映画「永遠の0」に震えた!
2013年12月21日。映画「永遠の0」公開されました。
すでに公開初日で興行収入(興収)見込み60億円の好スタートを切ったようです。
この日は僕にとって忘れれない日となるでしょう。
小説「永遠の0」はすでに5回程読み返しています。読む程に違う発見と感じ方をしてしまう不思議な小説。
作家・百田 尚樹さんのデビュー作にして非常に魅力に満ちたストーリー。デビュー作らしい荒削りな文章運びや丁寧に描きすぎる文章部分もありますが、そういった点を踏まえて皆を虜にする所があるのでしょう。
実は、ここまでこの小説に思い入れがあるのは「まるで自分の事が小説化されたような」錯覚に陥ったからでもあります。
頑固な下町のシート職人だった母方の祖父は孫の接し方が本当にぎこちない人でした。
新小岩に小さな小さな工場を持っていて、無口だけど腕が立つ「ザ・職人」という人でした。
盆栽趣味もあり、その小さな木に針金で作った鳥を添えたり、小さな小さな凧を引っ掛けたりとまるでジオラマのような遊びを加えて楽しむ点は私のジオラマ趣味の原点といっても過言ではありません。
そんな所が私が似ていてるね〜、祖母が言った事を覚えています。
戦時中はマレー半島にて陸軍の工作兵として赴任しており、電柱にのぼって作業中に爆撃を受け、足の指すべてちぎれて四方に飛び散ってそれをあわてて拾って無理矢理包帯で固定したから親指と小指を付ける場所を間違えた!という話は小学2年生の私にはあまりにも衝撃的でした。ジャングルでトラに遭遇したとか体長2メール以上もある大蛇の話など心躍る話、たった一度だけ話してくれました。
その好きだった祖父が亡くなった時に、実は戦後再婚した相手であって、私たちとはまったく血が繋がっていない事実を聞かされたのです。
母の本当の父親は海軍の軍艦乗りで、南方の海戦で帰らぬ人となっているという事。
戦後、祖母1人で3人の子供を養う事は困難だと考え、生活を最優先してすぐに再婚した事。その事で実の祖父の実家から冷たい女だと罵られ、3人の子供のうちの長男、次男を手放した事・・・。
もの凄く衝撃を受けました。
血がつながっていると思っていた職人気質でミニチュア好きな祖父、本当に血が繋がっている戦死した祖父。
2人の祖父の存在。
残念ながら上艦していた艦名も、戦った海戦も解らないまま祖母も私が大学の頃になくなりました。
自分の境遇とシンクロしてしまう小説「永遠の0」。
その小説が映画化、しかもなんとなんとなんと敬愛する山崎貴監督によって映画化!!!!
これは本当に嬉しく何か運命的なものを感じました。
2012年の夏に空母赤城の搭乗員のエキストラ募集があり、これは絶対に参加したいと写真&募集書類を送り結果を待ちました。
するとなんとなんと合格!!
次にクリアーしなければならなかったのが、真珠湾攻撃の零戦を送り出す「帽ふれ」の重要なシーンがあるので「5分刈りの坊主になる事」でした。
こんなチャンスは滅多にないので、中学生以来の丸坊主になり、8月の千葉で行なわれた空母赤城の原寸大セットでの撮影に参加する事になりました。
千葉の白浜に作られた空母赤城の艦橋付近の原寸大セット。
そのほとんどを山崎監督の得意とする VFXで作ると思っていたので、原寸セットといえどもブルーバックの固まりのようなものだと想像していたのですが、嬉しい事に迫力ある艦橋が半分再現されていました!
(上記の写真は映画永遠の0の公式ツイッターで紹介されている写真です。)
そしてこのセットで水兵を演じていた・・・・
坊主バージョンのアラーキーです!。
空母赤城の甲板で零戦の整備を行なう水兵。エンカン服という白いつなぎを着ています。
背中には防毒マスクを背負っています。
現在の私は40過ぎておりますが、この当時の水兵は20代の若い兵士ばかりだったでしょう。
(ちなみに私の写真は特別な理由により撮影出来た写真であり、通常のエキストラでの参加では写真撮影は一切禁止されております。)
山崎監督が「カメラ越しに見るその光景はまるで記録映画を見ているようだった」と感想を述べていたように、丸坊主の赤城の役者さんとエキストラで撮影された帽ふれのシーンは夕日の中でとても美しい絵になっていました。
なんと嬉しい事にこのシーンの VFXの映像がyoutubeで公開されています。
艦橋の右側あたりで帽子を振っている固まりの中に私がいるのです。
実際の映画の画面では、目を凝らしてもハッキリと自分だと解る訳ではありません。しかし、歴史に残る名シーンに参加出来たという名誉で十分です。実際には千葉では2日間の撮影に参加して真珠湾攻撃のシーンと、ミッドウエー海戦に突入するシーンの撮影に参加しました。宮部を演じていた坊主姿の岡田さんは小説の中の宮部のイメージにピッタリで、この時に映画の成功を確証したのでした。
私の本当の祖父が見たかもしれない海の光景。そして戦争の恐怖。
赤城に乗船していたかもしれません。
この甲板の上でふと、祖父に出会えたような感じがしました。
この映画は基本は現代劇なので、上記の戦時シーンの撮影以外の現代シーンの募集もあり、こちらも合格して参加しています!
撮影50日目の2012年の09月1日。
北総鉄道の車両を貸し切っての撮影でした。小室駅より三浦春馬さんやエキストラさんを乗せて出発し、電車の中でのシーンと駅の改札のシーンを撮影しました。
なんと電車の中のシーンでは助監督のその場での判断で私がカメラ正面に配置されておりますので、映画の中では一瞬ですがハッキリと私の後ろ姿を確認できます。
こちらのシーンの撮影風景も公式ツイッターで公開された写真に写っています!
右側の坊主のサラリーマンが私で、水色のポロシャツの方が助監督さん、その場所に三浦春馬さんが立ちます。
実はこの車両の遥か後方には私の妻もエキストラで参加しており、映画のシーンではまったくその姿は解りませんが、夫婦そろってこの映画作りに貢献しています!
この映画は荒木家にとっても重要な思い出の作品となりました。
自分の思い入れがある分を差し引いても、この映画は今まで見た映画の中ではもっとも心を振るわせた名作である事は間違いありません。
単に「泣けた」という言葉を使いたくない、心が何かと共鳴する感じ。映画を見終わった後に余韻がいつまでもいつまでも続くこの感じが、どうも上手く表現出来ずにモヤモヤとしてしまいます。
小説の映画化は少なからずいろいろな不満や物足りなさを感じる物ですが、この映画は百田さんの小説をベースにして見事に「映画版・永遠の0」として進化している脚本が本当に良く出来ているのです。単なる戦争の悲劇を押し付けるようにまとめあげる脚本は数あれど、山崎監督のまとめあげたストリーは一貫して「人を思う事」を書き上げていると思いました。
そして戦時パートの VFXの映像が、「日本の映像技術はこれほどにも進化しているのか!」と驚愕します。
潮の香り、南方の熱い風、風切り音、艦船の焼けた鉄板の温度、ジュラルミンのたわみ、硝煙とエンジンオイル、血の匂い・・・・CGが凄いという軽い表現ではかたり無くない、昭和19年そのものの世界がまさにそこにあるようです。
調布にある VFX職人集団の白組の力、それをまとめあげている VFXディレクター渋谷さんの力。
fecebookで知り合ったGCアーティストの帆足さんの力。
小さな力ですが私と妻の力も加わってこの映画が産声をあげました。
是非とも劇場でこの思いを共感してください!
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