廃駅のある風景(その24)/勝田線下宇美駅
鹿児島本線の吉塚から分岐して宇美を経て筑前勝田に至っていた盲腸線が勝田線です。1985年廃止なので、国鉄のままこの世を去りました。
勝田線の沿線はその後、福岡市のベッドタウンとして発展しましたので、「廃線にしなければ都市近郊路線として再生できたのに」という意見もよく耳にしますが、すぐ近くを香椎線が平行して走り(勝田線と香椎線は前身が違う鉄道会社だったからね)、一方の香椎線を残すという判断も仕方無かったのかな?とも思います。
さて、その廃線跡は、遊歩道になっている部分も多く、比較的容易に辿ることができます。駅跡は、何も遺構が残っていないものが多いのですが、下の写真の下宇美駅跡と志免駅跡にはホームが残っています。
![CIMG9203_convert_20170331052740.jpg](http://blog-imgs-121.fc2.com/a/i/s/aisaikaken/CIMG9203_convert_20170331052740.jpg)
単式ホームの簡単な駅だったようですが、ホームが残存しておりますと何となく興奮してしまいます。
お隣の宇美駅は、香椎線との乗り換え駅でしたが、実際は香椎線と勝田線では、同じ国鉄の同じ名前の駅なのに、別の場所にありました(かつての仙石線の石巻駅と石巻線の石巻駅の関係に似ています)。これも、両線の前身が別会社だったことに由来します。
もちろん、香椎線の宇美駅は現役ですが、勝田線の宇美駅は綺麗さっぱり無くなりました。昔の地図を参照して、ようやく「ここかな~」と判る程度。この下宇美駅程度に残っていてくれれば良かったんですが。
さて、「廃駅がある風景」シリーズではないけど、志免駅を取り上げたことがありますので、その過去記事をついでに再掲しましょう。
---ここから過去記事再掲---
年末です.クリスマスも終わりました.愛妻は何かと忙しそうですが,DPLはいつもの調子で,あまり相手にして貰えません.
さて,線路の写真です.
![途切れ途切れ_convert_20111226190632](http://blog-imgs-42.fc2.com/a/i/s/aisaikaken/201112261907087a4.jpg)
道路が横切っており,途切れています.実はこの先にコンクリートの障害物が写っていますが,その先にもレールがあります.まさに途切れ途切れです.
もちろん,列車は今は通りません(通れません).別に踏切の跡というわけではありません.道路は,鉄道が廃止されてから作られました.その証拠に,線路に平行するホームも道路によって分断されています(右上に少しホームが写っていますね).
ここは廃線になった国鉄勝田線(鹿児島本線の吉塚駅から筑前勝田駅までの盲腸線)の途中駅・志免駅(「しめん」ではなく「しめ」と読みます)の跡です.現在は「志免鉄道公園」として,ホームと線路の一部を意図的に残しています.
昔の写真を見ますと島式1面2線だったようですが,現存するのは1線分だけです(改めて敷設し直した感じですが).駅舎の位置も配線もよくわかりませんし,ちょっと中途半端な残し方だなあ.
近くには志免炭鉱(志免鉱業所)があり,構内で引き込み線が分岐していました.しかし,その痕跡はきれいさっぱり残っていません.ただ,志免炭鉱の竪坑櫓や斜坑口は残されており,さらにボタ山も残存しており,こちらは非常に面白い(また紹介します).
鉄道公園のような残し方は,「記念」という意味はありますが,それ以上のものはないような気もします.ホームはほぼ原型を留めているようですが,構内の様子が全然わからないというのはねえ.もちろん,きれいさっぱり消滅するよりは,はるかに良いのは言うまでもありません.
---再掲ここまで---
やや不正確な記述がありますが、まあいいや(よくないけど)。
勝田線の沿線はその後、福岡市のベッドタウンとして発展しましたので、「廃線にしなければ都市近郊路線として再生できたのに」という意見もよく耳にしますが、すぐ近くを香椎線が平行して走り(勝田線と香椎線は前身が違う鉄道会社だったからね)、一方の香椎線を残すという判断も仕方無かったのかな?とも思います。
さて、その廃線跡は、遊歩道になっている部分も多く、比較的容易に辿ることができます。駅跡は、何も遺構が残っていないものが多いのですが、下の写真の下宇美駅跡と志免駅跡にはホームが残っています。
![CIMG9203_convert_20170331052740.jpg](http://blog-imgs-121.fc2.com/a/i/s/aisaikaken/CIMG9203_convert_20170331052740.jpg)
単式ホームの簡単な駅だったようですが、ホームが残存しておりますと何となく興奮してしまいます。
お隣の宇美駅は、香椎線との乗り換え駅でしたが、実際は香椎線と勝田線では、同じ国鉄の同じ名前の駅なのに、別の場所にありました(かつての仙石線の石巻駅と石巻線の石巻駅の関係に似ています)。これも、両線の前身が別会社だったことに由来します。
もちろん、香椎線の宇美駅は現役ですが、勝田線の宇美駅は綺麗さっぱり無くなりました。昔の地図を参照して、ようやく「ここかな~」と判る程度。この下宇美駅程度に残っていてくれれば良かったんですが。
さて、「廃駅がある風景」シリーズではないけど、志免駅を取り上げたことがありますので、その過去記事をついでに再掲しましょう。
---ここから過去記事再掲---
年末です.クリスマスも終わりました.愛妻は何かと忙しそうですが,DPLはいつもの調子で,あまり相手にして貰えません.
さて,線路の写真です.
![途切れ途切れ_convert_20111226190632](http://blog-imgs-42.fc2.com/a/i/s/aisaikaken/201112261907087a4.jpg)
道路が横切っており,途切れています.実はこの先にコンクリートの障害物が写っていますが,その先にもレールがあります.まさに途切れ途切れです.
もちろん,列車は今は通りません(通れません).別に踏切の跡というわけではありません.道路は,鉄道が廃止されてから作られました.その証拠に,線路に平行するホームも道路によって分断されています(右上に少しホームが写っていますね).
ここは廃線になった国鉄勝田線(鹿児島本線の吉塚駅から筑前勝田駅までの盲腸線)の途中駅・志免駅(「しめん」ではなく「しめ」と読みます)の跡です.現在は「志免鉄道公園」として,ホームと線路の一部を意図的に残しています.
昔の写真を見ますと島式1面2線だったようですが,現存するのは1線分だけです(改めて敷設し直した感じですが).駅舎の位置も配線もよくわかりませんし,ちょっと中途半端な残し方だなあ.
近くには志免炭鉱(志免鉱業所)があり,構内で引き込み線が分岐していました.しかし,その痕跡はきれいさっぱり残っていません.ただ,志免炭鉱の竪坑櫓や斜坑口は残されており,さらにボタ山も残存しており,こちらは非常に面白い(また紹介します).
鉄道公園のような残し方は,「記念」という意味はありますが,それ以上のものはないような気もします.ホームはほぼ原型を留めているようですが,構内の様子が全然わからないというのはねえ.もちろん,きれいさっぱり消滅するよりは,はるかに良いのは言うまでもありません.
---再掲ここまで---
やや不正確な記述がありますが、まあいいや(よくないけど)。
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