7歳までは神のうち | レイキ&ヒプノセラピー 水晶と癒しの森
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レイキ&ヒプノセラピー 水晶と癒しの森

アジア自然療法協会認定・自然療法士が担当するレイキ・アチューンメント
全米催眠療法士協会認定・催眠療法士が担当するヒプノセラピー
飯田市「アジアン・ロータス」伊那市「ラクシュミー」松本市「ガネーシャ」では鑑定済み本物のパワーストーンを販売します

先日レイキのセカンドステージの受講に来て頂いた奥様から

色々と興味深いご利益体験を聞かせて頂きました


元々はその奥様は鉢植えの植物を上手く育てられず

よく枯らせてしまっていたそうです


レイキのファーストステージを受講後

今まではうって変わって鉢植えが長生きしてくれるようになった事で

喜んで植物にレイキを当てていたら


その光景を見ていた6歳の息子さんが


「お母さんの手から何か白いものが出てる!」と言ったそうです



元々この息子さんはおじいさんの家に行ったら誰も居ない所に

「知らないおじさんが居る」と言ったり


お母さんには見えない何かとお話をしている様な

非常に繊細なお子さんらしく


息子さんを心配したおばあさんが

「お祓いをしてもらった方がいいんじゃないか?」と

どこかの祈祷師か徐霊師の名刺までもらってきてしまったそうです


長くヒーリングサロンをやっていると


「お祓いをやってもらったら1年に何度も事故をするようになってしまったんです

本当は悪霊じゃなくて守ってくれているものを祓ってしまったんでしょうか?」


とか


亡くなったはずのおじいちゃんが家の中にいるのを見てしまって

お嫁さんは怖がって“お祓いをするべきよ!”と主張するのですが

旦那さん(おじいさんの息子さん)は「俺の親父を祓えとは何事だ

家族が心配で守ってくれているかもしれないのに」 と大喧嘩になってしまった


と、言う様なお話を本当に沢山聞かせて頂きます


はっきり言えば、亡くなった方が皆悪い霊になるなんて事は無いです


それこそ守ってくれている亡くなった方が自分の近くに居れば

それが「お陰様」で眼に見えない何かに感謝するのが古来からの日本人だったはずです


「霊感がある方に”貴方の家やお店に霊が居るわよ”って言われたんです

お祓いしてもらったほうが良いでしょうか?」


と言うご相談も非常によくある話で


日本では昔から合戦や戦争や災害などで1日何万人も

人は亡くなっているんです


今生きて居る人より亡くなられた方の方が何百万倍も多いんですから

そこらじゅうに霊(亡くなった方)は当然居るでしょうし

あの世に還るまでの時間を過ごしている魂もあるでしょう


でもそれは本当に人に悪意のあるものでしょうか?


この3次元には様々な次元が重なっていて

肉眼で見えないものの中には神仏のレベルのエネルギーもあります


眼に見えないものを恐れればそれは災いなす悪霊に繋がるかもしれませんが


眼に見えないものに感謝すればそれは神仏のエネルギーと繋がって

自分を護ってくれるものになるでしょう



この奥様の息子さんも息子さんを護ってくれる”眼に見えない何か”

のお陰様で元気に生きているのかも知れないですし


そうした微細なエネルギーに生まれつき敏感なお子さんなのかも知れません

何十万もかけてお祓いをする必要はないのではないかと思います




昔の日本では「7歳までは神のうち」と言って

幼児の死亡率が高かった事から


あの世から出て来た子供の魂は7歳まではこの世に定着しない

7歳までの子供はまだ神様のものなのだ、と信じられてきました



これを現代の心理学で解釈すると

自我が「潜在意識」と「顕在意識(表面意識)」を分けるのが大体8歳位と言われています


6,7歳の子供の意識はまだ「情報のごった煮」である潜在意識が優位ですから

潜在意識から上がって来る取りとめの無い感情や想像や

民族的集合無意識層や宇宙的集合無意識層の情報などが


「神様」や「天使」や「幽霊」や「小さいおじさん」や「エネルギー体」などとして

表面意識に認識される、という事は大いにあり得ます


なので8歳までの子供の意識は大人よりも

神様や天使や霊や妖精などをリアルに認識しやすいのです


そう言った意味でも「7歳までは神のうち」

という昔からの言葉には


「7歳までは神様(宇宙的無意識層)と繋がり易い」という事も

意味しているのかも知れません



この奥様の息子さんは


「僕もお母さんと同じように手から何か出るようになりたいから

10歳になったらレイキをやるよ」と言っているそうです



その時まで 


その微細なエネルギーを感じる繊細さや感受性を


「理性」や「常識」などで無くしてしまわないように、と願っています