
これは『紳士とはなにか?』というところからはじまる難しい話ですが、その最初の部分はすべてすっ飛ばす(笑)。いまや『英国紳士』などというのは死語になりつつある。英国の首相”サー・キア・スターマ”は、先日英国のポッド・キャストで『彼は音楽も絵画も芸術も文学も趣味・関心がないようだ。ただ、高額のコンサートチケットをタダでもらうとき以外は』と言われていた。しかも、増税はしないなどの公約はすべて反故にして、過酷な生活を、英国で長年税金を払ってきた高齢者に強制している。そのうえ、性犯罪者や暴力犯罪者はキャッチ&リリース。『もうこれ以上英国へ移民を入れるな』とネットで発言した人間のところには午前4時に警察を差し向け、逮捕。懲役2年数か月。信じられない。英国のnobless-obligeという英国紳士の基本が感じられない。彼はオックスフォード大学時代にエディトリアル・コレクティヴのメンバーで『マルキシスト・ジャーナル』という雑誌の編集をやっていたバリバリの恐産主義者。しかも、自身をトロッキー主義者と表現していたらしい。トロッキー主義というのは平たく言えば『一国の革命だけではダメで、世界が一斉に革命をしないといけない』という思想と言えばわかりやすい。そこがわかると、なぜ、キア・スターマが100人ものスタッフをアメリカへ送り、カマラ・ハリスを応援したのかわかる。これは外国の政府が選挙に干渉してはならないという合衆国憲法に違反している。いまや、『英国に宗教法を導入すべし』などというプラカードと黒い宗教旗を持った英国人もいるのだから、英国人とか紳士の定義はますます難しくなった。スターマは一流大学出の英国の首相だが、私の考える定義では彼はジェントルマンではない。
さて、紳士とは、私が簡単な説明をするなら、通常は自分の生活に”足ることを知るつつましい生活をして、いざ、自分の住む、共同体や国が危機に直面したら、みずからのいのちも不利益もかえりみず戦う”、”文化の保護者”と答えるだろう。 そのためには、英国であればキリスト教の信仰を基礎とした道徳か、もしくは哲学的な深い思想を持っていること、があげられた。
『自分のまわりですべて完結する生活』のため、書籍(ライブラリー)は充実している。市の公立図書館を利用することなどは考えない。必要な本があれば、書店や古書店から手に入れる。そうした蔵書を一生にわたって充実させてゆく。人によっては自分が後援する芸術家に、銅版画の蔵書票をつくらせて,本の見開きに貼る。
そうした書斎やライブラリーには、よい椅子が置かれ、丸一日でもこもっていられる。
書斎でのそうした生活に、紅茶や珈琲。できれば、バトラーやメイドがもってくる。ジェイムズ・ボンドにも”メイ”というメイドが付いていました。そして、紳士はいくつかのクラブに所属している。それはさまざま。乗馬の人もいれば、飛行機の人もいれば、文学の人もいれば、動物好きの人のクラブもあれば、政治のクラブ、などいろいろ。そうしたクラブにはまた立派な家具が置かれ、社交が楽しめる。
数日前、ジャギュアの話をしましたが、英国でのクルマのオーナーズ・クラブは、そのクルマによって集まっている人がまったくタイプが異なる。私の友人が(彼はベントレーを持っている)『ロールス・ロイスとベントレーのオーナーズ・クラブをひとつにまとめているのは、アメリカと日本ぐらいだ』と言っていて、さもありなんと納得。
さらに極め付きは、クラシックなクルマの集まりに、夜のパーティーの招待状を出すとき、英国式に『ブラック・タイで』(これは男性の夜の準正装、ジェームズ・ボンドのタキシードのイメージ)と書いたところ、『喪服』で来た人が何人もいたというので、これまた大爆笑してしまった。
英国の趣味の高級車にアルヴイスというのがあるが、そのオーナーの集まりには、私などはちょっととけこめない。『あまりに格調高い貴族的な人たちばかり』。18世紀の屋敷に住んでいるような、代々良い暮らしをしてきたようなオーナーが多い。
クラブではないが、骨董屋はボルボのワゴンに乗っている人が多い。もっとうがった好みは、『払下げの郵便局のワゴン』に乗っている。なぜか?というと、郵便局のワゴンは荷物を出し入れしている時に郵便小包を盗まれないように、ドアを閉めると自動的にカギがかかるようになっているから。
運転の上手いパブのお姉さんなどは16バルブのトライアンフのドロマイトなんかに乗っていた。それがウィンブルドンあたりにゆくと、人気の美容室の人がみんなドイツ車に乗っていたものだ。
さて、英国人は(”先祖代々英国に生まれ育った人”と、但し書きを付ける)木のものが好き。これは古代ケルト人が『素晴らしく古い森の木を勝手に斬った者は死罪』というぐらい巨木を大切にしたことと無縁ではあるまい。いくら法整備をしても象の牙やサイの角の売買のために密猟が絶えないのとかなり文化的背景が違う。
そのため、家具でも部屋によって使っている木材の種類を統一したりする。ある部屋はオーク。別の部屋はマホガニー、また別の部屋はウォール・ナット、キッチンはピッチパイン、など。
日本では『木目計器盤』と言って、それがプラスチック製のものすらあるが、英国なら『木目の種類も重要な意味を持ち、名称が違う』。小さい丸いものが出たバーズアイとか、これは大きいグランド・ファーザー・クロックの木のケースでも、どういう脈理の木材が使われているかは、おおきな判断材料になる。英国の自動車に木材が使われるとき、それは家具の延長にあると言える。
それが1990年ぐらいから,しだいにユルんできて、いまでは印刷なんだか、樹脂なんだかわからないようなものがけっこうある。
昔、英国で友人に、『ほんとうのジェントルマンのクルマを買ったら?』と言われたことがある。これはアストンでも、RRでもない。じつはローヴァ―のサルーンは、ながらくRRとベントレーにつぐ地位を占めていた。エリザベス女王もP5を2台所有していた。創業は1906年だったと思う。そのブランドはインドにわたり、最後は1リッターぐらいの小型車になり、大失敗してローヴァ―のサルーン・ブランドは消滅した。私は今度のジャギュアのCMの騒動は同じパターンになりかねないと思っている。
ジャギュアは今度、アメリカのマイアミで新車を発表するそうで、そのドアのハンドルのデザインを公開した。それが以下の写真。
ずいぶん、思わせぶりな見せ方だが、なんかの具合でめくれたら、このようなデザインは危険だろう。まったく革新的とは思えない。
以下は、もうひとつの Real gentleman's car の1948~1951年の英国製自動車のドア・ハンドル。
ドア・ハンドルがありません。丸いボタンにして、空力特性をあげている。この丸いボタンを押すとドアが浮き上がる。このクルマ、航空機メーカーがつくったので、空気抵抗を徹底的に減らす工夫が随所にされている。↓のフロントのウィンド・シールドのへりのゴムを見てください。いまから75年前の製品です。航空機のガラスのようにはめられている。
テールの造形もすばらしいエアロダイナミックでつくられている。しかもボディは総アルミ。
この英国のクルマの空気抵抗係数に他のメーカーが追いつくまでにかかった時間は35年。追いついたメーカーはフェラーリでした。
フロントは空気抵抗を減らすためにかなり変わった形状をしている。
このメーカー、ショールームはロンドンのケンジントンに一か所あるだけ。広告は一切出さなかった。カタログもなかったらしい。すべてはハンドメイドだったので。
私が英国の製品がすごいな、と感じるのはその妥協しない物づくりの姿勢、それと、ある意味、割り切って合理的に作って行くやりかた。このクルマはBRISTOLと言います。第二次世界大戦後、戦利品としてドイツの工場設備のいくつかを接収できることになった。戦闘機をつくっていたブリストルはBMWの生産施設をもらうことにした。そこで生産途中で残っていた部品を使ったので、フロントグリルにBMWの部品が流用されている。しかし、これほど英国的なクルマは珍しい。
ドイツは第二次世界大戦中にさまざまな新兵器を開発したが、英国はあるものをつぎはぎして、まず機能と生産性を重視した。合理的なのです。それをしつつ、スピットファイアのような革新的な戦闘機を開発した。ドイツのダイムラー・ベンツ・エンジンのメッサーシュミットBf109は結局英国のロールス・ロイス製のマーリン・エンジンのスピットファイアにバトル・オヴ・ブリテンで負けた(マーリン,Merlinは伝説のアーサー王に仕えた魔法使いの名)。
そのWW2の前、ウォルター・オーウェン・ベントレーはソーピッツ・キャメルのエンジンを設計していた。この歴史を知ると、どうしてドイツのクルマメーカーが、あれほどRRとベントレーのブランドを欲しがったのかわかるというものだ。
私が自転車のハンドビルトのショーで、仁さんに出してもらったシティ・レーサーが投票で一位になった。写真を見たアレックスが『この車両の名前は何か?』と訊かれたので、私は反射的に、『BRISTOL SPEED』と答えた。それは、レン・フィップスに削り出してもらったエキスパート・クリードのラグを使いつつも、エンドは私の設計で、仁さんの削り出しと成形で、あくまでも『日本の技術のものであったから』。それは英国式の合理主義のBRITOLのやり方にならったからだ。
コロナのさなか、マイク・バロウズが亡くなったが、ノリッジの彼の工房で話していた時、『過去を知らずして新しいものの創造など不可能だ』と言ったのが忘れられない。
英国で革新的なものが出てきたのは、過去の蓄積があるからだ。また、過去のものに鍛えられた眼力で新しいものを鋭く研ぎ澄ましてゆく。今の英国も日本も、その意味でモノづくりに大きな岐路に来ていると思う。