414 デザインとマネジメント その7 ラグジュアリー
- 2024/03/31
- 23:02
今年も、三月末の年度末ですね。
前の記事みたいな、社会規模の、サイズがでっかい話は横にどかして置きまして。[111道具は身体の延長または代用である]の路線で、明日からの新年度に、営業などで喋るネタに使って戴けそうなお話を、短めにおひとつ申し上げます。
感染症対策のための雌伏ヒキコモリの数年間を耐え抜いて、初音ミクさんの4年ぶりの北米→欧州のワールドツアー[MIKU EXPO 2024 North America]も始まるそうです。いいね!やったね!
一方、私らの日本の東京では、旅行客をターゲットにしたインバウン丼[Google画像検索]というのが話題になっているそうですね?何年も前に、大阪市の黒門市場で、これと似たような海鮮丼を見た気がしますけど。ね、「海鮮」の字は、簡体字で書かれてたような・・・。
この話題に対して、「こんな値段は、まあ、東京都心ゆえの店舗家賃込みの値段なんだろうけれども、こんな強気価格を付けて売っていいのならば、価格設定とは一体何なのさ?」「自分達は実直に”より良い品をより安く”で商売しているのに、こんなに利幅をとりやがって(推定) いわゆる観光地価格設定に加え、円安だから外国人とっては割安に感じるからって、やってくれるじゃないかw」みたいなコメントが寄せられています。
”より良い品をより安く”というキャッチフレーズを考案した方は誰なのかはっきりとは分からないと聞いた事があります。世間に広めたのは、1960年代の流通小売業であるそうです。私自身が生まれる前の話なので知らないのですが、1960年代当時は、”より良い品=バッタモンやパチモンではないまともな品”を、”より安く”。という所にアクセントがあったそうです。つまり、「ヨーロッパの有名ブランドの高級品・舶来品っぽく似せて作られたcounterfeitの安物を、わけわからん価格でワゴン特売セールするのはやめよう、弊社はそんなことしません!」と言う意味合いであったそうな。
でも、確かに、このキャッチフレーズはこんにちまで、「本当に高品質なより良い品ではあるものの、販売競争が激しいので勉強・努力させて戴きまして、より安い価格でご提供します!」と言う意図で用いられて、高級品なのに高い売値を付けられない”空気的圧力”として、作用してきたかもしれませんね。
移動自粛期間を乗り越えて、日本に旅行にいらして、何かすっごいのを期待していらっしゃる外国人さんに、せっかくの旅行を記念するちょっと贅沢な品として、どんな商品をご提供したらいいでしょうか?が、この春夏期のクエスチョンかもしれません。
そこで、ラグジュアリー・マーケティングの用語を、話の入り口だけでも御紹介したいと思いました。
〇ラグジュアリーとは何か
まず、ご説明します。
[076『プラダを着た悪魔/The Devil Wears Prada』]の映画が始まってすぐ、普通の女の子のアンディ[アン・ハサウェイ]は、彼氏とシェアして住んでいる安そうなアパートの、ユニットバスの洗面台の鏡が湯気で曇っているのを手で払って、歯磨きをします。
それと並行で映されていくのが、既にファッションの悪魔に染まっている女たちの朝の着替えシーンです。悪魔たちは、下着もストッキングも化粧品も、大きな姿見の鏡の前で悩んで選びながら身に付けてゆき、都度都度に、自分の体のプロポーションをチェックします。今日着る服も真剣に選び、口紅も大きな鏡を見ながら塗ります。ピアスを付ける時も、鏡の前で自分の頭の角度を変えて、ピアスと耳と髪の位置関係をチェックします。
画面がアンディに戻ると、アンディは箪笥の引き出しの中からピンク色のパンツを選んでやっぱ止めて白いパンツを選びます。コットンかウールであろう柔らかそうな服を着て、室内を歩きながらリップクリームを塗り塗りして、毎日着てるんであろうベージュの上着をハンガーからもぎ取ります。
引き続き、出勤の様子も対比されて描写されます。
悪魔たちは、ピンヒールの靴を履いて家を出てタクシーに乗ります。朝食は、温かい飲み物と、PYREX(←フランス製)のガラス製の計量カップに100ccのオートミールと、アーモンド数粒。
アンディはでっかいハンバーガーかオニオン・ベーグルをガブガブ歩き食べしながら地下鉄駅を走ってゆきます・・・。
そこまで体を美しく整えている、body-consciousなファッションの悪魔たちは、何を着るのが相応しいですか?何の服を着れば、鍛えられ磨き抜かれたその体のシルエットの美しさを、そのままに表現できますか?プラダを着るしかないんじゃない?と言う、”それ”が、ラグジュアリーです。
ラグジュアリー・マーケティングが想定する顧客は、プラダを着る悪魔たちであって、後に改心してシャネルを着るために死ぬほど努力をしたアンディなのです。
また、かつて「昭和の”男前”」や「平成の”抱かれたい男”」であった、その美貌と低体脂肪率と大胸筋・上腕二頭筋のムチムチを、気合と根性で維持している一流の「令和のイケオジ」も、ラグジュアリー・ファッションを身に纏うべき男達です。(僕は、しまむらの500円ぐらいの服を愛用していますけどね。さいたま!さいたま!両手で鳩のポーズ、むん!)
〇顧客管理について
ラグジュアリーな品物を販売する時に発生する問題があります。
コンスピキュアス・コンサンプション[conspicuous consumption/お金持ちであることを誇示する事が目的で、知名度や評判が良い、高価な有名高級品を好んで購入する様子/Google検索]の問題です。そんな客に、商品を乱暴に買い漁られるのは、やっぱり心象が悪いわけです。
この点においては、関西の昔からの風習にある「一見さんはお断りどすえ」で、自社の顧客達の交友関係レベルと言うか、サロンと言うか、客層というか、信用を、管理するのは、正当な行為だから許されるべきだと関西人の私は思うのですが、どうでしょうか。
〇製品、プロダクトの見た目について
ラグジュアリーな製品とは、必ずしも、”金ぴかぴかギラギラのデラックス”であるとは限りません。(”金ぴかぴかギラギラのデラックス”の商品は、コンスピキュアス・コンサンプションの客に喜ばれて、凄く良く売れそうに思えてしまいますが、それは邪道です。)
日本人はここで物凄く悩みます。
確かに、「豪華なホテル」と言えばこんな感じ[Google画像検索]らしいので、日本に来てくださった外国人旅行客には、こういうデザインのお部屋をご用意しなければならないのかな?と思ってしまいます。
日本人はここで物凄く悩みます。
国民の皆さんがご存知の通り、日本人が考える、お客様をお迎えする様子はこんな感じ[Google画像検索]なのです。
我が国には、金鉱山もあるし銀鉱山もあるし、翡翠も瑪瑙も採れるし、お蚕の絹布も勿論有るし、海からは真珠も赤珊瑚も採れるんですがね。しかし、そんな貴金属や宝石は違うんです。「お客様にお掛けいただく椅子があって、陛下がいらっしゃって、季節の花を生けています。(以上。」が、日本人が考える最高の美なのです。
困りました。日本人はここで物凄く悩みます。日本人にとっては、諸外国の「豪華なホテル」のようにデラックスな家具がたくさん配置されてあるよりも、”うるさい、余計なもの”を全て取り除いて、部屋の掃除が行き届いていて空気が清浄である事の方がより格調高いラグジュアリーだと思うのですけれども。外国の方からすると、「えっ?家具が無いじゃん、この部屋どうしたの?改装中なの?」と思われてしまうのではないでしょうか。(異文化理解力に不安。)
〇ディスクリートでクワイエット
ところで、2023年秋からのトレンドは、ディスクリート・ラグジュアリーDiscrete Luxuryとクワイエット・ラグジュアリーQuiet Luxury[Google検索]です。
派手な色使いをせず、奇抜なデザインをせず、ブランド・ロゴを見せず、オーセンティックに、しかしながらそのブランドらしさが判るシルエットの服です。
有名ブランドのロゴを見せびらかしてドヤァ(*´з`)の雰囲気からは、大きく違うのが今のトレンドです。
エルメスは、もうずっと昔から既に、「クワイエット・ラグジュアリー」であったと思いますが、この考え方が一層注目を集めているそうです。
日本のお洒落センスで言えば、金沢の香林坊。大阪のキタの梅田阪急近辺。東京都新宿の、ヨージ・ヤマモトを見て判る人にだけ解かってもらう程度にこっそり使う雰囲気。
〇昔、ルイ・ヴィトンで、マーク・ジェイコブス先生は・・・
「クワイエット・ラグジュアリー」の流行を見て、私は思い出したことがあります。
昔、1990年代後半は、「クワイエット・ラグジュアリー」は人気なかったと記憶しています。
ファッションデザイナーのマーク・ジェイコブス先生は、今は先生自身の『MARC JACOBS』のブランドで知られていますが、昔はルイ・ヴィトン社でデザイナーをしていたんです。で、任命初期の頃、ルイ・ヴィトンのあの有名な柄などが目立たないクワイエットなデザインの服を発表なさったのですが、顧客からは「ヴィトンのプレタポルテ[既製服]に期待してるのは、そうじゃないよ」と不評だったのです。
----日本経済新聞社・日経ビジネス人文庫『ブランド帝国の素顔』長沢伸也著 ISBN4-532-19147-5/129ページ5行目から------
九七年一月、ベルナール・アルノーから直々に請われて、マーク・ジェイコブスはルイ・ヴィトンのアーティスティック・ディレクターとして契約。97-98秋冬には小規模な初コレクションを発表した。98年春夏からプレタポルテを創り始め、98-99秋冬シーズンからはパリコレにも参加した。しかし、この最初の三シーズン、マーク・ジェイコブスは迷走し、苦悩した。
もともとマークは、ニューヨークの、都会的で、機能的で、シンプルで、現代的で、実際に着られるようなリアルクローズ路線が得意だった。ルイ・ヴィトンにも、そのスタイルをそのままぶつけてみた。実際、空港やターミナル駅でよく映えるといえなくもなかったが、あまりに飾り気のないコレクションになってしまった。
顧客は、ルイ・ヴィトンというブランドに、長い伝統、旅にまつわる物語を感じとりたかったのである。その象徴が、LVの刻印であり、目立たないところにそっと刻印されていても意味がなかった。顧客の視線とマークの視線は、まったく違う方向を向いていた。
後になって、マークはプレッシャーがなかったわけではないこと、自分なりのアイデアがうまくいかずに悩んだようなことを漏らすようになる。
「たぶんゼロから始めようとしていたんだと思う。贅沢と実用性というのは意識していたけど、”ステータスシンボルとしてのルイ・ヴィトン”という部分が頭から抜けていた。自分がそのブレインとなっているんだということも、すっかり忘れていた。ああ、もっと楽しんでもいいんだなとわかったのは、最初のコレクションが終わってからだね。そんなに生真面目になることはないんだ、と」[*]
[*]「たぶんゼロから~ は、『ヴォーグ ニッポン』2002年1月号の「幸せはパリで」インタビュー記事より引用
-----引用おわり---------------
この辺は僕が初稿を書きましたので、その『ヴォーグ』を読みましたし、勿論、それら服の写真も見たんですが。和服で言う、男物の羽織の、表は地味だけれど裏地が粋なヤツ、みたいな考え方はこの時代は人気なかったんです。
昔は、ブランドのロゴを見せびらかしてドヤァ(*´з`)の、コンスピキュアス・コンサンプションのほうがウケたんですよ。確かにね。
でも、この冬のトレンドは「クワイエット・ラグジュアリー」だったのですよ。
僕ら日本人が考えている「クワイエット・ラグジュアリー」。
トレンドもデザインセンスも、グルグル回って1周、2周、360度、720度の果てに、伝われ、この想い。
前の記事みたいな、社会規模の、サイズがでっかい話は横にどかして置きまして。[111道具は身体の延長または代用である]の路線で、明日からの新年度に、営業などで喋るネタに使って戴けそうなお話を、短めにおひとつ申し上げます。
感染症対策のための雌伏ヒキコモリの数年間を耐え抜いて、初音ミクさんの4年ぶりの北米→欧州のワールドツアー[MIKU EXPO 2024 North America]も始まるそうです。いいね!やったね!
一方、私らの日本の東京では、旅行客をターゲットにしたインバウン丼[Google画像検索]というのが話題になっているそうですね?何年も前に、大阪市の黒門市場で、これと似たような海鮮丼を見た気がしますけど。ね、「海鮮」の字は、簡体字で書かれてたような・・・。
この話題に対して、「こんな値段は、まあ、東京都心ゆえの店舗家賃込みの値段なんだろうけれども、こんな強気価格を付けて売っていいのならば、価格設定とは一体何なのさ?」「自分達は実直に”より良い品をより安く”で商売しているのに、こんなに利幅をとりやがって(推定) いわゆる観光地価格設定に加え、円安だから外国人とっては割安に感じるからって、やってくれるじゃないかw」みたいなコメントが寄せられています。
”より良い品をより安く”というキャッチフレーズを考案した方は誰なのかはっきりとは分からないと聞いた事があります。世間に広めたのは、1960年代の流通小売業であるそうです。私自身が生まれる前の話なので知らないのですが、1960年代当時は、”より良い品=バッタモンやパチモンではないまともな品”を、”より安く”。という所にアクセントがあったそうです。つまり、「ヨーロッパの有名ブランドの高級品・舶来品っぽく似せて作られたcounterfeitの安物を、わけわからん価格でワゴン特売セールするのはやめよう、弊社はそんなことしません!」と言う意味合いであったそうな。
でも、確かに、このキャッチフレーズはこんにちまで、「本当に高品質なより良い品ではあるものの、販売競争が激しいので勉強・努力させて戴きまして、より安い価格でご提供します!」と言う意図で用いられて、高級品なのに高い売値を付けられない”空気的圧力”として、作用してきたかもしれませんね。
移動自粛期間を乗り越えて、日本に旅行にいらして、何かすっごいのを期待していらっしゃる外国人さんに、せっかくの旅行を記念するちょっと贅沢な品として、どんな商品をご提供したらいいでしょうか?が、この春夏期のクエスチョンかもしれません。
そこで、ラグジュアリー・マーケティングの用語を、話の入り口だけでも御紹介したいと思いました。
〇ラグジュアリーとは何か
まず、ご説明します。
[076『プラダを着た悪魔/The Devil Wears Prada』]の映画が始まってすぐ、普通の女の子のアンディ[アン・ハサウェイ]は、彼氏とシェアして住んでいる安そうなアパートの、ユニットバスの洗面台の鏡が湯気で曇っているのを手で払って、歯磨きをします。
それと並行で映されていくのが、既にファッションの悪魔に染まっている女たちの朝の着替えシーンです。悪魔たちは、下着もストッキングも化粧品も、大きな姿見の鏡の前で悩んで選びながら身に付けてゆき、都度都度に、自分の体のプロポーションをチェックします。今日着る服も真剣に選び、口紅も大きな鏡を見ながら塗ります。ピアスを付ける時も、鏡の前で自分の頭の角度を変えて、ピアスと耳と髪の位置関係をチェックします。
画面がアンディに戻ると、アンディは箪笥の引き出しの中からピンク色のパンツを選んでやっぱ止めて白いパンツを選びます。コットンかウールであろう柔らかそうな服を着て、室内を歩きながらリップクリームを塗り塗りして、毎日着てるんであろうベージュの上着をハンガーからもぎ取ります。
引き続き、出勤の様子も対比されて描写されます。
悪魔たちは、ピンヒールの靴を履いて家を出てタクシーに乗ります。朝食は、温かい飲み物と、PYREX(←フランス製)のガラス製の計量カップに100ccのオートミールと、アーモンド数粒。
アンディはでっかいハンバーガーかオニオン・ベーグルをガブガブ歩き食べしながら地下鉄駅を走ってゆきます・・・。
そこまで体を美しく整えている、body-consciousなファッションの悪魔たちは、何を着るのが相応しいですか?何の服を着れば、鍛えられ磨き抜かれたその体のシルエットの美しさを、そのままに表現できますか?プラダを着るしかないんじゃない?と言う、”それ”が、ラグジュアリーです。
ラグジュアリー・マーケティングが想定する顧客は、プラダを着る悪魔たちであって、後に改心してシャネルを着るために死ぬほど努力をしたアンディなのです。
また、かつて「昭和の”男前”」や「平成の”抱かれたい男”」であった、その美貌と低体脂肪率と大胸筋・上腕二頭筋のムチムチを、気合と根性で維持している一流の「令和のイケオジ」も、ラグジュアリー・ファッションを身に纏うべき男達です。(僕は、しまむらの500円ぐらいの服を愛用していますけどね。さいたま!さいたま!両手で鳩のポーズ、むん!)
〇顧客管理について
ラグジュアリーな品物を販売する時に発生する問題があります。
コンスピキュアス・コンサンプション[conspicuous consumption/お金持ちであることを誇示する事が目的で、知名度や評判が良い、高価な有名高級品を好んで購入する様子/Google検索]の問題です。そんな客に、商品を乱暴に買い漁られるのは、やっぱり心象が悪いわけです。
この点においては、関西の昔からの風習にある「一見さんはお断りどすえ」で、自社の顧客達の交友関係レベルと言うか、サロンと言うか、客層というか、信用を、管理するのは、正当な行為だから許されるべきだと関西人の私は思うのですが、どうでしょうか。
〇製品、プロダクトの見た目について
ラグジュアリーな製品とは、必ずしも、”金ぴかぴかギラギラのデラックス”であるとは限りません。(”金ぴかぴかギラギラのデラックス”の商品は、コンスピキュアス・コンサンプションの客に喜ばれて、凄く良く売れそうに思えてしまいますが、それは邪道です。)
日本人はここで物凄く悩みます。
確かに、「豪華なホテル」と言えばこんな感じ[Google画像検索]らしいので、日本に来てくださった外国人旅行客には、こういうデザインのお部屋をご用意しなければならないのかな?と思ってしまいます。
日本人はここで物凄く悩みます。
国民の皆さんがご存知の通り、日本人が考える、お客様をお迎えする様子はこんな感じ[Google画像検索]なのです。
我が国には、金鉱山もあるし銀鉱山もあるし、翡翠も瑪瑙も採れるし、お蚕の絹布も勿論有るし、海からは真珠も赤珊瑚も採れるんですがね。しかし、そんな貴金属や宝石は違うんです。「お客様にお掛けいただく椅子があって、陛下がいらっしゃって、季節の花を生けています。(以上。」が、日本人が考える最高の美なのです。
困りました。日本人はここで物凄く悩みます。日本人にとっては、諸外国の「豪華なホテル」のようにデラックスな家具がたくさん配置されてあるよりも、”うるさい、余計なもの”を全て取り除いて、部屋の掃除が行き届いていて空気が清浄である事の方がより格調高いラグジュアリーだと思うのですけれども。外国の方からすると、「えっ?家具が無いじゃん、この部屋どうしたの?改装中なの?」と思われてしまうのではないでしょうか。(異文化理解力に不安。)
〇ディスクリートでクワイエット
ところで、2023年秋からのトレンドは、ディスクリート・ラグジュアリーDiscrete Luxuryとクワイエット・ラグジュアリーQuiet Luxury[Google検索]です。
派手な色使いをせず、奇抜なデザインをせず、ブランド・ロゴを見せず、オーセンティックに、しかしながらそのブランドらしさが判るシルエットの服です。
有名ブランドのロゴを見せびらかしてドヤァ(*´з`)の雰囲気からは、大きく違うのが今のトレンドです。
エルメスは、もうずっと昔から既に、「クワイエット・ラグジュアリー」であったと思いますが、この考え方が一層注目を集めているそうです。
日本のお洒落センスで言えば、金沢の香林坊。大阪のキタの梅田阪急近辺。東京都新宿の、ヨージ・ヤマモトを見て判る人にだけ解かってもらう程度にこっそり使う雰囲気。
〇昔、ルイ・ヴィトンで、マーク・ジェイコブス先生は・・・
「クワイエット・ラグジュアリー」の流行を見て、私は思い出したことがあります。
昔、1990年代後半は、「クワイエット・ラグジュアリー」は人気なかったと記憶しています。
ファッションデザイナーのマーク・ジェイコブス先生は、今は先生自身の『MARC JACOBS』のブランドで知られていますが、昔はルイ・ヴィトン社でデザイナーをしていたんです。で、任命初期の頃、ルイ・ヴィトンのあの有名な柄などが目立たないクワイエットなデザインの服を発表なさったのですが、顧客からは「ヴィトンのプレタポルテ[既製服]に期待してるのは、そうじゃないよ」と不評だったのです。
----日本経済新聞社・日経ビジネス人文庫『ブランド帝国の素顔』長沢伸也著 ISBN4-532-19147-5/129ページ5行目から------
九七年一月、ベルナール・アルノーから直々に請われて、マーク・ジェイコブスはルイ・ヴィトンのアーティスティック・ディレクターとして契約。97-98秋冬には小規模な初コレクションを発表した。98年春夏からプレタポルテを創り始め、98-99秋冬シーズンからはパリコレにも参加した。しかし、この最初の三シーズン、マーク・ジェイコブスは迷走し、苦悩した。
もともとマークは、ニューヨークの、都会的で、機能的で、シンプルで、現代的で、実際に着られるようなリアルクローズ路線が得意だった。ルイ・ヴィトンにも、そのスタイルをそのままぶつけてみた。実際、空港やターミナル駅でよく映えるといえなくもなかったが、あまりに飾り気のないコレクションになってしまった。
顧客は、ルイ・ヴィトンというブランドに、長い伝統、旅にまつわる物語を感じとりたかったのである。その象徴が、LVの刻印であり、目立たないところにそっと刻印されていても意味がなかった。顧客の視線とマークの視線は、まったく違う方向を向いていた。
後になって、マークはプレッシャーがなかったわけではないこと、自分なりのアイデアがうまくいかずに悩んだようなことを漏らすようになる。
「たぶんゼロから始めようとしていたんだと思う。贅沢と実用性というのは意識していたけど、”ステータスシンボルとしてのルイ・ヴィトン”という部分が頭から抜けていた。自分がそのブレインとなっているんだということも、すっかり忘れていた。ああ、もっと楽しんでもいいんだなとわかったのは、最初のコレクションが終わってからだね。そんなに生真面目になることはないんだ、と」[*]
[*]「たぶんゼロから~ は、『ヴォーグ ニッポン』2002年1月号の「幸せはパリで」インタビュー記事より引用
-----引用おわり---------------
この辺は僕が初稿を書きましたので、その『ヴォーグ』を読みましたし、勿論、それら服の写真も見たんですが。和服で言う、男物の羽織の、表は地味だけれど裏地が粋なヤツ、みたいな考え方はこの時代は人気なかったんです。
昔は、ブランドのロゴを見せびらかしてドヤァ(*´з`)の、コンスピキュアス・コンサンプションのほうがウケたんですよ。確かにね。
でも、この冬のトレンドは「クワイエット・ラグジュアリー」だったのですよ。
僕ら日本人が考えている「クワイエット・ラグジュアリー」。
トレンドもデザインセンスも、グルグル回って1周、2周、360度、720度の果てに、伝われ、この想い。