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- 2020/03/14 : 毒親の論理的ではない教育。 (未分類)
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2020.03.14 (Sat)
綺麗事ばかりで筋が通っていない。
表層ばかり着飾って、中身がない。
それを押し付けられる子どもは混乱し困惑し悩み苦しむ。
それでも表層だけは綺麗だから、周囲の人間はその醜悪さには気づかない。
例えばである。
親が子どもに「ゴミはゴミ箱に捨てなさい」と教えている情景を思い浮かべてみて欲しい。
それを情景を想像して貴方はどう思うだろうか?
普通はしっかりとした親御さんだな、と思うのではないだろうか。
私もそう思うし、多分それは正しい感じ方なのだと思う。
ただし、それはその親が真っ当な親だった場合である。
それが毒親であるならば、話は全く異なってくる。
なぜなら先程述べた通り、毒親の教育は見た目だけの非論理的なものだからだ。
どういう事かと言うと、
毒親というのは『ゴミ箱のないところ』で「ゴミはゴミ箱に捨てなさい」と説教を垂れるからである。
毒親は『ゴミ箱のないところ』で「ゴミはゴミ箱に捨てなさい」と言い、『ゴミ箱のないところ』で「なぜゴミをゴミ箱に捨てないんだ」と怒り、最終的には「なぜゴミ箱を用意していないんだ」と子どもを叱責するのである。
これが毒親なのだ。
本来は『親がゴミ箱を用意』して「ゴミはここ(ゴミ箱)に捨てなさい」というものではないだろうか?
だが、毒親はそうした事前準備には全く労力を使わずに、ただ「ゴミはゴミ箱に捨てなさい」と親っぽい姿を見せる(表層を着飾る)部分ばかりに精を出しているだけなのである。
だから子どもは毒親のその準備不足(不手際)のせいで苦しめられるのだ。
端から用意もされていない手際に翻弄され、その不手際の責任を負わされるから。
そして、それでも周囲は毒親の醜悪さに気づかない。
『ゴミ箱が用意されていない』事など周囲の人間からは見えないから。
普通は『ゴミ箱が用意されていない』のに「ゴミ箱に捨てなさい」と言うなんて思いもよらない事だから。
毒親の論理的ではない教育は人知れず子どもの心を壊していくのである。
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