ひろの世界: 2015年6月

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2015年6月

2015年6月29日 (月)

世田谷美術館

見たい絵があったので、世田谷美術館へ行った。

 

雨が降ってため、ランチをした店からタクシーに乗った。

 

ドライバーはナビを見ながらの運転で、到着したビルはかなり地味。
ここ? と疑問に思った。
記憶にある美術館とかなり異なる。
とりあえずおりて入口に向かう。
受付は守衛室のような造りで、窓口から中年男性が顔を出した。
「ここ、美術館ですか?」と聞くと、
「いえいえ、こちらは事務所です。美術館は建物に沿ってぐるっと回ると入口があります」
そうだろう、地味すぎる。

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教えられた通り、ぐるっと回るとオブジェが見えてきた。
美術館らしい光景だ。

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雨に濡れた緑の葉がとても美しく、都会にいながら森林浴を楽しめた・・・わけではない。
晴れた日にまた来ようと思っただけ。
雨では庭に出られないし。濡れるのも嫌だ。
水が滴るのは木々の葉だけで良いと思うよ。

2015年6月28日 (日)

夏型過敏性肺炎 その5

点滴でプレドニンを入れることになった時の看護師(当時は看護婦)の言葉が酷かった。

「50mgなんて結構多いから、顔がまんまるになるよ。ぶくぶくって」と嬉しそうに言った。

所謂ムーンフェイスのことか。
食欲も旺盛になるらしい。

感じが悪いのは地方の看護婦だから、レベルも低いのかとその時は思ってしまった。
当然のことながら個人差だろう。
他の看護師は親切だったし。

ステロイドを摂取するようになると、昨日書いたように食事が制限される。
リンク先の食事はとてもおいしそうに見えるが、実際はあんなものではない。

茶碗一杯のごはんとおかずだが、肉も魚も猫でも足りないと思うほどの量。
我が家のモモちゃんだったらペロッとひとなめで終わりそうだ。
間食は禁止されているから、家族からの差し入れもない。
ただし、バナナ三分の一とか、リンゴ少々とかのおやつがでる。

ステロイドの効き目は素晴らしく、呼吸はすぐに楽になった。
治療を始めたのは結果オーライだった。
検査の結果を見ながら、徐々に薬は減らしていくそうだが先は遠い。

2015年6月27日 (土)

夏型過敏性肺炎 その4 

大きな移動式のボードいっぱいにCTの写真が貼られ、その周りのソファにドクターと相方が座る。

私はベッドの上。
完全な観客席だ。当事者なんだけど。

検査の結果が出るのに1週間ほどかかるので、まだ病名はつかない。

「検査の結果を見てから治療を始めるのでは間に合いません」とドクター。
「間質性肺炎の種類によって治療法は異なります。」
そんな事を言われたように思う。
「ステロイド治療を選ぶとして、ステロイドが全く効かない場合もありますし、逆効果になる場合もあります」
私は医者ではないから、多少ニュアンスが違ったかもしれない。

結果として、効かなかろうが、逆効果だろうが、今投与を始めないと、どちらにしろ危険区域にはいっているらしい。
じゃあ、飲むしかないだろう。

そして治療が始まった。

プレドニン一日50mg。
かなりの量だ。
副作用も大きいらしい。
食事も糖尿病患者と同じカロリーになる。
一日1400Kcal。

食事のイメージは↓
結構寂しい・・・

http://www.ajinomoto.co.jp/lcr/palzero/menu/recipe1011.html

2015年6月26日 (金)

夏型過敏性肺炎 その3 検査 

最初の検査は多分肺生検だったと思う。
初期の血液検査には異常が見られなかったが(風邪かなと思ったときに一度検査をしている)、この頃には色々な所見があったのだろう。

当時、肺にキノコが生える奇病が話題になっていた。
まさかそれでは?と少し不安。
部分麻酔をして肺に器具をいれ組織を取りだす。結構厳しい検査だ。
それから10年以上たっているから、現在はもっと検査方法も進歩しているはずだ。

http://medical-checkup.info/article/73330606.html

↑多分これ。

部分麻酔は喉のあたりだけだから、検査の様子ははっきりわかる。
CTを見ながら、肺の組織を取る。
「もうすぐ終わりますから」
「もう終わります」と言われながら、なかなか終わらない。
それでもなんとか終了。やれやれ。
しばらくは血痰が出るかもしれないと言われた。
まあね、肺を傷つけたわけだからそうなるよ。

その夜、相方が呼ばれた。
病室でCTを見ながら担当医とその上司に当たる医師を交えて状況の説明があった。

2015年6月25日 (木)

プラチナ通りのレストラン

病気の話ばかりでは何なので、気分を変えて中華の話。

プラチナ通りという通称を聞いたときは、笑ってしまったが考えてみたら白金(しろかね)=白金(はっきん)=プラチナと思いついて納得。

以前住んでいた場所に近く、土地勘はある。

その通りの真ん中くらいにある中華料理のレストランだ。

パパイヤをくりぬき、その中にスープを入れて蒸した料理が一押し。
久しぶりにこの店を訪れた。

Shirokanetei3

座席から見える街路樹の緑が目に鮮やかだ。

Shirokanetei1

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バカラのシャンデリアがかわいい。

通路にも絵画が↓

Shirokanetei4

エレベーターのわきには陶器の人形↓

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飾られている絵画も調度品もすべて上品で、中華独特の色彩のくどさはない。

レストランは2階にあり、1階は喫茶になっている。

以前はケーキも売っていたのだが、現在はない。
HPは↓

http://www.shirokanetei.com/

以前にも少し紹介したことがある↓

この頃には確かにケーキもあった。

http://aono-hiro.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-93d5.html

2015年6月24日 (水)

夏型過敏性肺炎 その2

次の日、キャリーバッグに入院用品を詰めて家を出た。

電車で小一時間。
当時はまだその駅にはエレベーターもエスカレーターもなかった。
階段を昇るのにかなり息切れがする。
階段の途中で2,3回休憩。

駅から病院まではタクシーを使う。
病棟へ行くとすでに準備はできており、部屋へと通された。
「ひとりで来たんですか?」と驚かれたけど。
そのフロアーでバストイレ付の個室は一つだけ。
でも、入る人は殆どいないようだ。
料金は都内の病院の半分以下。
かなりやすい。ただし、古い!

ドアを開けると、何故か流し台がある。
その向こうにまたドアがあり、居室になっている。
見れば洋服ダンス、食器棚、ソファセット(7ー8人は座れる)ベッドが置いてある。
どれも結構年代もの。入院中使うことはなかった。

浴室、トイレ、洗面所は居室からドアで仕切られている。
バスタブはやたら大きい。
お湯を入れるのも時間がかかりそうだ。
ベッドが大きく清潔なのが救いだ。

主治医は昨日のドクターではなく、20代後半から30代前半くらいの女性のドクター。
昨日の50台の男性のドクターよりずっとてきぱきしているように見えた。

パジャマに着替えるとすぐに回診があった。
次の日から検査が色々とあるらしく、その説明を受けた。

検査の時は家族の誰かが待機してくださいと言われたが、一体どんな検査なのだ?

仕方ないので、一番時間のありそうな親族に電話をして朝早くに来てもらうことにした。

その日はまだ暑さの残る季節で、窓から見える銀杏並木の葉は濃い緑色だった。

2015年6月23日 (火)

夏型過敏性肺炎 その1

東名高速を降りて20分ほど山の中の道を走る。
片側は崖、片側は山。舗装されているのでまあよかった。やがて病院の門が見えた。

そこからまた坂を走る。
両側には林。
ずいぶんと田舎に来たものだ。
5分ほどで病院の駐車場についた。
こんな山の中だからすいているかと思ったがとんでもない。
駐車場は車でいっぱい。
入口から一番遠くの場所に停める。

呼吸器科の前で待つことしばし。

ようやく呼ばれて診察を受けた。
50代前半と思われるドクターの顔が結構厳しい。
「サチュレーションを測りましょう」とのこと。

パルスオキシメーターと呼ばれる小さな機械を私の指に挟んで血中の酸素飽和度を測った。

サチュレーションとは血中酸素を示す。血液中に溶け込んでいる酸素の量が%で示される。健康であれば100%に近くなり、肺疾患などがあれば%は減る。

私の場合、サチュレーションは90%を切っていた。
確か87くらいだったと思う。
だが、全く知識のなかった私はそれを聞いても何も思わなかった。
「それがなにか?」状態だ。

「明日、入院してください」とドクター。
「それは困ります。仕事もあるし、他にも色々と・・・」といい始める私をドクターが遮った。
「あなたは十分に重篤な状態です。レントゲンとCTを撮ってからお帰りください」

この期に及んでも「へえ、そうなんだ」程度の感想しかなかった。

2~3日の入院のつもりで聞いてみた。
「入院中、車を駐車場に置きっぱなしでも構いませんか?」
「それは困ります」とドクター。

今考えると当たり前だ。結構大きな病院だから、入院患者がずっと停めておいたら外来患者が困る。

とりあえず、レントゲンとCTを撮って帰宅した。

2015年6月22日 (月)

夏型過敏性肺炎(序)

夏型過敏性肺炎とはどういう病気かは↓を参照。

http://kokurinkyo.jp/top/80-2.pdf

ひとことで言えば、カビによるアレルギー疾患の一つ。
カビの胞子を吸いこむことで肺炎をおこし、呼吸困難になる。

誰かの参考になるかもしれないと思い、経過を書くことにした。

ことの始まりは、10年ほど前のイタリア旅行になる。

http://aono-hiro.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-dc5d.html

旅行から帰宅した時、風呂場が酷く汚れているのに気づいた。

黄砂が多い年でもあったので、埃はそれが原因かと思っていた。

帰国してから、家族ともども体調がすぐれない。
あの飛行機の隣に座っていた人のせいか?
何か病気をうつされたか?↑参照

連日掃除をするも、すぐに埃が溜まる。
微熱もあり、朝起きると息苦しさを感じる。
まさかあの風呂場の埃のせいだとは思わなかった。

相方は単身赴任なので家を離れ、やがて症状は軽快した。

私はといえば、ひどくなる一方で、呼吸もますます苦しくなった。
仕方なく、知人のいる神奈川県のとある病院で検査を受けることとなった。
車を運転して病院へ。
東名高速道路で1時間以上、降りてからも20分ほどかかる山の中にその病院はあった。

2015年6月21日 (日)

南青山のフレンチレストラン(後)

この店のオーナーはブタが好きらしい。

飾るのも食べるのも。

スタッフの女性に案内されていくつか写真を撮ってみた。

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こまごまとしたアイテム↓

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羽を持ったブタ。
テンシのブタ?

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↓はザリガニ?

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ブタはラッキーアイテムだそうなので、調べてみた。

ブタに関する話

ブタの体脂肪は14~15%!
繊細で綺麗好き
韓国では、夢にブタが出てくると、金持ちになれるという
中国では、お正月に玄関にブタの絵を貼る(多幸のシンボル)
焼かれた豚が歩いている(古代ギリシャ・ローマの諺で、棚からぼた餅と同義)

一番驚いたのは、体脂肪率!!!
それであの体形?
不思議だ。

2015年6月20日 (土)

南青山のフレンチレストラン(前)

メインストリートから少し入ったところにあるフレンチの店。

http://restaurant-tani.com/index.html

Rtani
店内に入り、着席すると目に入るのはバレリーナのブロンズ像。

Rtani1

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このお店のオーナーはバレー関係者なのか、バレーが好きなのか。

窓ガラスも、ライトニングも、パーティションも同じ紋様。おしゃれな造りだ。

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食事はボリュームのあり、コスパも良い。

味もなかなか。お得感もある。
デザートもさっぱりしていて美味しい。

2015年6月19日 (金)

鴨居玲 2

彼の作品の認識が変わったのは↓の絵を見てから。

Kamoimrx
これは自画像であるが、心臓発作に襲われた時の顔。

壮絶と言うか信じられないというか。

晩年には描くことができない状況を、作品に描いた人物を周りに配して自画像を絵がいている。

有名な一枚・・らしい。

Kamoi

詳しくはこちらのレポートへ↓

http://www.museum.or.jp/modules/topics/index.php?action=view&id=656&toNews

絵には関係ないが、画家本人の写真集が出版されている。
これは稀有なことで、そもそも鴨居玲が昔のイケメンであったことから写真集ができたらしい。

ポストカード(画家の!)も数枚ショップに置いてある。

ストイックな感じが受けているのかもしれない。

2015年6月18日 (木)

鴨居玲 1

鴨居玲展へ行ってきた。

寡聞にして「鴨居玲」の名を知らなかった。

展覧会場へ足を踏み入れて最初に思ったのは「暗すぎて私の好みではない」ということ。

Kamoiobaasan

Kamoidouke1
彼の作品は殆どが人物で、建物は教会を描いたもの。
その教会も彼の精神を映し出したものだからだそうだ。

他の題材は非常に少ない。

入口や窓のない教会、そして小さな十字架や十字の影。

Kamoikyoukai1

Kamoikyoukai2_2

興味ある方は東京ステーションギャラリーへ。

http://www.ejrcf.or.jp/gallery/

2015年6月17日 (水)

地の果て

  • ナショナルジェオグラフィックより
  • http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20150219/436221/

  • Chinohate2

    Chinohate1_2

  • 2015年6月16日 (火)

    青ヶ島

    東京の南358kmにある島

    ネット上で見つけた写真だが、活火山の島に人が住んでいるという。

    不思議な形状の島だ。

    Aogashima

    青ヶ島の住んでいる方のブログを見つけた。

    http://aogashimaauralife.seesaa.net/

    当たり前だが、普通の生活。

    2015年6月15日 (月)

    マキシム閉店

    近所のデパートへ行くと、いつものケーキショップがなくなっていた。
    小さいホールのチーズケーキが1000円で手ごろだったので愛用していた「マキシム」

    小さいけれど濃厚なので4つに分けても十分だった。

    ケーキショップだけ撤退したのかと思っていたら、マキシム全体が撤退らしい。

    http://ginza.maxim-s.co.jp/pdf/1504_close.pdf

    長く続いていた店だけにとても残念。

    銀座 ソニービル地下2階          -6月30日閉店
    東京駅前 大丸東京店1諧          -6月30日閉店
    渋谷 東急本店地下1諧           ー6月10日閉店
    羽田 羽田空港第2ターミナル3階フードプラザ
    池袋 東武池袋地下1諧           -6月30日閉店
    大宮 エキュート大宮
    川崎 ラゾーナ川崎プラザ1諧        ー5月31日閉店

    だそうだ。

    hikarieにはカフェが残っているそうだから行ってみるかな。

    2015年6月14日 (日)

    猫と過ごした日々 3

    猫は死ぬ時には姿を隠すという。

    だが、我が家の猫は自分の籠(ベッド)の中で息を引き取った。
    見守ったのは私。
    親は何をしていたのだろうか、今思うと不思議だ。

    動物病院にも何回か連れて行った。
    獣医さんが大嫌いで、威嚇して唸り、揚句に尿までひっかけた。
    獣医さんは多分慣れていたと信じたい。

    死んだのは夏。
    死んだ瞬間ノミが体から跳ね上がったことが強烈に目に焼き付いている。
    ノミはわかるんだ、とぼんやりと考えていた。

    新しいタオルに包んで、裏庭の隅の木の下に埋めた。
    周囲に草花で飾ったのを覚えている。

    ここでも親の姿は記憶にない。

    思うに、決して動物好きではなかったのだろう。
    動物が好きな私に丸投げしていたのではないかと推測する。

    犬は飼うことは許されなかったので、独立したら飼いたいとずっと思っていた。

    自分の家庭を持ってやっと飼うことができたのだが、親族に犬アレルギーがあると発覚。
    モモちゃんの後は飼っていない。
    うまくいかないものだ。

    2015年6月13日 (土)

    猫と過ごした日々 2

    私の掛け布団の足元で寝るのが習性だった我が家の猫。

    足の上が重いのはいつものことだが、何か違和感がある。

    夜中に目を覚ますと、目を疑う光景があった。

    何と、私の蒲団の上でお産をしたのだ。

    お腹が大きいのは知っていた。
    親が部屋の隅にそれらしき場所を用意。
    いつでもお産ができる状態だったのに、何故私の蒲団の上で・・・
    なにしろ、10代前半の時の話。
    私はパニックになったのだと思う。後で親に聞くと大声で叫んだらしい。
    母親が寝具を始末。
    新しい布団で寝るように指示された。
    猫の親子は部屋の隅のそれらしき場所に移されたようだ。

    子猫たちはすくすく育ち、それぞれ貰われていった。

    今だったら、血統書付以外はもらわれることはないだろう。

    その後何回か子猫を産んだが、年をとるにつれて母乳が出なくなった。
    そのたびにスポイトで子猫にミルクをやるのが私の仕事だった。

    動物を飼いたいというのは子供で、世話をするのは結局母親というパターンが多いと思うが、我が家では母親が拾ってきて世話は子供。
    当時は不思議にも思わなかったが、今は何故こうなったのか理解できない。

    2015年6月12日 (金)

    猫と過ごした日々 1

    私が小学生から中学生のころまで、家には猫がいた。

    当時の猫は例え飼い猫であっても、自由奔放に生きていたと思う。
    猫の虐待の話も、家から出すべきではないという意見も殆どなかったようだ。

    そんなわけで、我が家の猫もかなり自由。
    ベランダに猫専用の入口があり、ニャーンと鳴けば誰かが戸を開ける。
    誰も気づかないと、戸を開けてもらえるまでボルテージを上げまくって鳴く。
    私が真夜中に眠い目をこすって戸を開けたことも何回もある。
    今にして思えば、私の親は気づかないふりをしていたのか、眠気に勝てなかったのか。

    そんな猫だから家出も頻繁だった。
    ひと月ぐらい帰ってこないことは当たり前。
    最長6か月の不在もあった。

    親は「そのうち帰ってくる」と放置状態。
    実際、そのうち帰ってきた。

    6か月も家出していた時は、帰宅時にはみすぼらしく汚れていた。
    ベランダで「ニャーン」と鳴くので私が戸を開けたいつものパターン。
    そのままでは家に上げられないので、お風呂場でシャンプーで洗濯。
    嫌がって暴れて引っ掻かれた。

    そんな状態だから、猫は私を保護者と認定していたらしい。

    ある日、とんでもないことをしてくれた。

    2015年6月11日 (木)

    ペキニーズ(うるん)

    たまにはワンちゃんの写真を。

    今回はどうやら顔がわかる。

    ペキニーズには広すぎる広場。
    走っている数少ない写真。

    Dsc03085s

    Dsc03126s

    Dsc03256s

    Dsc03259s

    2015年6月10日 (水)

    夏型過敏性肺炎

    間質性肺炎の一種。

    今までに3回大病をしているが、そのうちの一つ。

    夏になると今でも定期的に検診に通っている。

    先日も行ってきたが、今のところは大丈夫のようだ。

    患ったのはもう十数年前。

    お風呂場のカビが原因だ。

    この病気がまだあまり知られていない頃で、病名がわかるまで結構時間がかかった。

    今ではポピュラーな病名になったらしい。

    そのうち、この病気に関して少しずつ書いていこうかと思う。

    2015年6月 9日 (火)

    銀行にて 5(最終)

    結局、お互いに納得したので、名義人の職場の電話番号と携帯番号を教えた。

    「仕事場では受付が出ると思いますよ。本人は仕事中は携帯には出ませんけど」

    行員は両方の番号にかけてみたものの、やはり連絡はつかなかったようだ。

    「では、通帳と振込用紙をお預かりして、後日書留で通帳をお返しするということでどうでしょう」と彼は提案してきた。

    これで落着するはずだった。

    だが、ふと思いついて言ってみた。

    「それでもいいですけど、キャッシュカードの限度額を変えてもらえればそれで済む話だと思います」

    「カードの種類によりますが、どのカードをお持ちですか?」

    私がカードを出すと、
    「それでしたら、すぐディスペンサーで出来ますよ!」

    「えっ? そうなんですか。以前確か金額の上限があってダメだったような気がしますが」

    私はこの銀行での口座は引き落としと少額の引き出しに使うだけ。
    仕事上の振込は別の銀行でまとめて行っている。
    かなり前だがここでは100万円を超えると機械では振込ができなかったと記憶している。
    だから今回窓口に来たのだが・・・

    それから限度が変わったのだろうか。

    「お互い無駄な二時間を過ごしましたね。最初にキャッシュカードの話をすれば、一分で終わったのに・・・」

    その後、相方に「お待たせして申し訳ありませんでした」と行員から電話があったそうだ。

    何とも間抜けな話だ。

    思い込みは恐ろしい。

    銀行もこういう客がいるから大変だね。
    これはクレーマーと言うのだろうか。

    2015年6月 8日 (月)

    銀行にて 4

    「何故、30分も待たせたのですか? その間何を調べたのでしょう。これが二点目に聞きたいことです」

    「それについては、実は私も良くわかりません。30分もお待たせすることはないんですが・・・」

    「30分待たされた後でなければ、電話の件もこれほど揉めませんでしたよ。30分何を調べていたのか聞きたい」

    だが、男性の行員はのらりくらりと曖昧に返事をするだけ。
    どうやら、説明をしたくないようだ。

    もう、どうでもよくなってきた。
    話したくないことはきっと絶対話さないだろう、それが銀行だ。

    迷っていたのだろうか、行員が突然説明を始めた。

    「このような振込の場合、金額も大きいですし、後から他の親族の方からクレームがつく場合があるのです」

    「はぁ? クレーム?」

    「例えばこの名義の方が亡くなっている場合、何故勝手に振り込んだと乗りこまれる場合もあるので。あて先がお寺のようなので」

    いやいや、確かにお寺宛てだけど事情は違うから。しかし、彼の言うこともわかる。

    「なるほど、相続とかの場合ですか。口座はすぐ凍結しなければなりませんからね。確かにトラブルになるかもしれません。それはわかります。でも、そうならそう言ってもらえればこんなに揉めることもなかったのに。たかがこの金額で・・・」

    銀行員は多額と言ったが、問題になるような額ではない。

    「それだったら、最初に説明してください。本人かどうか確認する必要性もわかります」

    行員は、困った顔をして答えた。
    「そうもいかないんです。微妙な問題ですし、嫌がる方もいますから」

    ようするに、名義人が死亡したと仮定されて話をすることに拒否反応をおこす人が多いのだそうだ。

    ばかばかしい。

    2015年6月 7日 (日)

    銀行にて 3

    しばらくすると、そのフロアーで唯一の男性行員が私の担当になった。

    「今までほかのお客様の相手をしておりましたので」と挨拶を受けた。

    いやいや、それは嘘でしょう。
    暇だったから見てました。
    貴方が直前まで相手をしていた客は私よりはるかに後に入ってきた人ですよ。
    女性の行員が2-3回貴方のところへ行ったのは知ってます。

    とは、言わなかった。言ってもしょうがないし。

    「それでは説明してもらえますね。二点あります」と促す。

    第一の点
    こちらの身分証明書を出しているのに本人確認の必要性は?

    彼の説明↓

    最近いろいろの事件が起こっており、名義人の本人確認が必要。
    本人でない場合は、本人に連絡することになっている。

    ここで疑問が湧いた。
    「本人の委任状が必要だということですか?」
    「いえ、委任状までは・・。ご自宅へ電話して確認が取れればかまいません」

    それっておかしくないか?

    自分で来れないから私が代理なわけで、自宅にいて電話が取れる状態なら本人がきてますが?
    私の免許証も出してあるし、家族なことは明白。
    もし、私がだまそうとするならば、家に別人を待機させ、電話に出させれば事が済む。
    「銀行ですがご本人ですか?」と聞かれたら「はいそうです。間違いなく頼みました」と答えればよい。
    それが本人確認?
    甘い!
    「これはお宅だけの内規ですか? それとも銀行全体?」と聞くと「本行だけの内規です」

    思うに、銀行の責任にならないように手順を踏んでほしいということか。
    銀行は確かに本人確認をしました。何かあっても責任はありません、と。
    それならある意味納得する。

    そう言ったらその行員が切れた。
    「そこまで仰られるのなら、この取引はできません」

    それはそれで構わない。
    むしろ、本人確認よりずっとクリアーだ。
    「この取引(送金のこと)はできない、ということですね」と確認した後、「わかりました、では第二点」と話を進めた。

    2015年6月 6日 (土)

    銀行にて 2

    私が窓口へ行くと、丁度行員が戻ってくるところだった。

    「お待たせしました」

    「ほんとに。30分は待ってるけど。何か調べてた?」

    「はい、取引状況とか・・・」

    「は? 何の関係が?」

    それには答えず、「通帳名義人に電話をかけてもよろしいでしょうか?」

    「はい? 何を今まで調べてたんですか?」

    「ええと、・・・ もうしわけありません」

    「謝るのはいいから、事情を説明して」

    「はい、申し訳ありません」

    謝らなくてもいいから、説明しろってば、とは心の声。

    彼女はまたもや私の視界から消えた。

    ほどなくして戻ってくると、「今責任者は席をはずしています」

    「別に誰でも構いません。貴女の他に説明できる人であればだれでも」

    「はい。申し訳ありません」

    「だから、謝る必要はありません。説明を受けたいだけ」

    「はい。申し訳ありません」

    まるでロボットのようだ。そしてまた消えた。

    私が窓口に立っていると、別の行員が微笑みながら「どうぞおかけになってお待ちください」という。

    だが、通帳と印鑑は窓口の仕切りの向こう側だが、誰でもが手の届くところに置いてある。

    「ここにいるのが邪魔なようだったら、その通帳と印鑑を私に返すか、他の客の届かないところに隠してください」と私が要求すると、さっとその行員の笑顔が消えた。
    私の言い方もいやらしいとは思うが、マニュアル通りには進まないものなのだよ。
    私が座るように勧められて感謝するとでも思ったのか。
    行員はむすっとした顔で通帳と印鑑を引っ込めるとあからさまに不機嫌な顔で席に戻った。

    ここまでで、すでに一時間。
    私はベンチ仕様の椅子に座って待つことにした。
    文庫本も持ってきたことだし。
    今日は特別忙しい日ではないし。

    2015年6月 5日 (金)

    銀行にて 1

    銀行の窓口に対するイメージはあまり良いものではない。

    庶民の僻みかもしれない。

    先日、渋谷にあるY銀行に行った。
    地方銀行だ。
    以前神奈川に住んでいたこともあって、個人としても法人としてもY銀行と取引があった。

    めったに窓口には行かないのだが、たまたま個人の振込の用事があり、窓口まで赴いた。
    待合室には2―3人。
    行員は10名くらい。
    どの支店でもそうなのだが、Y銀行の手際は悪い。
    待たせることを何とも思わない。
    慇懃無礼ともいえる。

    ある程度の待ち時間は覚悟して、振込用紙と通帳、印鑑を窓口に提出した。
    通帳から引き落として送金する予定だった。
    通帳は相方の物。
    「ご本人様の確認ができるものはありますか?」と窓口で聞かれた。
    「本人ではありませんから」と答える。
    「ご本人様の云々・・・」ともう一度聞かれた。
    「だから、本人ではありません」
    行員はまた同じことを聞く。
    三回目だ。
    「だから、本人ではないと言っているでしょう」

    「では、お客様の身分証明書はありますか?」

    そこで、免許証を提出した。
    それを持って、その窓口の行員は奥へ引っ込んだ。

    しかし、待てど暮らせど私の名は呼ばれない。

    後から入ってきた客は用事を終えて出ていく。
    もともと、そんなに客はいない。
    30分ほど待って、さすがにいらついてきた。

    何かを調べているのだろうとは推測できる。
    しびれを切らして窓口へ。

    2015年6月 4日 (木)

    鳥獣戯画の謎

    かなり前から鳥獣戯画展へ行きたいと思っていた。

    日程や混雑を考えるとなかなか足を運べない。

    そんなこんなで迷っていたら、もう7日で終わりになる。

    http://www.chojugiga2015.jp/

    甲巻を見るには待ち時間が2時間以上。
    それ以外の巻(乙、丙、丁)は待たなくても入れるらしい。

    https://twitter.com/chojugiga_ueno?lang=ja

    甲巻以外を見に行こうかと思案中。
    足が悪いので2時間は待てない。

    で、とりあえず雑誌を読んだ。
    「鳥獣戯画の謎」

    宝島社の雑誌。

    Choujyugiga
    結構面白い。

    なんとか時間を作って行ってみるかな。

    2015年6月 1日 (月)

    クリーニング店にて 2

    男性から受け取った数枚の紙を見ながら、店員が品物を持って戻ってきた。

    断片的に話が聞こえる。

    「お客様、こちらの品物は代金引き換えになっております」

    「えっ、どれ?」

    「こちらでございます」

    「いくら?」

    「540円です」

    「あとでいいかな」

    「こちらは後で取りにいらっしゃいますか?」
    笑顔で聞く店員。

    彼は半そでシャツに短パン姿。
    お財布を持参していないのだろう。
    それに家族に取りに来させられただけと思われる。
    自分で出したのなら、代金引換は知っているはずだ。
    (シミ取りなどは、受け取り時に支払うシステムになっている。他は前払い)
    彼の家族はそのことを伝えなかったのだろうか。

    それからしばらく押し問答。
    状況は彼に不利。
    お金を払わずに品物は持って行けない。
    店員はあくまでにこやか。


    2の客がやっと終了。
    私の番になったので、その後のやり取りはわからない。

    やがて彼の満足する解決法があったのだろう。
    聞こえてきたのは、彼の「ありがとう」の言葉、そして見えたのはにこやかに出ていく姿だった。

    結局私は一時間以上待たされたことになる。

    暇だと色々なことが見えるものだ。

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