Dr.プリティラヴ-愛妻に恋する博士の日常- 路傍の産業遺産
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行きたい廃駅

英国の廃駅は行きたいところが一杯あるわけですが、今のところ、ココが一番行きたいかなあ~(以下、過去記事再掲が入れ子状になっています)。

---ここから過去記事再掲---

以前に、下の方に再掲しています過去記事で、「どう見ても駅の遺構なのだけど、駅名判らないので教えて!」と書きましたが、その後ネットを駆使して判明しました(実はそんなに手間がかからなかった)。

Aysgarth駅です。

な~んとユーチューブに紹介動画があるYo!


https://youtu.be/aGptFxuEiG4

保存車両もあるんだね。これは素晴らしい!行きたい行きたい行きたいYo!

一応過去記事も再掲しておきましたので、また読んでね。

---ここから過去記事再掲---

54°17'46.91"N 、1°58'53.74"Wの地点(例によってグレートブリテン島)で見つけた駅跡です。

駅跡_convert_20151014224840

黄色のピンを立てた地点ね。右上から左下にかけてうねる緑の筋が廃線跡。

ピンの辺りを拡大すると・・・凄いでしょう?

駅跡2_convert_20151014224904

レールは残っていないようだけど、プラットホームはちゃんと残っているし、駅舎も残っているみたい。車庫のような建物もあるぞ!鉄道模型のジオラマのような駅跡であります。

しかし、残念ながら、ストリートビューが可能な道路の中には、この構内を一望できるような地点はありません。

ただ、駅跡の手前で石橋を見つけたYo!

駅跡3_convert_20151014224822

列車はこの上を通過して駅構内に進入したんだね。

しかし、駅名がどうしても判りません。従いまして、「英国の廃駅シリーズ」に入れられないや。誰か教えて!

おおまかな場所は下の通り(黄色のピンの地点)。

駅跡4_convert_20151014230724

この辺りは愛妻と足を踏み入れたことがないなあ。でも、湖水地方は比較的近いな。

---再掲ここまで---

ああ楽しい。


---再掲ここまで---

しかし、詳しく見て行くと、まだまだ残っている廃駅はありそうだなあ。

結構出てくるなあ

ここ2日間取り上げているAshbury駅ですが、「例の廃駅データベースには記載がない」と書きましたが、「例の廃駅データベース」とはコレのことね。
http://www.disused-stations.org.uk/

ボクがいつも愛用している、英国の廃駅ファン必見のサイトであります。

ただ、英語版のウィキペディアには"Ashbury railway station"という項目があって、現在の写真とともに簡単な説明が与えられていますねえ。
https://en.wikipedia.org/wiki/Ashbury_railway_station

これによると、"London and South Western Railway"が1879年に開業させた駅で、国鉄時代の1966年に廃止されていることなどの基本情報が判ります。

それはそうと、英語版ウィキペディアには、"Disused railway stations in the United Kingdom"というカテゴリーがあって、英国の廃駅がきちんとリストアップされていて、中身も充実しております。
https://en.wikipedia.org/wiki/Category:Disused_railway_stations_in_the_United_Kingdom

これは凄いねえ。

ちなみに、Ashbury駅の現役時代の写真が載っているサイトも、検索すると色々出てきますねえ。例えば、コレなんか良い写真ですよ。
http://www.tintagelweb.co.uk/images/Railway/Ashbury%20Station.gif

色々なサイトを見てみると、英国にも鉄ちゃん(トレインスポッター)は沢山居るハズなんですが、愛妻もボクも実物にはまだ出会っていないなあ(たまたまかなあ?日本ではしょっちゅう見るよね)。

角度を変えてもう一枚

昨日のストリートビュー写真ですが、角度を変えてもう一枚貼りましょう。

廃駅3_convert_20170412141218

こういう廃駅を改造した家で愛妻と生活すると楽しそうだな~(実際に住むとなると大変かも知れないけど)。

英国の廃駅(その25):Ashbury駅

およそ1年半ぶりの「英国の廃駅」シリーズであります。

今日は、コーンウォール半島(実は、愛妻もワタクシもまだ足を踏み入れたことがない)のど真ん中あたりにありましたAshbury駅のご紹介です。

廃駅1_convert_20170412135531

と言っても、最初からこの駅を狙ったわけではなくて、たまたまグーグルアースで着地した地点で見つけた廃線跡を辿って行きましたら、駅跡を見つけたという次第(まあ、いつものパタンです)。

駅構内の端を、橋で跨ぐ道があり、その道がストリートビューの対象になっていましたので、構内を俯瞰出来ました!

廃駅2_convert_20170412135553

対向式の2面のホームが綺麗に残存していますねえ。駅舎も綺麗に残っています。リノベーションされていますし(民家かなあ?)、線路敷もホームも芝生が張られてお庭になっているようです。簡易プールもありますよ!

幸せな廃駅活用法と言えるでしょう。なお、この駅は例の廃駅データベースには未記載です。

「英国の廃駅」シリーズを復活させたい

一昨年の秋から冬にかけて、「英国の廃駅」シリーズというものを、ここで発表させていただいておりましたが、結構連続して出した後、プッツリ途絶えていました。

久しぶりに復活させたいのでありますが、その前に見本(?)として過去記事を貼りましょう。

---ここから過去記事再掲---

またまた素晴らしい場所をグーグルアース上で見つけたぞ!

英国のとある地点に着地し、ストリートビューに切り替えて疑似歩きを始めると・・・何かを秘めた感じの古めかしい石橋が登場。

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壁面は・・・ねじりまんぽだ!

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実はこの道は廃線跡です。11月29日に紹介しましたGreat Longstone駅から東に進んだ地点で、この石橋の向こうにHassop駅がありました。

石橋をくぐり抜けて、振り返るとこんな感じ。右にはHassop駅の歴史を伝える看板が立っていますね。

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下の写真の右側の建物がかつての駅舎だね。綺麗にリノベーションされています。

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かつてのホームは、カフェスペースになっているようで、ストリートビューでも寛ぐ人々が確認出来ます。愛妻と一緒に来てみたかったな~。しかし、草は無い方が良いです。

と言うわけで、構内の前後をグーグルアースで再確認。西を上にしています。

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廃線跡のカーブが美しいね。

お隣のGreat Longstone駅との位置関係はこちら。やはり西が上です。

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現役時代の写真を含めた駅の基本情報は、例によってこちらを参照してください。

http://www.disused-stations.org.uk/h/hassop/index.shtml

現役時代と随分イメージが異なりますね。でも、この路線は、駅の保存状態がどこも良いですねえ。廃線跡も遊歩道として整備されているし、言うこと無しだなあ。

シェフィールドに比較的近いので同地を訪れた際は足を伸ばしてみては如何でしょう?(そう言えば同僚にシェフィールド大学に留学されたことがある方がいたなあ)。


---再掲ここまで---

英国の鉄道史は調べれば調べるほど興味深いですし、廃駅探索も宝探しのような面白さがあるのだ。

廃駅のある風景(その24)/勝田線下宇美駅

鹿児島本線の吉塚から分岐して宇美を経て筑前勝田に至っていた盲腸線が勝田線です。1985年廃止なので、国鉄のままこの世を去りました。

勝田線の沿線はその後、福岡市のベッドタウンとして発展しましたので、「廃線にしなければ都市近郊路線として再生できたのに」という意見もよく耳にしますが、すぐ近くを香椎線が平行して走り(勝田線と香椎線は前身が違う鉄道会社だったからね)、一方の香椎線を残すという判断も仕方無かったのかな?とも思います。

さて、その廃線跡は、遊歩道になっている部分も多く、比較的容易に辿ることができます。駅跡は、何も遺構が残っていないものが多いのですが、下の写真の下宇美駅跡と志免駅跡にはホームが残っています。

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単式ホームの簡単な駅だったようですが、ホームが残存しておりますと何となく興奮してしまいます。

お隣の宇美駅は、香椎線との乗り換え駅でしたが、実際は香椎線と勝田線では、同じ国鉄の同じ名前の駅なのに、別の場所にありました(かつての仙石線の石巻駅と石巻線の石巻駅の関係に似ています)。これも、両線の前身が別会社だったことに由来します。

もちろん、香椎線の宇美駅は現役ですが、勝田線の宇美駅は綺麗さっぱり無くなりました。昔の地図を参照して、ようやく「ここかな~」と判る程度。この下宇美駅程度に残っていてくれれば良かったんですが。

さて、「廃駅がある風景」シリーズではないけど、志免駅を取り上げたことがありますので、その過去記事をついでに再掲しましょう。

---ここから過去記事再掲---

年末です.クリスマスも終わりました.愛妻は何かと忙しそうですが,DPLはいつもの調子で,あまり相手にして貰えません.

さて,線路の写真です.

途切れ途切れ_convert_20111226190632

道路が横切っており,途切れています.実はこの先にコンクリートの障害物が写っていますが,その先にもレールがあります.まさに途切れ途切れです.

もちろん,列車は今は通りません(通れません).別に踏切の跡というわけではありません.道路は,鉄道が廃止されてから作られました.その証拠に,線路に平行するホームも道路によって分断されています(右上に少しホームが写っていますね).

ここは廃線になった国鉄勝田線(鹿児島本線の吉塚駅から筑前勝田駅までの盲腸線)の途中駅・志免駅(「しめん」ではなく「しめ」と読みます)の跡です.現在は「志免鉄道公園」として,ホームと線路の一部を意図的に残しています.

昔の写真を見ますと島式1面2線だったようですが,現存するのは1線分だけです(改めて敷設し直した感じですが).駅舎の位置も配線もよくわかりませんし,ちょっと中途半端な残し方だなあ.

近くには志免炭鉱(志免鉱業所)があり,構内で引き込み線が分岐していました.しかし,その痕跡はきれいさっぱり残っていません.ただ,志免炭鉱の竪坑櫓や斜坑口は残されており,さらにボタ山も残存しており,こちらは非常に面白い(また紹介します).

鉄道公園のような残し方は,「記念」という意味はありますが,それ以上のものはないような気もします.ホームはほぼ原型を留めているようですが,構内の様子が全然わからないというのはねえ.もちろん,きれいさっぱり消滅するよりは,はるかに良いのは言うまでもありません.

---再掲ここまで---

やや不正確な記述がありますが、まあいいや(よくないけど)。

7年後

先日から時々取り上げております三池炭鉱の宮原坑です。7年前の写真ですが、手前が三池鉄道の廃線跡。

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そして、世界遺産になり雑木や雑草が取り払われすっかり綺麗になった7年後の姿です。

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時系列が逆のようでしょう?。それにしても、枕木がPC枕木で立派なものであることが意外でした。こんなの草の中に隠れていたのね。

この2枚の写真は同じアングルで定点撮影を試みたわけではなくて、適当に撮った2枚目の写真を1枚目の写真に合わせてトリミングして何とか定点撮影っぽくしてみたのでありました。

定点撮影と言えば、愛妻とボクを同じ様なポーズで毎年毎年撮り続けると良いかも知れないなあ。子供がいたら絶対そうするだろうなあ。

さらに2年前

一昨日の写真のさらに2年前の同じ場所です。右の建物が変化していないので基準にしてね。

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2年後に訪れた時(一昨日の最初の写真)は、少し雑木や雑草が取り払われて線路が見えるようになったんだね。

同付近を同じ時に別方向から撮った写真を貼った過去記事再掲だ。

---ここから過去記事再掲---

不定期更新に変えた筈でしたが,知らない間にいつものペースになっています(1日2回更新の日も無いわけではありませんが).

ブログだけでなく,年度末締切の仕事を早く終えて,生活のリズムも元に戻さないとと思います(どうしても愛妻を巻き込んでしまいますしね).

ところで,「春休み」って,「休み」ではなく実質マイナスでした.睡眠時間が学期中よりもかえって減った感じがします.睡眠時間を削るのは本来愚の骨頂ですので,もう少し時間の管理をきちんとしないとと猛省しています.

それにしても,年々時間が経つのが早くなり本当に嫌になります.昔は深夜といえば時間が無尽蔵にあり,徹夜すれば,結構な時間が確保できたような気分になりましたが,最近はすぐに「底が尽きる」という感じです.

愚痴ってばかりいても読者は楽しくないでしょうから,久しぶりに廃線跡の写真でも一枚貼り付けておきましょう.

三池のレール_convert_20110326134949

藪の中に微かにレールが見えます.三池鉄道の跡ですね.DPL的には,痺れる風景ですが,多くの読者には「?」かも知れません.


---再掲ここまで---

このレールももう無いんだ。

これも5年後

今日は勤務校の通信教育部の卒業前夜祭に参加してきました。

通信教育で大学や短大を卒業するのは本当に大変なのですが、並々ならぬ努力を重ねられて無事卒業される皆さんの晴れやかなお顔を見ていると本当に嬉しくなります。とにかく、おめでとうございます!

さて、今日の話題です。

レールが残る廃線跡です。ちなみに、先日の西濃鉄道とはまったく違う場所です。

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しかし、5年後に再訪してみますと・・・すっかり様子が変わってしまいました。

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かつて線路があったことなど、予備知識がなければ想像もできない風景です。

これは実は三池鉄道の跡なのです。宮浦坑と宮原坑の間ですが、もう少し進むと勝立坑に向かう支線との分岐点があったはず。

三池炭鉱が世界遺産になったときに、三池鉄道の跡も構成遺産になりましたので、ココもそのまま保存されていると思ったのですが、違いました(三池炭鉱が世界遺産になる前に整理されてしまったのかな?)。

ついでに、三池鉄道の廃線跡を取り上げた初期の過去記事を再掲しましょう。冒頭の写真のさらに2年前です。

---ここから過去記事再掲---

ここ数日変な天気が続いていますね.冬と春が場外乱闘している感じです.DPLも愛妻も「寒いの大嫌い!」なので,本当困ります.早く春に勝って欲しいな.

さて,今日は廃線ネタです.下の写真をご覧下さい.

三池1_convert_20100415135825

藪の中にレールが見えます.3月のある暖かい日(今日よりずっと)に,三池炭鉱の遺構を調べに行きましたが,宮浦坑から宮原坑へ歩いて移動する途中に偶然見つけました.「何となく匂いがする」ということで藪の中を覗いてみた次第です.

これは,以前にその支線の駅を紹介したことがあります三池鉄道の廃線跡です.三池本線の宮浦駅と万田駅の間に相当するようです(以下の写真もすべて同じ区間).

藪を抜けると,こんな感じ(ちなみにDPLは藪の中は歩いていません.廃線跡を横目に見ながら並行する道路を歩きました).

三池3_convert_20100415140034

三池2_convert_20100415135927

上の写真のように少々大きな道路とクロスしますが,そこから先はレールは撤去されています.

三池4_convert_20100415140130

でも,踏切の跡などでは,レールがアスファルトに埋もれて残っていたりもします.「痺れる」風景です.

三池5_convert_20100415140220

三池6_convert_20100415140309

下の写真の煉瓦作りの建物は三池炭鉱宮原坑の捲揚機室の遺構です.その背後の櫓は第二竪抗櫓の遺構です.炭鉱遺構の手前の小道が廃線跡です.

三池7_convert_20100415140413

廃線跡はこのまま万田坑へと向かいます.

この時は,DPLはあくまでも炭鉱の遺構に関心の焦点があり,廃線跡を丹念に歩いて調べる時間はありませんでした.炭鉱の方も是非再訪したいのですが,今度はもう少し廃線跡の方にも焦点を当ててみたいと思っています.

それにしても,この日は3月とは思えない暖かさでした(4月とは思えない寒さの中で写真を改めて見ると変な感じです).


---再掲ここまで---

現在は、宮原抗の付近の藪(最後の写真)もすっかり取り払われて(まるで発掘したかのよう)、当時の様子が判るようになっています。

5年後の姿

以前出したことのある貨物ホームの現状です。

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ホーム以外のものはすべて撤去され更地になっています。

さて、ここは・・・と言うわけで、5年前の状況をレポートした過去記事を再掲しましょう。

---ここから過去記事再掲---

所用で外出した帰りに,通りかかった閉店間際のお店で,手提げバッグを買いました.ランチバッグに使えそうなサイズのピンクの花柄です.衝動買いです.もちろん,愛妻弁当を入れるつもり.また写真は,そのうち紹介します(今日は写真が間に合わなかったよ).

さて,久しぶりに鉄道ネタを.

昨年末にも紹介しました西濃鉄道昼飯線(廃線)の終点・昼飯駅(廃駅)付近の荷役用ホームです.

昼飯駅2_convert_20120122214715

良い感じにレールが残っていますね.少し角度を変えて,もう一枚.

昼飯駅1_convert_20120122214645

草に埋もれる錆びたレール・・・痺れます.

昼飯駅の駅舎はここよりずっと先にあるのですが,一応ここは昼飯駅構内にあたると思います.実はこの先で一旦レールは途絶えまして(もともとはあったんだけど,撤去され舗装されています),しばらく距離を置いて再びヤードが広がります(以前に紹介しました写真ね.その1その2).

この昼飯駅に関しましては,まだまだ紹介したい写真がありますが,いずれまた.


---再掲ここまで---

良い雰囲気だったんだけどなあ。消えた順番で言いますと、左側の廃屋群がまず撤去されました。そして、レールが取り外されました。

廃線跡に文部科学省

この写真は、三池鉄道の廃線跡で撮りました。

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世界遺産になると文部科学省の境界標が建つんですねえ。廃線跡を色々と歩いてきた人間から見ますと感慨深いものがあるなあ。

さて、この境界標から遠くない場所を取り上げた過去記事がありますので、再掲しましょう。

---ここから過去記事再掲---

蒸し暑い日が続いています.暑くなると食欲が落ちる人も少なくないようですが,お陰様でDPLも愛妻もますます食欲旺盛です(でも太らないんだな,これが).冷房なしでも,すぐに眠りにつくことが出来るのも,一寸自慢です.兎に角,今年も夏バテには二人とも縁がないのであります(寒いのだけはまっぴらご免だけど).

ところで,最近,再び廃線から遠ざかっています.ちょっと欲求不満気味です.阪和貨物線の跡に行きたいのですが,そんな余裕がありません.

と言うわけで,また以前の写真を眺めることで我慢しましょう.今日,ご紹介しますのは,以前取り上げました三池鉄道の廃線跡に残る踏切の痕跡です.この春に,三池炭鉱の宮浦坑から宮原坑まで歩いて行く途中で見つけたものです.

こんな感じ.レールが剥がされた典型的な廃線跡と踏切跡の組合せです(この写真,以前も出しました.でも,これよりも小さい写真でした).

踏切1_convert_20100713175213

この先に進みますと宮原坑,さらには万田坑があります.全部鉄道でつながっていたんですね.

同じ踏切の反対側です(下の写真).左の方に進むと宮浦坑に至ります.

踏切2_convert_20100713175427

踏切3_convert_20100713180250

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踏切6_convert_20100713175758

上の写真も以前出しましたね.

踏切7_convert_20100713180424

踏切って,廃線後も結構残り易いんですよね(道路の改修があると一気に無くなってしまいますが).特に,その前後のレールが撤去されていても,踏切内のレールはそのままになっていることが多いのです(剥がすためにはそれなりにコストがかかりますからね.コスト節約のための放置です).DPLが踏切跡に魅了される理由の一つです.

ああ,また廃線跡に行きたくなってきた.困ったな.

---再掲ここまで---

過去記事の写真はまだ世界遺産になる前です。この時は草ボウボウで結構荒れていましたが、世界遺産になってからは、廃線跡も綺麗に除草されてすっかり整備されました。先日の万田駅だって、草の中に埋もれていたんだからねえ。

廃駅のある風景(その23)/三池鉄道妙見駅

先日紹介しました万田駅のお隣の駅が妙見駅です。万田駅のガッチリしたホームに比較しますと、ちょっとボロボロ。

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対向式2面2線のホームでしたが、上の写真のホームのお向かい側がこちら。

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全体像であります。

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何でボロボロかと申しますと、ホームの骨組みは何とレールなのだ。非常に簡易な構造のホームなのですね。部分的には、錆びたレールの骨組みだけになって、一見するとホームとは判らなくなっているところもあります。

さて、「廃駅のある風景」は最近は過去記事と何故か組み合わせています。と言うわけで、特に理由もなく今日も過去記事を再掲します。前回も貼りました西原駅ですが、西原駅の回は1回では終わらなかったんだよね・・・と言うわけでその続きです。

---ここから過去記事再掲---

最近の愛妻との話題は,暖かくなった「春」のことばかり.本当に心待ちにしています.年々,「春よ来い」という気分が強くなるような感じがします.

さて,今日は一昨日,なぜかアップできなくて紹介し損ないました三池鉄道西原駅跡の写真を貼りましょう.

西原2_convert_20120325220954

相対式ホームであったことがよくわかりますね.上の写真は万田坑の方向,下の写真は三池港の方向を撮影しています.

西原5_convert_20120325221508

石積みの重厚なホームです.

西原3_convert_20120325221146

下の写真のホーム右側に,国鉄荒尾駅方向に分岐する支線が走っていました.

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この日は生憎の雨でしたが,翌日,雨が上がってから再度訪れています.雨は嫌ですし記録写真の撮影には支障もありますが,廃駅には雨が似合うような気もします.


---再掲ここまで---

妙見駅と比べると西原駅は随分と立派だなあ。

トロッコ

線路好きにはたまらない風景です。

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ここは、三池炭鉱の宮原抗の構内。

以前は、ごく限られた日しか公開されていなくて、外から竪坑櫓を眺めたことしかなかったのですが、世界遺産になってから毎日公開されており、ワタクシも先日初めて構内を見学させていただきました。

万田坑やこの宮原坑だけでなく、最近は三川坑も公開されているようです。ただ、三川は、平日は非公開で行けなかったので、そのうち再訪を果たしたいな(いつも一人だけど、世界遺産になったことだし、たまには愛妻連れで行くのもいいかも知れないなあ~)。

廃駅のある風景(その22)/三池鉄道万田駅

これは世界遺産の駅跡だ。

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三池炭鉱の万田坑の最寄り駅である万田駅の旅客ホームです。島式の1面2線だったようです。貨物が主体の路線ですから旅客施設は脇にやられている感じ。

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基本的に途中駅なのですが、三池港からの旅客列車はすべてここで折り返していました(万田から先の宮原方面へは貨物だけ)。

万田坑の最寄り駅ではありますが、この旅客ホームは万田坑からは少し離れた宮原寄りにポツンとあります(貨物ヤードは、もちろん、万田坑に隣接)。ホームの周囲は農地で集落からも離れています。

ついでに、同じ三池鉄道の西原駅を取り上げた過去記事を貼りましょう。

---ここから過去記事再掲---

また寒くなりましたね.愛妻と早く暖かい「春」を感じたいなあ~.

さて,以前,三池鉄道の西原駅跡に残る灰皿を紹介しました.しかし,肝心の西原駅の遺構の全貌の紹介はまだでした.と言うわけで,今日は「廃駅のある風景」シリーズの一環として西原駅跡を紹介しましょう.

西原駅は,三池鉄道の駅の中では,宮内駅などと並んで残存状態の良い駅です.ホームは相対式2面2線でした.ただ,2面のうち1面は,本線と国鉄荒尾駅に通じる支線に挟まれる形でしたので(支線側には柵があり,乗降には使用していません),ちょっと見は,島式ホームに見えないこともありません.

下の写真は,平行する道路からホームに上がるための階段です.

西原1_convert_20120325175833

ホームが2面分確認できると思います.

あと数枚写真をアップしようとしましたが,なぜかうまくアップできませんでしたので,続きはまたの機会に.


---再掲ここまで---

当然でしょうけど、階段の形とか良く似ているよね。ホームの配置は異なるけど。

廃駅のある風景(その21)/小倉鉄道東小倉駅

線路に向かって下りていく謎の階段です。

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ここは、JR小倉駅の東側で、線路は鹿児島本線のもの。

実は、この階段の先に、東小倉駅の旅客ホームがありました。東小倉駅は現在は貨物駅ですが、以前は日田線(現在の日田彦山線)の終点で旅客扱いをしていました(目の前の鹿児島本線に乗り換えは出来ませんでしたが・・・)。

日田彦山線の前身の小倉鉄道が開業させた駅なので、一応ここでは、「小倉鉄道東小倉駅」としておきます。

それにしても、この階段、随分と急ですが、実は先日、もっと急な階段を持つ廃駅を訪問しましたので、そのうち、ここでレポートします。

さて、この「廃駅のある風景」というシリーズ、20回目の「有田鉄道下津野駅」(2015年2月の記事)で止まっていましたので、2年ぶりです。この間、廃駅を取り上げていなかったわけではないと思いますが、要するにシリーズの存在を忘れていたのだ。

仕切り直しの意味も込めて、シリーズ第1回の記事を再掲いたしましょう。2010年3月だよ。

---ここから過去記事再掲---

新シリーズ「廃駅のある風景」です.当初,「廃駅の風景」という名前にするつもりでしたが,既に使われていましたので残念ながらこの名前です.

廃墟にモデルを立たせる一部の写真家のように,「廃駅に愛妻を佇ませると良いかな」と,ふと思ったりしますが,廃線探索には愛妻を基本的に伴いませんし,それに公開出来なくなりますね.

さて,第1回は熊本県荒尾市にありました三池鉄道宮内駅の遺構の紹介です.三池鉄道は三池炭鉱の石炭輸送用の専用鉄道として開業し,その後地方鉄道となり,再び専用鉄道になりました.宮内駅は原万田から平井に向かう玉名支線(1985年廃止)の途中駅です.

三池炭鉱の万田坑の遺構に行くことが目的で荒尾市を訪れましたが,この場所に駅の遺構がかなり状態良く残存していることを事前に知っていましたので立ち寄ることにしました.下の写真のように実際に状態が良いです.

宮内1_convert_20100325010935

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一面一線の単純な配線だったようです.駅跡の周辺が新興住宅地になっているのが意外でした.

炭鉱と鉄道は切っても切れません.荒尾市内や大牟田市内には炭鉱の遺構と共に石炭輸送用鉄道の遺構も多く残っています.石炭輸送だけで無く,炭鉱で働く人やその家族の足でもありました.駅跡に佇みながら往時を偲びました.

---再掲ここまで---

そう言えば、三池炭鉱も専用鉄道の跡も世界遺産になりましたですねえ。

新しい銀座その後

朽ちかけたアーケード街の写真を一枚。

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実は、この場所については、以前に紹介したことがあります。以下の「新しい銀座」と題した過去記事です。

---ここから過去記事再掲---

○○銀座という名の商店街は全国津々浦々で見かけます.皆さんのお近くにも一つぐらいは在るのではないでしょうか?

ところで,3月14日の記事で大牟田市の商店街の紹介をしましたが,この大牟田の地でも「ふれあい新銀座」商店街なるものを見かけました.下の写真です.

新銀座1_convert_20100322051838

大牟田駅と新栄町商店街の中間あたりに存在します.東京の銀座に対しての「新」と言うよりも,近くにあるもう少し大きな「銀座通り商店街」を意識しての「新」だと思います.多分.

昭和の香りがプンプン漂ってきますね.これで人が歩いていてくれれば,風情があって,それなりに良いと思ったりもしますが,「ふれあい」という言葉とは裏腹に,人影がまったく見えないのが何とも侘びしい.悲しみの感情さえ覚えます.これでも土曜日の夕方です.

新銀座2_convert_20100322051903

この商店街をじっと見ていましたら,愛妻が待つハート庵に早く帰りたくて仕方なくなりました.


---再掲ここまで---

過去記事の写真は2010年春の風景です。そして、冒頭の写真は同じ場所の2017年2月の風景なのです。

「ふれあい新銀座」の看板が消えています。これは、どうしたことでしょうか?

ただ、別の入り口には今も看板が残っています。

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内部はこんな感じ。屋根の骨組みは木造ですよ。

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今回、およそ7年ぶりに商店街の中を1往復してみましたが、やはり、ちょっと何とも言えない暗い気分になりました。崩壊が進んでいるようにも感じました。ここに貼るのは躊躇われる写真も少なくありません。

しかし、以下のURLの記事で書かれているような活動が行われていることも知りました。

http://omuta-yeg.jp/2016/05/22/1021

https://www.facebook.com/events/668681066631861/

この商店街が見捨てられているわけではないことを知って、少し嬉しくなったなあ。

昨日の橋台の鉄橋は松本清張も歩いたかも

とりあえず過去記事を再掲します。

---ここから過去記事再掲---

添田線(初代)について、松本清張は『半生の記』の中で以下のように書いていました。

「私は、社から自分の家までは鉄道線路を歩くのが直線コースなので、いつもそこを往復していたが、夜は危険なので電車で帰る。降りるところは三郎丸という停留所だが、そこから家までは一キロ半ぐらいあった。その横の道が米軍補給廠の裏側に当るわけだが、家も少く、九時ごろともなれば、夏でも戸を早く入れて灯が見えない。田圃の向こうには農家が点在していた。」(Kindle版位置No.2065/2241。下線は引用者)

昭和25年頃の話で、「社」というのは朝日新聞西部本社。「電車」は西日本鉄道北方線(1980年廃線)。

現在は市街地になっていますので、「田圃の向こうには農家が点在していた」という風景は想像することも難しい状況ですが、唯一、「米軍補給廠」(戦時中は陸軍小倉兵器補給廠)がその名残(と言っても市街地にぽっかり空いた空間ですが)を留めています。

「米軍補給廠」は、米軍撤退後は、陸上自衛隊小倉駐屯地城野分屯地になりましたが、それも2008年に閉鎖されて、現在は広大な空き地になっています。

城野駅から引き込み線が構内に入っていましたので、その痕跡を求めて、何年か前に訪れましたが、綺麗さっぱり無くなっていました。

下の写真は、陸上自衛隊小倉駐屯地城野分屯地の跡地。2013年春の撮影です。

2013年春_convert_20160226235157

とにかく、松本清張が生活していた頃の面影は殆ど残っていないと言ってよいでしょう。

ところで、昨日までの話に出てくる添田線(二代目。ただし初代の区間にも含まれますが)とは違うので、読者に要らぬ混乱を与えたかも知れません。

さて、今日は愛妻と話し込んで更新のタイミングを逃さないよう気を付けましたので、何とかセーフです。


---再掲ここまで---

この過去記事に出てくる「添田線(初代)」が昨日の記事の橋台を使用していた路線です(小倉鉄道の後身)。鉄橋が健在の頃は松本清張も歩いて渡ったかも知れません(と言うか、朝日新聞西部本社と当時の松本清張の自宅の位置関係を考えれば、当然渡っていたはず)。

ところで、上の写真の陸上自衛隊小倉駐屯地城野分屯地の跡地はすっかり再開発されてしましました。

奇跡的に残っていた小倉鉄道の橋台

昨日の記事の中で触れました小倉鉄道の橋台です。

CIMG8651_convert_20170131102008.jpg

矢印のところですが判るかな?昨日紹介しました妙見駅跡に相当する地点から細い道を北上した地点なのですが、昨日の場所との関係をグーグルマップで示しますとこんな感じ(「ここ」と書いた場所が橋台の場所)。

妙見付近地図

細い線で挟んだ範囲は家が建て込んでいますが、かつての線路敷だった模様(何の痕跡もないし、この廃線跡については現地で観察するより空中写真を見た方が良い)。

川の向こう岸からもう一枚。

CIMG8642_convert_20170131102036.jpg

さらに一枚。

CIMG8644_convert_20170131102023.jpg

昨日書きましたように、細い道が線路敷ではなかったことは、この橋台の位置から判るのさ(道からずれているからね。そしてずれているからこそ奇跡的に残存)。

小倉鉄道のこの区間の唯一と言ってもよい遺構です(有名な東小倉駅の階段もあるけどね)。もちろん、この橋台、ボクの新発見ではなく良く知られた遺構です(けど、愛妻には見つけた経緯を熱く語ったぜ)。

あれ!今年も12分の1が終わってしまったではないか!こんなことをやっている場合ではありませんでした(汗)。

「かもめ」が走った廃線跡

廃線跡の写真です。レールと枕木を外しただけといった風情の典型的な廃線跡です。

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香椎線の酒殿駅から分岐して、志免(貨物専用の旧駅。勝田線(廃線)の志免駅とは別物)を経て旅石(貨物駅)に向かっていた貨物支線の跡です(志免・旅石間は先に廃止され、勝田線と繋がります)。

ちなみに、正面に見える山は、旧志免炭鉱のボタ山のなれの果てであります。

途中、橋台が残っていたりします(ココ以外にもあと2箇所確認しています)。

CIMG8002_convert_20170116222827.jpg

上の写真の右側の橋台を別の角度から撮影したのが次の写真です。

CIMG8007_convert_20170116222817.jpg

本当に典型的な廃線跡だねえ~。

さて、この貨物線ですが、もっと面白い過去がありまして、実はかつて京都・博多間を走っていた特急「かもめ」(何代目になるのかな?)の編成が定期的にココを通っていたのさ。

1953年から4年間だけでしたが、スハ44という座席が一方向に固定されていた客車の座席の向きを進行方向に合わせるために、ここを通していたのです(もちろん、今だったら転換式か回転式で座席毎に向きを変えますけど、スハ44は車両ごと向きを変えていたのだ)。

つまり、京都から博多に到着した「かもめ」は、そのまま折り返すとスハ44の座席が後ろ向きになってしまうので、博多→(鹿児島本線)→吉塚→(勝田線(今は廃線))→志免→(写真の貨物線)→酒殿→(香椎線)→香椎→(鹿児島本線)→博多を通すことで向きを変えていたのです(以上のルートはデルタ線を形成しているからね。図を書いた方が良いのですが、面倒なので省略)。

ちなみに、京都側でも同じ作業が必要で、この場合は、山陰本線と東海道本線の分岐点がデルタ線を形成していることを利用して行っていました。なお、京都側はデルタ線の距離も短く問題は少なかったのですが、博多側のデルタ線はあまりにも距離が長く不効率であったので、スハ44は4年で編成から外されてしまいました。

と言うような話を愛妻相手に得意になって説明したりしましたが、興味のない人にはどうでも良い話だよね(汗)。

いろいろ面白い駅でしたねえ

またまた折尾駅の話題です。

鹿児島本線の旧ホームが現役時代の写真です。いずれも6年前で、車両写真とは違って、愛妻のためと言うより自分の記録のために撮った写真。

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上の写真は、鹿児島本線下りホーム(3番線)の裏手にあった通路。

謎の段差もありました(嵩上げされた跡なんでしょうねえ)。

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「迷路のよう」と言う表現は月並みになってしまいますが、しかし、いろいろと面白い構造を持った駅でしたねえ。

駅舎もダルマ転轍機も残っていました昼飯駅跡

先日の昼飯駅跡ネタのつづき。

4年ぶりの訪問でしたが、先日紹介しました1線分のレール消失以外は、駅舎もちゃ~んと残っていました(でも、西濃鉄道の廃線は少しずつ遺構や遺物が消えているので、少し心配していたんだ)。

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ダルマ転轍機も残っていますね(市橋駅や美濃大久保駅の跡にも残っていたけど)。

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ダルマ転轍機って、何となく好き!

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貨物ホームも健在。まあ、壊すのは大変そうだけど。

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4年前と5年前に訪問していますし、このブログでも紹介しましたが、撮る写真のアングルって毎回あまり変わりませんねえ(汗)。写真だけ見ると、何時撮ったのか区別がつかないや。でも、愛妻を撮影するときは一寸違う(はず)。

九份の映画館

昨年末の台湾スクーリングの際に、受講生と九份(斜面に展開するレトロな町並みで有名。愛妻にも絵葉書を送ったよ)に行ったのですが、そこに今もある1934年建設の映画館(「昇平戯院」。開業当時は「昇平座」)です。

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今も映画を上映していますが、入場無料です(ボクはトイレを借りただけで、残念ながら映画を観ていません)。このレトロ感がたまりませんね。

ところで、九份と言えば、「千と千尋の神隠し」の舞台のモデル(?)とも言われていますが(宮崎監督は否定しておられますので違うのでしょう)、そのためでもないのでしょうが日本人観光客が目立ちました。

台湾は日本人に人気の旅行先なので、あちらこちらで日本語が飛び交っているのですが、何だかインバウンドに沸く大阪の町中と反対で、面白く感じました(海外に出たらできるだけ日本人の居ないところに行きたいとは思うのですが・・・)。

あけましておめでとうございます!

新年あけましておめでとうございます。愛妻ともども、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

大晦日の更新から30秒後というまさかのスピード更新です(30秒前の昨日の記事を見ていない方も多いと思います。忘れないで見てね!)。

今年は学問に精進したいと思っておりますが、学会の仕事も大幅増なので、どうなるかなあ~。本人の「やる気」だけでは物理的な時間が増えませんので何ですが、頑張ります!ブログも毎日更新します!

ところで、一昨日の記事の補足です。

CIMG7441_convert_20161231004124.jpg

昼飯駅跡の写真ですが、実はご覧の通り、剥がされないで残っているレールもあります(一昨日の写真は矢印の方向に撮影したものでした)。一昨日の記事は、「昼飯駅のレールはすべて撤去されてしまった」と読者を誤解させる記事でしたので念のため。

ダルマ転轍機は残った

さて、このところ西濃鉄道ネタが続きましたが、今日は、市橋線(部分廃線)の終点だった市橋駅(廃駅)です。

この市橋駅跡も5年ぶりに再訪しましたところ、構内手前の踏切跡に残っていたレールが撤去されてしまっていました。

まずは、比較のため撤去前(5年前の写真)から。

市橋1_convert_20161230111325

この先の空き地が市橋駅の跡。小さくダルマ転轍機が写っているのですが、判るかな?

さて、次の写真が現状です。まったく同じアングルではありませんが、かつての踏切だった手前の舗装部分には、既にレールがありません(舗装のやり直しの際に撤去された模様。まあ、こうなるのはわかっていたけど・・・)。

市橋2_convert_20161230111339

ただ、駅構内につきましては、既に5年前にはレールが撤去されていましたので、大きな変化はありません。

心配していましたダルマ転轍機も残りました!

市橋3_convert_20161230111354

ここが駅跡だったことを示す唯一の遺物です。これが残ったのは嬉しいけど、いつまで残るのかな?(まあ、この空き地が何かに転用されるまでは残ると思います)。

さて、今日が2016年の最後の更新です。一応、今年も365日休み無く更新できました。だんだんと訪問者数を減らしております過疎ブログですが、訪問者がゼロになるまでは続けるつもりですので、来年も愛妻ともどもどうぞよろしくお願いいたします。

レールが消えた!

西濃鉄道昼飯駅(廃駅)の構内です。5年前の今頃の写真です。

P1180114_convert_20161230003118.jpg

次の写真は、つい最近の同じ場所の写真です。

CIMG7425_convert_20161230003048.jpg

レールが剥ぎ取られ、枕木だけになっています!

「愛妻弁当を持参して昼飯駅跡で残されたレールを眺めながら食べるのも乙な物」と思っていましたのでショックです(ちなみに地名の「昼飯」は「ひるい」と読みますが、もともとは、そのまま「ひるめし」と読んでいたそうです)。

昼飯線は10年前に廃線になっていますので、最初の写真の時点で廃駅後5年程度経過しています。従いまして、「5年前の時点で普通はレールが剥ぎ取られていても不思議ではない」と自分に言い聞かせているところです。

踏ん張っています!

西濃鉄道昼飯線(廃線)と旧中山道がクロスする地点にありました踏切小屋について、このブログで何度か取り上げました。

小屋の劣化が進み自壊寸前の状況で心配していたのですが、先日、別の調査で近くを通る機会があり確認しました。

おおっ!残っています!

CIMG7337_convert_20161229161430.jpg

しかし、かろうじて立っている感じ。

CIMG7349_convert_20161229161455.jpg

屋根の傾きが気になります。拡大してみましょう。

CIMG7349_convert_20161229162138.jpg

これはもう限界かなあ~。

以下、一番新しい過去記事を再掲しますので比較してみてね(過去記事再掲が入れ子状になっています)。

---ここから過去記事再掲---

昨日は、旧中山道と西濃鉄道がクロスする地点の写真を貼りました。

もちろん、昨日の写真の箇所は現役の踏切ですが、赤坂宿付近の旧中山道には、もう1箇所西濃鉄道の踏切がありました。廃止になった昼飯線の方ですね。

と言うわけで、こちらの方を紹介した過去記事再掲。

---ここから過去記事再掲---

まだ本調子ではありませんが、愛妻の献身的お世話のおかげで回復途上にあるDPLです。もう書斎仕事は再開しました。

さて、一休みして、廃踏切の踏切小屋の写真を貼ることにしましょう。

踏切2_convert_20130112042920

場所は、このブログではお馴染みになりました西濃鉄道昼飯線(廃線)が旧中山道とクロスする踏切です。この踏切自体、以前にも紹介したことがあります(しかし、急速に劣化している感じがする・・・)。

踏切4_convert_20130112042953

朽ち果てる寸前の風情がたまりませんね。

踏切5_convert_20130112043010

下の写真は、中山道に面している側面です。旧中山道は舗装道路になっていますが、宿場町の面影を残していて良い雰囲気ですよ(そのうち写真を出しましょう)。

踏切1_convert_20130112042902

最後の写真は、遮断機の昇降用のハンドルです。このようなもの自体、だんだんと貴重なものになって行くことでしょう。

踏切3_convert_20130112042938

それにしても、この踏切小屋、いつまで保つのでしょう?今にも自壊しそうです。「見学に行かれるならば、今のうちだ」という気がします。

---再掲ここまで---

まだ自壊していないのだろうか?(自壊前に撤去されているかも知れないけど)。しばらく行っていないので気になっています。


---再掲ここまで---

再掲した記事の中の写真はちょうど4年前のもので、この時から既に傾いてはいるのですが、4年間で危機的なレベルまで進行してしまいました。まあ、しかし、既に崩壊したと思っていたので保っている方だとは思います。

もう一つおまけ

もう一つおまけ(このタイトル、以前も使ったような気がするけどまあいいや)。

P1000197_convert_20161218233503.jpg

こっちを昨日貼ればよかったかな?

ところで、昨日の写真の廃線跡を土手の上から眺めるとこんな感じ。

P1000190_convert_20161218163025.jpg

たぶん昨日の警報機そのものではないけど、その仲間です。

そう言えば、調べてみると、昨日再掲した過去記事が出た直後の記事でも、土手の上からの写真を貼ったんだ。考えることはいつも同じだなあ(汗)。

---ここから過去記事再掲---

今日は,会議で昼食が出ることになっていましたので,愛妻弁当は持参しませんでした.しかし,愛妻弁当を食べないと,なんとなく調子の悪い梅雨の午後であります.

さて,今日の話題.7月7日に引き続き,またまた阪和貨物線ネタです.

7月7日の記事の写真の堤防に上り,廃線跡を撮影したのが下の写真です.

P1000186_convert_20120707005044.jpg

おやおや,踏切の警報機も見えますね.何となくシュールな感じ.

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それにしても,「阪和貨物線ネタ以外にネタはないのか!」とお叱りを受けそうですが,未発表の廃線跡については,「今じゃないだろう」と何となく出し惜しみしてしまいます.まあ,先は長いのでボチボチ紹介します.


---再掲ここまで---

阪和貨物線は身近な廃線の一つなので、どうしてもブログでの出番が多くなります。

孤独な警報機

廃線の踏切です。警報機が寂しそう。

P1000203_convert_20161217215950.jpg

右の土手は大和川。

ここで、以前にも同じような写真を出したような気がしてきたので確認しましたら、ほとんど同じ写真を貼っていたよ(汗)。

---ここから過去記事再掲---

下の写真に写っている微高地は,河川の堤防です.ちなみに,この堤防の向こうには大和川が流れています.

P1000206_convert_20120707002502.jpg

今日は,別に堤防を紹介するつもりではありませんでした.本来の被写体は,堤防と鉄柵に挟まれた砂利道のような細長い空間です.

ちなみに,これは,廃止になった阪和貨物線の廃線跡です.昨年,愛妻が不在の休日に,阪和線の杉本町から出戸まで廃線跡に沿って歩いた際に撮影しました.この時の写真は,以前もちょくちょく出しています.

大和川に沿った区間も,場所によって廃線跡の状態は様々です.レールが残っている区間もありますし,下の写真のようにレールが無いのに踏切の警報機だけが残っている箇所もあります.実に楽しいね.

P1000199_convert_20120707024011.jpg

良い季節に,風に吹かれながら,廃線跡を横目に堤防の上を歩くと良いと思うな(今は季節が悪いけど).


---再掲ここまで---

少しアングルが違うので、一応別写真だよ。

精農寮(つづき)

昨日の続き。旧「精農寮」を別の角度から見ると、こ~んな感じ。

P1110533_convert_20161215212326.jpg

昨日の写真と全然違うでしょう?何となく動物的。

さらに別の角度から見ると、また印象が変わるよ(小出しであります。愛妻にも小出しにしたさ)。

精農寮

昨日の八戸駅の写真を撮った時の出張先は酪農学園大学でした。

酪農学園大学は北海道江別市にありますが、江別は煉瓦の生産で有名な町です。

と言うわけでかどうかはわかりませんが、同大学の構内にはなかなか素敵な煉瓦造りの建物があります。

P1110527_convert_20161214204350.jpg

写真の建物は「精農寮」という名前の学生寮だったそうです(それほど古くはなく、1945年頃の建築のようです)。実はこの建物、見る角度によって印象ががらりと変わるのですが、今日は勿体ぶって1方向からだけね(愛妻に見せるときにも焦らしたさ)。

かつては手前にも建物が続いていたような痕跡がありますが(屋根の形が残っているね)、ボクは、この消えた部分が気になるのだ。
プロフィールなど

Author:プリティラヴ博士(DPL)
くちびる4_convert_20091214215454
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いまも愛妻に心のトキメキを覚えるハート庵主人・プリティラヴ博士(DPL)が,皆さまに「愛」の御福分けをいたします.愛妻家および愛妻家ファン必読!過去記事の一覧はこっちだよ.
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DPLのプロフィール:愛妻家,甘党男子,散歩家,鉄道青年,活字中毒者,長髪ピンク野郎,英国かぶれ,農学博士,自称経済学者,大学教授(もと経済学部長),馬術部長(残念ながら乗馬経験はありませんが,象にはインドで乗りました)など.主に大阪周辺をチョロチョロしています.

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