幾つか笑わせてもらったシーンはあるが、ドラマに動きを与える上ではサムとの差別化をぜひ図って欲しかった。でなければ、登場する意味が無い。
サムの両親の立ち回りにも不満が残った。パリに行く必然性が無い。クライマックスを盛り上げるために人質になるが、これがかえってドラマを散漫にしてしまっている。
M・ベイの映画に突っ込みを入れるのは野暮‥というのはお約束だが、今回は前作以上に酷い出来だと思った。
まぁ、色々と不満は残ったが、とにかく巨大ロボットが戦う姿を見たいという欲求には素直に応えてくれる作品である。むろん作り手も側もそれを一番に考えて作っているのだろうから、そこについては評価できる。
緊張感が持続するハードなサスペンス作品。
「チェイサー」(2008韓国)ジャンルサスペンス
(あらすじ) デリヘル業をしている元刑事ジュンホは、相次ぐ売春婦の疾走に悩まされていた。相手の客の電話番号がいずれも同じものだったことに気付いた彼は、シングルマザーのデリヘル嬢ミジンを彼の元に送り込む。ところが、彼女とも連絡が途絶えてしまった。心配したジュンホは現場近くまで急行。格闘の末、どうにか犯人を捕まえた。ところが、警察に連行された犯人はあっけなく殺害を自供した。ただ、ミジンの生死については何も語らなかった。ジュンホはミジンの生存を信じて奔走する。
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(レビュー) 韓国で実際に起こった連続殺人事件をベースに、元刑事と殺人犯の戦いをパワフルに描いたサスペンス作品。
デリヘル嬢の連続失踪に不審をおぼえるジュンホの追跡が序盤からスリリングに描かれており、すぐに映画の中に入り込めた。そして、劇中では割と早い段階で犯人ヨンミンは捕まる。しかし、ここからドラマはもう1段階、別の方向に転がり出し、失踪したミジンの救出劇へと展開されていく。全体的にストーリーはスピーディー飽きなく見れた。但し、欲を言えばもう少しタイトにまとめて欲しかったか‥。全体を通しての緊迫感は中々のものがあるが少々長すぎる。
何と言ってもこの映画は犯人ヨンミンの圧倒的な存在感に尽きると思う。この狂った演技は凄まじい。ミジンを風呂場で縛って殺そうとするシーン。ノミとカナヅチで頭を割って殺そうとするのだが、何回も失敗する。正直やり過ぎという気がしなくもないが、これがリアリティーをもたらしている。韓国映画にはこうしたグロテスクなバイオレンス描写がたびたび登場する。それを臆せず出してくる所に毎回度肝を抜かされる。例えば、パク・チャヌク監督の「親切なクムジャさん」(2005韓国)のクライマックスシーン。これは良識的な見地からするとかなり問題アリな名シーン(?)なのだが、それに似た泥臭く、血生臭く、暗いトーンが感じられた。実におぞましい。
そして、ヨンミンの狂気は逮捕後も続く。意外にもすぐに犯行を認めてしまうのだが、死体の遺棄については黙秘を通す。警察の尋問をノラリクラリとかわし、まるでゲームを楽しんでいるかのようにさえ見える。実に憎々しい。
加えて、犯行動機も明かされない。一応、劇中では性的コンプレックスとして片付けられているが、果たして本当にそう簡単に割り切れるだろうか?
ここからは想像だが、彼が親戚一同から爪弾きにされた経緯。ここに彼を殺人鬼に変えたそもそもの原因があったのではないかと想像できる。
彼は母親の愛を受けられなかったのではないだろうか?母への憎しみ、それが女性という存在そのものへの憎しみに繋がっているような気がしてならない。これはシングルマザー、ミジンを巡るドラマから推測しても合点がいく。
途中からミジンの娘がドラマに関わってくるのだが、これは明らかにミジンの母性を表すものである。そして、ヨンミンの幼児期と”対”を成すものだと思う。ミジンを殺害しようとする行為は、すなわち母性を消滅させようとする行為であり、ヨンミンの母への復讐という解釈も出来る。こう考えると、この作品は単なるサスペンス映画というジャンルで括れない、犯罪者の心理を抉った奥の深い人間ドラマのように思えてくる。
ただ、実に骨太で緊張感に溢れた傑作であるが、大きな不満点が一つだけあった。それは事件を追いかける警察の描写の仕方である。これには何度となく突込みを入れたくなってしまった。
冒頭の市長警護の失態に始まり、警察はヨンミンに振り回されっぱなしで何一つ良い所が無い。終いにはジュンホにまで手を焼く始末である。実話が元になっていることを考えると、案外ここまで”だらしなかった”のかもしれないが、映画として見た場合、そのせいでサスペンスの緊張感が後退してしまった。警察内部に一人くらい犯人と真っ当に渡り合えるようなキャラがいても良かったように思う。