監督:イ・ジェハン 主演:ソン・イェジン、チョ・ウソン
妻が数日前に観て感動したという映画「
ソン・イェジン演じるスジンは、愛するチョルス(チョ・ウソン)と結ばれながらも、やがて、“若年性アルツハイマー”という難病にむしばまれて、記憶をなくしていく……という物語。「ラブロマンス」と簡単に片づけてしまえないほど、人間の尊厳を照射した骨太な作品である。
物語の前半は、いいとこのお嬢ちゃん(スジン)と、ブルカラーの芸術肌男(チョルス)が互いに思いを深めていくストーリーを軸に、スジンという一人のかわいらしい女と、チョルスという一人の武骨な男の素顔を描き出すことに費やされている。説明的にならぬよう、実にさり気なく、そして丁寧に。ストーリー的にはかなり出来過ぎの感はあるが、この前半の“何げない日常の積み重ね”がもつ意味は大きい。
後半、そんなスジンが若年性アルツハイマーの告知を受けてから、チョルスや自分のことさえ分からなくなっていくプロセスは、光りに包まれた前半と対照的な、深い陰影によって成り立っている。甘く幸せに彩られた生活から一転、肉体の死よりもはるかにグレーゾーンへと送り込まれていくスジンと、愛する人に忘れ去られていくチョルスの交錯する運命は、あまりに甘受しがたく、胸がしめつけられる。
ある意味、ずるい、映画である。
映画「
告知後は多くの観客がすすり泣いていた。男を忘れまいとする女、守ろうとする男、それでも忘れてしまう女、それでも許す男。そのくり返しのなかで、ゆるやかに精神の死を迎えていくスジン。彼女が思いを書き残す手紙、おかずのない弁当箱、どんどん下手になっていく似顔絵、昔の男の名前で呼ばれるチョルス…。前半の何げない日常があるだけに、ボディブローを打たれたかのように哀しみがあふれ出してくる。
絶望の淵に立たされながらも、献身的にスジンを支えるチョルス。彼を演じるチョ・ウソンの演技力も特筆ものである。
それまで涙をぐっとこらえていた私が唯一落涙したのは、(意外にも)スジンの家族や知り合いが集合したラストのコンビニのシーンであった。あまりにでき過ぎで、荒唐無稽で、都合のいいと思われるあのシーンが(私の妻はあのシーンを不要と言っていた・苦笑)、私にとっては一番リアリティがあった。お遊びみたいな茶番である。だけど、私はあのシチュエーションをあえて用意したチョルスの気持ちが理解できるし、好きなシーンだ。
記憶をほぼ完全になくしたスジンを見つめるみんなの視線は、哀切の感情を押さえ込み、“よかったね”“これからも幸せでいるんだよ”と語りかけているようにも見えた。思えば、家族をはじめ、スジンにかかわる多くの人もまた、苦しんでいたのである。
昔の記憶をもった彼女はもういない。彼女を思い、愛する人たちにとって、あのコンビニのシーンは、一つの“葬式”だったのではないだろうか。決別、そして、新たな彼女を迎え入れるための区切り。見ず知らずの人たち(スジンが忘れてしまっただけだが…)に見つめられながら、彼女はふと懐かしい温もりを感じ、幸せを感じたのではないだろうか。
だからスジンは口にしたのだろう。「ここは天国ですか?」と。
コンビニのシーンの後、彼女は車を走らせるチョルスに抱きつき、頬を寄せたラストシーンも、とても意味シンである。スジンは一瞬チョルスのことを思い出した? それとも今さっき知り合ったこの男に惚れた? それとも……、どうあれ、そこに人生に絶望していた以前の彼女はいない。考えられる範囲で最高のハッピーエンドではないだろうか。
ずるすぎる映画、一度ご覧あれ。
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