ノラ家の日常・非日常
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<お知らせ>

2024年8月15日更新
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お別れと教訓

 

ただいま、私が自分の心の中で大切にしている

痛恨の経験を公開しています。

自分だけの大切な体験なので、

本当は公開したくありませんが、

結論だけ書くより、

体験として描くほうが入りやすいので

描き切ります。

 

 

きっかけとなった大切な出会い(闘病の方) | ノラ家の日常・非日常

 

説得。 | ノラ家の日常・非日常

 

そして… | ノラ家の日常・非日常

 

 

の続きです。

 

 

この件は長く私にダメージを残しました。

 

あちらからすれば私は治せなかった人、

 

私からすれば

あれほど説得したのに

私の言うことを聴かなかった人。

 

 

 

悲しくて空しくてやりきれないけれども

予想に反してその方との関係は続きました。

 

 

その方からの連絡がずっと続いたから。

 

 

 

そもそも、ほかのすべての病院が手術不可能と断ったような

 

身体に負担のかかる手術で

あちこち切られていて

そんなにすぐ動けるはずがない、と思いました。

 

案の定

 

 

 

家に帰ることもできずに

 

即、緊急入院。

 

 

本当に悲しかったけれど

 

 


 

もうこの先どうなるかわかっていたので

弱っていくその人をみているのは

とても辛かったけれど

少しでも安らぐよう励まし続けました。

 

 

 

 

そこからの彼女はほぼ、普通の生活はできていませんでした。

家で過ごせたのは本当に一時退院の短い期間だけだったと思います。

 

 

もう会えないと思っていましたが

一度、

手術を受けた病院の診察日に合わせて

私のところに訪れました

 

 

 

 

 

 

 

見るも無残な状態に。

 

やはり立って歩いて普通の生活はできなさそうでした。

 

 

でも手術をした病院では、前の日

主治医の先生に

 

「〇〇さん、目標はフルマラソンですよ!」

と言われたそうです。

 

 

悲しく聴いていました。

手術していなければそれはできたと思います。

 

 

 

 

 

お越しになられた限りは

ただただ

 

 

 

誠をささげ施術させていただきました。

 

 

 

すると

 

 

 

以前そうだったように

スッキリと晴れやかな表情で

ニコニコとかわいらしい笑顔で座っておられました。

その姿は今も瞼に焼き付いています。

 

 

タクシーを呼ぶと

帰りは

来た時と全然違って

 

 

笑顔でお別れしました。

 

その後彼女は私のところに来れなかったので

それがお姿を見る最後になりました。

 

 

それからも、近況報告がメールであったり、

電話でお話したりしました。

 

 

 

 

手術から、わずか半年後

 

ついにその日はやってきました。

 

 

 

病室からのお別れのメールでした。

 

着信にすぐ気づいたので

 

すぐに折り返しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いろいろなお話をしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その方は何度も何度も

 

「ありがとうございます」

 

と言っていました。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

私と話した次の日に旅立たれたのですね。

 

 

魂は光り輝くとしても

 

人の情としては

 

 

 

 

 

 

 

 

片時も忘れたことはなく、

今の私がある。

 

 

ーつづくー

 

 

 

大切な人で「この人に読んでもらいたいな」という記事があったら、

その人に個人的に教えてあげてください

 

 

ノラ家の日常・非日常      ノラ家の日常・非日常


 

 

そして…

おはようございます。

 

ただいま

私が、今の私になる

大きなきっかけとなった、

痛恨の体験を描いています。

 

 

 

 

 

 

きっかけとなった大切な出会い(闘病の方) | ノラ家の日常・非日常

 

説得。 | ノラ家の日常・非日常

 

 

の続きです。

 


 

 

 

「私一人では信じられないなら…」

 

 

 

(※これは5,6年前のことです。

今は絶対そういうことを伺ったらダメ。叱られます)

 

 

私はこの方に

 

 

 

 

それでどうなったかというと…

 

この方のヒーリング時には

 

 

と言われたそうです。

 

そして

 

 

 

 

 

 

そして

 

 

 

あの人は何と言ったかというと…

 

 

 

 

 

 

 

 

続きがあって

 

その方が言うには…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでも彼女はあくまで手術を受けると言います

 

手術を延期したりやめたりする選択肢は

なさそうでした。

 

やはり医師なのですね。

西洋医学によるお墨付きがどうしてもほしいのでしょう。

 

 

 

開けてみて、きれいさっぱり病巣が消えている奇跡を

期待していたのだと思います。

 

 

 

 

 

………

 

 

今の私ならわかるんですが、

 

このパターンでは

鮮やかに完全奇跡という結果にはならないです。

 

 

 

「都合よく」奇跡が起きると「思い込もうとしている」だけで、

肝心なご本人に決定的な要素が足りてないんです。

(それは、去年から私が懸命に描いている内容です。もう描きましたね)

 

 

ところが

5,6年前の私は、意識力優位で、

最後まで「私のほうが」ベストを尽くそうとしていました。

 

 

 

今から思えば

この組み合わせは最悪です。

 

 

それでも、当時でも

「病人の気分」満々の彼女のままでは「足りない」ので、

彼女の意志力・行動力を奮い起こそうと

話をしました。

 

 

 

 

本当に参加されて

 

 

その人の(病人じゃないぽうの)ハート・情熱・希望が

いい感じに出てました。

 

「また行けますよ!

ね、今までとまったく違うことをするんです。

動けば変わりますよ」

 

 

こういう積極性が出てきたのは最後の方だったと思います。

もっと早ければ…と思いいます。

 

 

最後に施術したとき

判定では施術直後はポンの反応は消えていました。

 

 

ですが

私は手術を受けたらだめだとわかっていて

回避するよう、せめて延期するよう説得し続けました。

 

そこに、すでに嫌な予感、直感があるわけで…

直感のほうが正しいのです。

 

うまくいくときは両者が一致して

なんの心配もなく「わかる」んです。

絶対に大丈夫だという確信があります。

悩みません。

 

 

 

もっとはっきり

手術を受けると命運が尽きると言えばよかったと思います。

不安になるようなネガティブなことが言えなかった。

 

 

そもそも全てその方のペースで

期限まで決まっているようなケースは

今ならはじめから請け負わないし、

今は私の価値観自体がまるで違っています。

 

こういうケースはもう起こることはないのですが、

痛恨の教訓です。

 

 

 

当時私はまだまだ甘かった。

 

 

説得空しく…

 

 

 

 

 

 

 

心で絶叫していたけれど

 

もう病院入りしてしまった以上

私はこれ以上不安にしないように

 

「あなたの決断を尊重します、

自分の中が光るようなイメージでいてください。

ご加護をお祈りしています」

 

と返したと思います。

 

 

ショックでショックで。

昨日のことのようにありありと覚えています。

 

 

当日

祈っていましたが、いてもたってもいられないような

悲壮な気持ちでした。

 

 

そして

 

 

次の日

 

 

 

 

 

 

 

私の判定で、ポンの反応がなくなっても、

それは不活性で悪さをしないようになり共存できるからで、

手術で開けて目視したときにきれいさっぱり消えているとは限らないのだ。

 

変色や残骸のようなものがあれば、お医者さんは

手術をする限りは予定通りすべて取り切ってしまうのだろう。

 

 

 

 

私は施術を受けたらだめだとわかっていたので

もっとありとあらゆる可能性を考えて

悪いことも全部、言葉にしてはっきり話しておくべきだった。

 

(それなら手術をやめてくれただろうか…。)

 

 

 

 

あくまで、その先生の指導の下、ご本人の養生で、

リンパ球が増えて

自然退縮するときの様子ですが

 

 

 

 

また

この頃の私は、悪いことを口にすることが

悪い現実を創造することになるという認識(まさに怖れ!)があって

「小さな創造主」としては、悪いことを認識することが憚られ、

「そうだからそうなんだ!」と奮い立たせ、必ずうまくいくと思い込もうとし、

精いっぱいの努力を全身全霊でやろうとしていたということです。

 

相手が不安にならないよう悪いことが言えなかった。

 

 

この姿勢は間違いです。

 

 

今なら

もっとわかります。

 

 

 

ご本人が

自我で(本当は恐れながら)一番都合の良い奇跡一択だけを望み、

それでいて受け身すぎて、

自分の運命を他人(私/主治医の先生)に任せすぎている、というのは

ちぐはぐで、うまくいかないパターン。

 

 

 

西洋医学から見ても、病巣が完全に消えた!という奇跡は理想だけれども

それが起こる条件は、本人もありとあらゆることをすべてやり切っているとき。

心と魂のベクトルが上がっていて

その人自身が病という学びがもう必要がないほどに

層(相)が変わったときに起こるものなんです。

(去年からずっと描いていますね)

 

 

その人のペースで

どっちつかずであわよくば治してもらいたいと思っているような状態、

それでいて、人任せの姿勢が強い時はよい風は吹かない。

 

 

 

 

でも、本当は奇跡ならとっくに起こっていて

ぽんは無害化していて本当はもう十分に共存して生きていける状態でした。

 

でも、実際手術で取り除かれたので、その方やご家族にとっては

私は「治せなかった」ということになります。

 

 

 

 

このときは

私の患者さんへの対応が未熟だったと思います。


 

ーすぐつづくー

 

積極的に書きたいお話ではないですし

私にとってはあまりにも悲しく大切な教訓なので、

私だけが自分の中でしっかりと大切に大切に抱いていたい教訓ですが

 

ここまで描かないとみなさんにも伝わらないと痛感することが「日々」多く、

この話を描くことにしました。

 

 

 

まだまだ描き足りていない総括がありますよ。

 

 

 

大切な人で「この人に読んでもらいたいな」という記事があったら、

その人に個人的に教えてあげてください

 

 

 

ノラ家の日常・非日常      ノラ家の日常・非日常

説得。

本日は二本立てです

引き続き5,6年前の、私の痛恨の思い出で

 

きっかけとなった大切な出会い(闘病の方) | ノラ家の日常・非日常

 

の続きです。

 

 

 

 

 

そもそも

 

彼女がコンタクトをとってくれて

初めて電話で話したとき、

 

 

必死で手術をしてくれる病院を探したというのを聴いて

 

 

と思ったし、

 

(これがふつうの患者さんの感覚なのか…)と痛感しました。

 

 

なんという恐怖心だろう。

 

 

 

 

もっというと、

 

ポンという恐ろしいもののためなら、薬で

健康な細胞も叩いても仕方ないというのが

まだ今の時代のスタンダードだ。

 

ほとんどの人がそう思い込んでいる。

 

 

私からすれば

そこまで怖れるモノじゃなく

初期のものなら1回で綺麗に消えることは奇跡でもなく

(宣伝してませんよ。すべての人にそれが起こるとは限りません。

条件が揃うことが大事。あとでまとめます。)

 

そもそもポンは

身体さんが自分を生かそうとする涙ぐましい反応の結果。

 

 

自分はなにも悪くないのに

降りかかった事故のようなものととらえるのも間違いで

 

必ず原因があって、理由があって、

自分の度重なる「選択」の結果としてできたもの。

 

臓器のどこかにそれが表れたからと言って

そこだけ取ればいいというわけではなく、本当は

身体全体が「その環境」になっているのだから、

全体の問題。

 

そういう意味では初期も末期も

そんなに変わりなく、程度の差で

 

なったのと反対のことになっていけば

それは消えていくというのが当時から今に至るまで私の自然な理解だった。

 

 

このときも

それはわかっていたので

最初にそういうお話はさせていただいた。

 

 

 

 

末期から生還した人の本を複数紹介したし、

私が関わった人、実際にお会いした人、うまくいった人の話もしました。

 

 

また

 

 

「自分を偽っていることは気になります。

案外重要なポイントのように感じます。

この病気を得たことと無関係ではないと思いますよ。」

 

とお話しすると、

 

その方は最初

「そのくらいいいじゃない」と納得いかなかったそうですが、

その後、お話していくうちに

これまで自分を否定してきたことや、人の意志に流されてきたことに気づいていかれました。

 

 

 

今の、施術前に話しておいて理解することを重視するやり方の原型が

この人との間でできたと言えます。

 

 

ただ、

 

私と話した後は、私の前では優等生のような反応をしてくださるのですが、

病院にいくと、完全に真反対の思考・行動になります。

 

 

と感じていました。

 

今一つ、そのときだけは言葉では受容したかに見えて

認識も本当には変わっておらず、

まず行動が変わってないことが気になりました。

 

 

気持ちはわかりますが

パッションがない、というか

自分の意志がないというか、

どこまでもどっちつかずで

煮え切らないというか、

 

もっと

人任せではなく、

脱皮がいるのだ!

突き抜けてもらいたいたいのだと感じ、

いろいろなお話をしていました。

 

 

 

 

 

そしてもちろん

お越しになったときには

私が

 

 

 

2回目を終えたところで

私だけではなく、

 

 

 

 

通っていただくことに。

 

おかげで私も心強く、彼女もどんなに心強かったと思います。

 

 

こうして二人でしっかりお支えすることになって

 

 

3回目にお越しになったとき

 

 

 

(キネシオロジーテストのようなものだと

思ってください。本当は違うけど)

 

 

 

もう原発の臓器以外はポンの反応も消えていて

不活性でもう悪さはせず、

このままいけば大丈夫だと判定がでました。

 

 

そこで

私は思い切って

 

 

 

と言いました。

 

 

 

 

 

 

 

それは…

 

 

 

 

 

 

とおっしゃるんです。

 

 

 

※前記事で仕事を再開した、というのは

自分が万全ではないのに

自分のクリニックで

医師として診察を再開した、ということだったんです。

 

 

 

 

 

って。

 

ーつづくー

 

 

 

大切な人で「この人に読んでもらいたいな」という記事があったら、

その人に個人的に教えてあげてください

 

 

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きっかけとなった大切な出会い(闘病の方)

おはようございます。

 

今日は話題を変えて

今の私をつくる大いなるきっかけとなった出会いの話をします。

 

私の忘れられない痛恨の経験を3つ描いていきます。

そういう経験を通して

 

こういうことを書くに至ります。

↓ ↓ ↓

新しい方へのメッセージまとめ。 | ノラ家の日常・非日常

 

 

 

もう5年、もしかしたら6年前でしょうか。

 

ある日

 

 

 

偶然にも

その病院が私のところと近かったので

 

 

 

 

 

完全にその方のペース、その方の希望に沿った

分の悪い取り組みでした。

 

 

今ならこういうやり方はしませんし、

きちんと最初にきちんと説明ができます。

 

このときはまだヌケヌケでした。

 

でもそのきっかけになった方なのです。

 

 

 

はじめから半年後にタイムリミットがあるという条件でした。

 

 

 


さすがに

 

 

 

と当時だって内心わかっていたのですが

(※「条件」がそろえば難しくないと思いますよ。後述します)

 

でも

このときの私は、よぎる悪い思考を打ち消して

 

 

 

悪いことは口に出すことも思うことも

そう思ったらそうなってしまうと思っていて

 

必ずできると信じてやる、という

イメージ力、意識力のやり方をまだしていた頃でした。

 

悪い意味で「そうだからそうなんだ!」が行き過ぎていたと思います。

(後で解説します)
 

なにより

 

 

 

なんとしても助けてあげたくて

意識力で「チャレンジ」しようとしたのです。

 

(このときは、「私が」、「助けてあげたい」と考える人でした。

それだけじゃ足りないんです。後で解説します。)

 

 

そして彼女は旦那さんとともに

病院の予約日に合わせて

(悪く言えば「ついでに」私のところに来られ

施術を受けていました。

 

ペースも条件もその方に合わせて。

 

まだ頑張るのは圧倒的に私のほう。

 

 

5,6年前と言えば

重たい人を診ると

その後ぶっ倒れて休んだり、

その疲れが抜けるのに

1週間から2週間引きずるくらいだったんじゃないかな。

 

 

精も根も使い果たすほど意識力で頑張ってました。

 

 

 

その方はもちろん施術あとはものすごく調子が良くなります。

快進撃でした。

転移したところが小さくなったと喜んでおられたし

 

そして早々に

 

 

 

これには

 

「ん?」と思いました。

 

 

 

ちょっとよくなって仕事を再開するのは違う。

 

もらったエネルギーは治癒のために慎んで受け取る、

治癒のために使うべきだと感じました。

 

ーつづくー

 

 

大切な人で「この人に読んでもらいたいな」という記事があったら、

その人に個人的に教えてあげてください

 

 

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まとめ。

こんにちは。

 

 

最後の「真意」 | ノラ家の日常・非日常

 

の続きです。

 

 

だいたい描けました。

 

 

そもそも

 

 

私が未熟だったときからの旧い流れでは

自分目線のまま私のことを

「してもらえる」人、としか思ってないところが多々あり

 

(私が過去に招いたことですが)

 

 

 

 

 

 

と、あるときポロリとこぼしたことがありましたが

 

語弊を怖れずに言えば、

旧い流れでは

みなさん、自分のことしか考えていなかったです。

(広義では)

 

これですね↓

 

 

 

いえ、

うちは有難いことにみなさん間違いなく善い人ばかりで

そのままの我を通してくる人、自分に都合よく考える人(狭義の自分目線の人)は

そんなに来られませんが

 

初期のころの私が未熟だったので

かつてはOKだったことが今はNGだというルールの変更がなかなか浸透しなかったり

甘えが出たり我が出たり、たるんでくるのはありました。

 

逆に礼儀正しいけれども

自分の深いところは見せない、隠している、都合がいいところだけで

私とつきあっているというのはありました。

 

なによりも本心が出ない、「感情(ハート)」が全然出てこないことに

ご自身が気づいておられず、それでいいと思っておられることもありました。

 

たぶん、これまで社会で学んだ作法が正解と思い込んで

自分の思う「礼儀正しさ」で

私に対して畏まってくれているのでしょうが、

それがかえって正解でないこともありました。

 

(これも広義の「自分目線」なのです)

 

 

 

 

 

いろんなパターンがあるけれども

 

どうしたら、一度掛け違えて

思い込んでしまったものを解けるのか、

 

どうやったら感情(ハート)が前に出てくるのか、

魂が出てくるのか、

 

材料がもうないときに

動きが作れるのか

 

 

魂に問うと

 

それ以上のエネルギーを使わないといけないというわかるのでした。

 

 

 

だから

 

ブログで誤解させてしまったものは

全員に向けてブログで描き、

 

 

私の責任において

きちんと軌道修正をさせていただきました。

 

 

 

今までもこれからも

 

おそらくですが…

 

 

 


 

私は

 

 

 

 

そういう価値観の人だから

 

 

私の人生、ずいぶん前からこれをやってる気がします。

 

(過去の軌道修正ができたので、

ここからはしなくていいと思います)

 

 

 

どこに価値を置くか、

照準があるか。

なにを求めているのかで

すべては違ってくると思います。

 

 

 

 

 

自分を材料に捨て身を使うことは賭けです。

失敗するときもあります。

 

その層(相)を

「この人はこういう人だ」とそのまんま受け取られることも

ちょいちょい起こるので、

それはもう仕方がないです。

 

膠着状態でこのまま変わらないよりは

私から見るとよほどいいのです。

 

 

そのときわからなくても

必ずどこかの時点で、もっと先の、何年先にでも

もしかしたら「あれは…そういう意図だったのかな?」と芽吹く可能性もあるから

いつか響くために打っておくのです。

 

そして、もしうまくいって、

そこを超えて魂で分かり合えたときの

「だめかもー」が「よかったー!!!」に変わる時の嬉しさは格別です。

泣いてから笑う、という状態になります。

私はそれを知っているのです

 

経験した人なら知ってますよね?

 

 

 

 

去年の更新によって

旧い認識を乗り越えてきてくださった方々にあらためて心より御礼申し上げます。

 


 

超えてくださった方は、自分の中の「見ないようにしていた部分(しっぽ)(ラスボス)」に気づき、

それが魂対魂の交流を妨げていたということがわかり、

変わる勇気とそれを私に伝える勇気を出してくださったと感じています。

 

 

過去と現在を繋ぐブログ更新に、ほぼ1年かけてしまった足踏み状態でしたが、

おかげで、報われました。


本当にありがとう!

 

 

今回は一昨年くらいから

私自身が

「(指令に対して)本当にやるの?うわー…やらないといけないのかー…」と

最初は気が進まなかったし、

時間とエネルギーをかけて

途中は描くのも地獄、読むのも地獄でしたよね。

 

(その過程も大事。→「抜ける」)

 

 

ようやく着地できて、

やるだけやったのでスッキリ本望です。

 

ようやく書き終えたので、言えます。

 

「今は楽しくないものを描いているのに読んでくださってありがとうございました。」

 

読まれてなくても全然平気です。

私の気が済んだので。

 

 

 

<まとめ>

 

 

みなさん自身が

 

 

 

 

 

 

本当に「気づく」のか

自分目線で「自分に都合よく考える」のかは

 

あり方というか、

 

(前世を含めての)場数というか、いかに相手目線をやってきたか、

修練の差ではないかと感じます。

 

 

自分が思っていることは本当にそうなのか

胸に手を当てて心と魂に聴いてください。

 

 

 

あと

 

 

 

 

そして

 

 

 

 

 

 

 

 

 

伝えるということがものすごく弱い方もおられます。

 

文章では書けるけど

話すのは苦手、という方が最初はほとんどです。

 

 

でも

実際の身の回りの人間関係は

面と向かっていて

待ったなしの、出たとこ勝負なんですよ。

 

 

 

そして

 

 

これがこの先、

閉塞感のある時代になっても

突破する鍵じゃないかな。

 

(だから教育や職業訓練で封じられていると感じる)

 

 

 

だから私には

事実だけの報告や礼儀正しさを

超えて

ハートを出してください。

 

私が投げかけたものをスルーしたり取り繕ったりする必要は皆無。

むしろそのほうがみなさんの想像以上に私には残念なのです。

 

 

 

 

 

変わるのはいつだって自分です。

なにを受け取るかは、あなたの姿勢が決めます。

 

どんな方でも

魂対魂が基本です。

 

礼儀正しくても

私を理解をせずして私を尊重することは絶対にできませんし

理解は必須なのです。

 

(それで「うつる」んです)

 

 

つまり

もう、一方的に「してもらえる」「やってもらえる」ではない、ということです。

 

(わかってしまえば当たり前ですよね)

 

 

いつだって

わたし、

 

 

こうやって愚直に描いてお伝えしているでしょう?

私の厳しさも、偉そうになって傲慢になったから厳しさを見せているんじゃなく、

本当にみんなが損にならないように、受け取れるように描いたのでした。

 

 

私は「伝える」ということを

人生でものすごく大事にしてきました。

 

 

みなさんはどうでしょうか?

 

 

 

 

私は新旧のみなさん合わせて

いつだって待ってますよー


 

ーつづくー

 

 

大切な人で「この人に読んでもらいたいな」という記事があったら、

その人に個人的に教えてあげてください

 

 

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