411 関係性 その18 「職場の仲間」は復活するのか?
- 2024/03/19
- 17:54
春闘[ウィキペディア]で、大手企業を中心に大幅の賃上げが妥結されたそうです。
そして、この動きを受けて日本経済の舵取りはどうなるのか?日銀はマイナス金利政策を解除するのか?あるいは他のリアクションをするのか?と注目されています。
(※春闘のニュースを見た後、数日間かけてこの記事を書き終えてアップロードしました本日3月19日に、ちょうど、日銀はマイナス金利政策を解除することを決定したそうです。不覚にもアップロードした後に経済ニュースを見つけました。m(_ _)m)
春闘という労使交渉の機会がその機能を発揮したのを、また、「春闘で、労働者側の希望に対して企業側から満額回答が続々で、皆さん、給料が増えますね!ばんざーい!」とのコメントを、私は自分が大人になってから初めて見たような気がします。
私の脳内では、「春闘」という文字は、昔の昭和の終わりから平成元年の、バブルが弾けた後に数年間は景気に勢いが残っていた時期の「竹下登総理」「海部俊樹総理」「千代の富士と大乃国と小錦と寺尾」「オグリキャップ」という時代に分類されていましたわ・・・。すっごい昔のことで、忘れかけていました。
時代は流れ流れ、今や、このような交渉をする労働組合がある老舗企業も少ないでしょう。同時に、この賃上げを享受できる大手企業の正社員さんも全労働者の中では比率としては少数派なのかもしれませんけれども。それでも、この交渉チャネルを維持して下さって良かったと思います。
この春闘の成果、日本円が安くなった事に因って諸々の物価が騰がっている状況の中で、労働者の賃金だけが”お値段据え置き”のように取り残されなかったことが、大変良かったと思います。
ところで、このところ日経平均株価も高くなっていますが、私には、これも円安に因って株価が高くなったのだと思われます。
ある企業の株が110万円として、先年までの為替相場で=1万$であったところ、今は1万$=150万円ですから、合衆国ドルやユーロを基準にして株式投資をしている方々にとっては、日本企業の内容と価値は別に悪くなっていないのに日本円が安くなって株式が買い易くなったから、ちょっと買い増ししたんじゃないでしょうか。特に、東京エレクトロン[8035]などの、外国の投資家からも注目されやすい半導体産業の有力企業が良く買われていて株価が高くなっているのは、特徴的だなあと納得するところです。
「日経平均株価」は日本の経済の指標として重要視されていますが、今の株価は円安によって持ち上げられた高値ではないかと、ちょっと疑って考えるべきでしょう。
また、経済の指標と言っても、この場合の「経済(英:economy)」は、主に「商取引の生態」を意味しておりまして、漢文のオリジナルの意味での經世濟民[ウィキペディア]や、日本語の『高き屋に のぼりて見れば 煙立つ 民のかまどは にぎはひにけり』が言う、「人々のwell-beingが達成されているかどうか」とは、言葉の範囲がちょっと違っていますから、その点に注意が必要です。
それにしても、日本社会の社会思想も良くなりました。「皆…… 死んだ甲斐があったな…」(涙。
約23年前の氷河期はこうではなかったですよ。誰も彼も、みんな、気合が入り過ぎていて、酷かった。
企業の求人は、「国際競争が厳しいからコストカットだ。労働者の賃金を削ろう。ムダな社員が多すぎる。改革の痛みに耐えよう。正社員を雇う余裕は無い。新卒採用の募集枠は0です。社会保険が無いアルバイトか派遣契約か個人事業主契約ならば雇ってあげてもいいよ。」みたいな、きっついのしか無かったです。
しかし労働者は、ちょっとでも収入を得なければ毎日の生活にも困るし、就職できずに履歴書の職歴欄が空白になってしまうとすなわち社会不適合者であるという扱いをされるから、仕方なく応募して働いたのでした。「君の替わりはいくらでも居る。社会は厳しいのだ。競争の中で良い待遇を勝ち取れなかったのは君個人の努力不足だから自己責任だ。成功者の足を引っ張るな。」と突き放されながら。
入社した後も酷かった。上司である昭和じじい世代のベテラン勢も苦労をしていました。若者たちは八つ当たりやとばっちりを受けました。ベテラン勢は、「45歳以上は早期退職を受け付けますが、あなたは応募しないのですか?何故応募しないのですか?あなたがこの会社に居ることで我が社にどんなメリットがあるのでしょうか?」と圧迫されていたので、彼らも自分が生き残る為に、まるで『白い巨塔』の東教授が次世代の主将になるはずの財前を潰そうと画策したのと同じように、必死で若手を潰したのさ。
あれはまさに、『万人の万人に対する闘争』[ウィキペディア]でした。
この当時は、大銀行を更に合体させてメガバンクを作ったり、大手企業に利益を持たせて資金体力を持たせたりすれば、国際競争に勝てるのではないかと考えられていたのでしょうが、日本国民のサラリーマン労働者の家計が瘦せ細って跛行状態を招いたのでした。
そんな新自由主義で大艦巨砲主義な風潮の時代を30年ほども越えて、春闘というシステムが再び機能したことに、私はとても驚きました。
「春闘で有力企業が賃上げ」「日経平均株価」の他に、もうひとつの重要な経済指標であるGDP[ウィキペディア]は、失われた30年と呼ばれるこの期間、ずっと低迷してきました。
GDPとは、売り手と買い手の商取引が盛んになってお金が動き回っていることを指すのであります。GDPの計算には重要なポイントがあります。企業が製造した例えば1,000億円分の商品を、消費者も1,000億円の資金を持っていてそれを購入した場合に、GDP1,000億円分の成績として算入されるのです。消費者がお金を持ってなくて商品を買えない場合はGDPに成らないのです。商品の売価を900億円に値切られて商談成立したのならばGDP900億円の成績になってしまいます。ですから、消費者=中流サラリーマン労働者の財布=家計に、ちゃんとそこそこの資金が有ることがGDPを大きくするポイントなのです。
さて、日本の国家規模のマクロ経済としては、この春にこの様に労働者の賃金を上げた後、日銀はマイナス金利政策を解除して、今後は円高に進むかどうでしょうか、という所で、日銀が現在の経済状況をどう判断して何をするかが注目されています。
経済学の先生方、頼むぜ~。失われた30年間にGDPが何故伸びていないかを注目してください。
人々のwell-beingを達成する為に、賃金上昇が物価上昇を上回って、家計が豊かになるにはどうしたらよいか?は、経営学としては、実は答えがもう解っています。
このブログの[161『大逆転! コンチネンタル航空―奇跡の復活』]に紹介申し上げましたように、利益を捨てた薄利多売の競争を止める事です。利益が出ないから→出費を削ろう→従業員への給与も安く抑えなければならない、長時間のサービス残業で穴埋めしてもらわねばならない、という仕組みを止めることです。
自由競争は、まじで本当に簡単に、合成の誤謬をやらかすのです。
ある一定の地域に、コンビニエンスストアがあって、スーパーマーケットがあって、大型ドラッグストアがあって、ショッピングモールもあって、レストランもあって、ネット通販の即日配達地域でもあるし、つまり、売っている品物がまあまあ似通っている各社商店が過密に存在していて、客の奪い合いをしていて、特売キャンペーンをしたりして薄利で競争をしているけど多売できなくて、それぞれがあまり儲かって居ないので→従業員給与を安く抑えたいという問題がきっと発生しているのです。ちょうど十分である状態を英語でjustと言い、それよりもほんのちょっと多めで豊富で余裕がある状態をplentyと言いますが、きっと、供給が過剰で過当競争を起こしているに違いないのです。
この予想の根拠は、経営戦略論の用語でドミナント出店[ウィキペディア]と言いまして、各店舗は採算ギリギリ黒字の程度でいいから、狙っている特定の地域内に出来るだけ多くの店舗を出して我が社のフランチャイズ・チェーン店で街を埋め尽くして占領するのだ!と言う競争を各社の各チェーン系列それぞれでやっているのですから。
たくさん出店して土地と建物に費用を使って、たくさんの商品を棚に並べて「品揃え充実!」をアピールしつつ、たくさんの賞味期限切れを廃棄して、利益を失っているんじゃないかな。
商店が激しく競争して、”より良い品をより安く”の方向に競争をして、商品を安価に供給するならば、消費者にとっては好ましいではないかという価値観がひとつあります。仕事を頑張ってライバル企業との競争に打ち勝つのは素晴らしいことだという価値観もまたひとつあります。
そうやって皆で仕事を頑張って頑張って、で!どの辺りから!やりすぎ、攻めすぎ、レッドオーシャン、過当競争[Google検索]に陥ってしまうかを確り計算出来たら良いのですが、・・・これがきっと難しいんですわ。
やりすぎかどうかのラインは、例えば、小売店舗で働く人手が不足しているからと外国人労働者をたくさん招いてでも安売り競争を続けようとしているでしょう、これって立ち止まって考え直すべきラインを素通りして突破してしまっていませんか?
長い前置きを書き終えまして、本記事のタイトルの部分に話を進めます。
「職場の仲間」という繋がりは、復活するんでしょうか?
従業員と職場は、相思相愛の関係を失って久しいと思うのです。
従業員と同僚も、もう、まったく友人ではなく、憎きライバルでしかないのではないか。
弊ブログでこれまで述べてきました社畜ソルジャーの文化において、従業員は、転勤命令や異動命令に素直に服従するかどうか、長時間残業に文句を言わずに耐えるか、等々で、職場への忠誠心をテストされてきました。しかしながら、職場のほうからは「君の替わりはいくらでも居る。嫌なら辞めろ。」と突き放され、職場の仲間で団結して待遇改善を要求することなど出来ず、意見を言えない状態で生きてきたわけです。片務的であったろうと思います。
また、同僚と団結して打ち合わせをして待遇改善を要求するよりも、ただ自分ひとり、インターネットの転職支援サイトを使って、もっと待遇が良い転職先を探すほうが速いという要素もあったでしょうか。
「職場の仲間」という関係性は、踏みにじられてもう生きてないと私は思っていましたが、この春闘で労働者の待遇が改善されたことで、従業員と職場と同僚の相思相愛関係は、生き返るのでしょうか?
何を言っているのかを、有名な漫画で説明を試みます。
私など団塊ジュニア世代後期が小学生だった頃の初期の『ドラゴンボール』では、ユニフォームとして亀仙流の道着を着ていたじゃないですか。クリリンは初登場の時、むふふのぱふぱふの美女のグラビア写真本を贈り物として持参して亀仙人様に弟子入りしたでしょう。田舎者の悟空とは全然違って、そういう、世間に慣れている悪知恵があるちょっと嫌な奴だけれど、でも、同じ道場で修行するし同じ道着を着る仲間になったじゃないですか。これは、従業員と職場の相思相愛の関係がまだ生きていたであろう平成初期の時代のこと。
後に平成不況と就職氷河期と呼ばれる時代にさしかかってきた頃の『ワンピース』で、ルフィは、公的な海軍組織の艦隊司令長官になる!のではなく、海賊王になる!のでした。私的な友情で繋がっているだけの仲間達と、旅に出る(=ホームには帰らない感じ)じゃないですか。私はその「組織にはもう何も期待していないぜ!」という強い個人主義と独立心が、少し下のゆとり世代たちには支持されているのかなあ?と思っていました。今の日本社会って、海賊を目指すのがカッコイイんだ?まあ、なるほど、そうなるかなあ?って。
しかし、近年の『進撃の巨人』と『鬼滅の刃』では、主人公は特殊戦闘部隊の制服を着てるんですよ・・・。
なんなのでしょう。
個人主義と「職場の仲間」の関係性とのバランス感って、レトロファッションのように、30年サイクルぐらいで1周するのかしら???
ずっと昔の農村では、用水路の整備や田畑を耕すのを親戚や近所で協力して作業したそうです。夏の終わりの稲の収穫も協力しました。村の神社に豊作のお礼を申し上げるお祭の御神輿や獅子舞も協力してやっていたそうです。そういう信頼関係まで、先祖返りするのかしら?
もうちょっとお話を書きたいのですが、ここで区切って次の記事に致します。
そして、この動きを受けて日本経済の舵取りはどうなるのか?日銀はマイナス金利政策を解除するのか?あるいは他のリアクションをするのか?と注目されています。
(※春闘のニュースを見た後、数日間かけてこの記事を書き終えてアップロードしました本日3月19日に、ちょうど、日銀はマイナス金利政策を解除することを決定したそうです。不覚にもアップロードした後に経済ニュースを見つけました。m(_ _)m)
春闘という労使交渉の機会がその機能を発揮したのを、また、「春闘で、労働者側の希望に対して企業側から満額回答が続々で、皆さん、給料が増えますね!ばんざーい!」とのコメントを、私は自分が大人になってから初めて見たような気がします。
私の脳内では、「春闘」という文字は、昔の昭和の終わりから平成元年の、バブルが弾けた後に数年間は景気に勢いが残っていた時期の「竹下登総理」「海部俊樹総理」「千代の富士と大乃国と小錦と寺尾」「オグリキャップ」という時代に分類されていましたわ・・・。すっごい昔のことで、忘れかけていました。
時代は流れ流れ、今や、このような交渉をする労働組合がある老舗企業も少ないでしょう。同時に、この賃上げを享受できる大手企業の正社員さんも全労働者の中では比率としては少数派なのかもしれませんけれども。それでも、この交渉チャネルを維持して下さって良かったと思います。
この春闘の成果、日本円が安くなった事に因って諸々の物価が騰がっている状況の中で、労働者の賃金だけが”お値段据え置き”のように取り残されなかったことが、大変良かったと思います。
ところで、このところ日経平均株価も高くなっていますが、私には、これも円安に因って株価が高くなったのだと思われます。
ある企業の株が110万円として、先年までの為替相場で=1万$であったところ、今は1万$=150万円ですから、合衆国ドルやユーロを基準にして株式投資をしている方々にとっては、日本企業の内容と価値は別に悪くなっていないのに日本円が安くなって株式が買い易くなったから、ちょっと買い増ししたんじゃないでしょうか。特に、東京エレクトロン[8035]などの、外国の投資家からも注目されやすい半導体産業の有力企業が良く買われていて株価が高くなっているのは、特徴的だなあと納得するところです。
「日経平均株価」は日本の経済の指標として重要視されていますが、今の株価は円安によって持ち上げられた高値ではないかと、ちょっと疑って考えるべきでしょう。
また、経済の指標と言っても、この場合の「経済(英:economy)」は、主に「商取引の生態」を意味しておりまして、漢文のオリジナルの意味での經世濟民[ウィキペディア]や、日本語の『高き屋に のぼりて見れば 煙立つ 民のかまどは にぎはひにけり』が言う、「人々のwell-beingが達成されているかどうか」とは、言葉の範囲がちょっと違っていますから、その点に注意が必要です。
それにしても、日本社会の社会思想も良くなりました。「皆…… 死んだ甲斐があったな…」(涙。
約23年前の氷河期はこうではなかったですよ。誰も彼も、みんな、気合が入り過ぎていて、酷かった。
企業の求人は、「国際競争が厳しいからコストカットだ。労働者の賃金を削ろう。ムダな社員が多すぎる。改革の痛みに耐えよう。正社員を雇う余裕は無い。新卒採用の募集枠は0です。社会保険が無いアルバイトか派遣契約か個人事業主契約ならば雇ってあげてもいいよ。」みたいな、きっついのしか無かったです。
しかし労働者は、ちょっとでも収入を得なければ毎日の生活にも困るし、就職できずに履歴書の職歴欄が空白になってしまうとすなわち社会不適合者であるという扱いをされるから、仕方なく応募して働いたのでした。「君の替わりはいくらでも居る。社会は厳しいのだ。競争の中で良い待遇を勝ち取れなかったのは君個人の努力不足だから自己責任だ。成功者の足を引っ張るな。」と突き放されながら。
入社した後も酷かった。上司である昭和じじい世代のベテラン勢も苦労をしていました。若者たちは八つ当たりやとばっちりを受けました。ベテラン勢は、「45歳以上は早期退職を受け付けますが、あなたは応募しないのですか?何故応募しないのですか?あなたがこの会社に居ることで我が社にどんなメリットがあるのでしょうか?」と圧迫されていたので、彼らも自分が生き残る為に、まるで『白い巨塔』の東教授が次世代の主将になるはずの財前を潰そうと画策したのと同じように、必死で若手を潰したのさ。
あれはまさに、『万人の万人に対する闘争』[ウィキペディア]でした。
この当時は、大銀行を更に合体させてメガバンクを作ったり、大手企業に利益を持たせて資金体力を持たせたりすれば、国際競争に勝てるのではないかと考えられていたのでしょうが、日本国民のサラリーマン労働者の家計が瘦せ細って跛行状態を招いたのでした。
そんな新自由主義で大艦巨砲主義な風潮の時代を30年ほども越えて、春闘というシステムが再び機能したことに、私はとても驚きました。
「春闘で有力企業が賃上げ」「日経平均株価」の他に、もうひとつの重要な経済指標であるGDP[ウィキペディア]は、失われた30年と呼ばれるこの期間、ずっと低迷してきました。
GDPとは、売り手と買い手の商取引が盛んになってお金が動き回っていることを指すのであります。GDPの計算には重要なポイントがあります。企業が製造した例えば1,000億円分の商品を、消費者も1,000億円の資金を持っていてそれを購入した場合に、GDP1,000億円分の成績として算入されるのです。消費者がお金を持ってなくて商品を買えない場合はGDPに成らないのです。商品の売価を900億円に値切られて商談成立したのならばGDP900億円の成績になってしまいます。ですから、消費者=中流サラリーマン労働者の財布=家計に、ちゃんとそこそこの資金が有ることがGDPを大きくするポイントなのです。
さて、日本の国家規模のマクロ経済としては、この春にこの様に労働者の賃金を上げた後、日銀はマイナス金利政策を解除して、今後は円高に進むかどうでしょうか、という所で、日銀が現在の経済状況をどう判断して何をするかが注目されています。
経済学の先生方、頼むぜ~。失われた30年間にGDPが何故伸びていないかを注目してください。
人々のwell-beingを達成する為に、賃金上昇が物価上昇を上回って、家計が豊かになるにはどうしたらよいか?は、経営学としては、実は答えがもう解っています。
このブログの[161『大逆転! コンチネンタル航空―奇跡の復活』]に紹介申し上げましたように、利益を捨てた薄利多売の競争を止める事です。利益が出ないから→出費を削ろう→従業員への給与も安く抑えなければならない、長時間のサービス残業で穴埋めしてもらわねばならない、という仕組みを止めることです。
自由競争は、まじで本当に簡単に、合成の誤謬をやらかすのです。
ある一定の地域に、コンビニエンスストアがあって、スーパーマーケットがあって、大型ドラッグストアがあって、ショッピングモールもあって、レストランもあって、ネット通販の即日配達地域でもあるし、つまり、売っている品物がまあまあ似通っている各社商店が過密に存在していて、客の奪い合いをしていて、特売キャンペーンをしたりして薄利で競争をしているけど多売できなくて、それぞれがあまり儲かって居ないので→従業員給与を安く抑えたいという問題がきっと発生しているのです。ちょうど十分である状態を英語でjustと言い、それよりもほんのちょっと多めで豊富で余裕がある状態をplentyと言いますが、きっと、供給が過剰で過当競争を起こしているに違いないのです。
この予想の根拠は、経営戦略論の用語でドミナント出店[ウィキペディア]と言いまして、各店舗は採算ギリギリ黒字の程度でいいから、狙っている特定の地域内に出来るだけ多くの店舗を出して我が社のフランチャイズ・チェーン店で街を埋め尽くして占領するのだ!と言う競争を各社の各チェーン系列それぞれでやっているのですから。
たくさん出店して土地と建物に費用を使って、たくさんの商品を棚に並べて「品揃え充実!」をアピールしつつ、たくさんの賞味期限切れを廃棄して、利益を失っているんじゃないかな。
商店が激しく競争して、”より良い品をより安く”の方向に競争をして、商品を安価に供給するならば、消費者にとっては好ましいではないかという価値観がひとつあります。仕事を頑張ってライバル企業との競争に打ち勝つのは素晴らしいことだという価値観もまたひとつあります。
そうやって皆で仕事を頑張って頑張って、で!どの辺りから!やりすぎ、攻めすぎ、レッドオーシャン、過当競争[Google検索]に陥ってしまうかを確り計算出来たら良いのですが、・・・これがきっと難しいんですわ。
やりすぎかどうかのラインは、例えば、小売店舗で働く人手が不足しているからと外国人労働者をたくさん招いてでも安売り競争を続けようとしているでしょう、これって立ち止まって考え直すべきラインを素通りして突破してしまっていませんか?
長い前置きを書き終えまして、本記事のタイトルの部分に話を進めます。
「職場の仲間」という繋がりは、復活するんでしょうか?
従業員と職場は、相思相愛の関係を失って久しいと思うのです。
従業員と同僚も、もう、まったく友人ではなく、憎きライバルでしかないのではないか。
弊ブログでこれまで述べてきました社畜ソルジャーの文化において、従業員は、転勤命令や異動命令に素直に服従するかどうか、長時間残業に文句を言わずに耐えるか、等々で、職場への忠誠心をテストされてきました。しかしながら、職場のほうからは「君の替わりはいくらでも居る。嫌なら辞めろ。」と突き放され、職場の仲間で団結して待遇改善を要求することなど出来ず、意見を言えない状態で生きてきたわけです。片務的であったろうと思います。
また、同僚と団結して打ち合わせをして待遇改善を要求するよりも、ただ自分ひとり、インターネットの転職支援サイトを使って、もっと待遇が良い転職先を探すほうが速いという要素もあったでしょうか。
「職場の仲間」という関係性は、踏みにじられてもう生きてないと私は思っていましたが、この春闘で労働者の待遇が改善されたことで、従業員と職場と同僚の相思相愛関係は、生き返るのでしょうか?
何を言っているのかを、有名な漫画で説明を試みます。
私など団塊ジュニア世代後期が小学生だった頃の初期の『ドラゴンボール』では、ユニフォームとして亀仙流の道着を着ていたじゃないですか。クリリンは初登場の時、むふふのぱふぱふの美女のグラビア写真本を贈り物として持参して亀仙人様に弟子入りしたでしょう。田舎者の悟空とは全然違って、そういう、世間に慣れている悪知恵があるちょっと嫌な奴だけれど、でも、同じ道場で修行するし同じ道着を着る仲間になったじゃないですか。これは、従業員と職場の相思相愛の関係がまだ生きていたであろう平成初期の時代のこと。
後に平成不況と就職氷河期と呼ばれる時代にさしかかってきた頃の『ワンピース』で、ルフィは、公的な海軍組織の艦隊司令長官になる!のではなく、海賊王になる!のでした。私的な友情で繋がっているだけの仲間達と、旅に出る(=ホームには帰らない感じ)じゃないですか。私はその「組織にはもう何も期待していないぜ!」という強い個人主義と独立心が、少し下のゆとり世代たちには支持されているのかなあ?と思っていました。今の日本社会って、海賊を目指すのがカッコイイんだ?まあ、なるほど、そうなるかなあ?って。
しかし、近年の『進撃の巨人』と『鬼滅の刃』では、主人公は特殊戦闘部隊の制服を着てるんですよ・・・。
なんなのでしょう。
個人主義と「職場の仲間」の関係性とのバランス感って、レトロファッションのように、30年サイクルぐらいで1周するのかしら???
ずっと昔の農村では、用水路の整備や田畑を耕すのを親戚や近所で協力して作業したそうです。夏の終わりの稲の収穫も協力しました。村の神社に豊作のお礼を申し上げるお祭の御神輿や獅子舞も協力してやっていたそうです。そういう信頼関係まで、先祖返りするのかしら?
もうちょっとお話を書きたいのですが、ここで区切って次の記事に致します。