2020年03月 | 毒親を持った子供の愚痴
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毒親を持った子供の愚痴

今更ながら自分の親が毒親だった事に勘付き始めてしまった。 一度気付いてしまうと日々ストレスが溜まる一方なので ガス抜きにブログでちびちび愚痴ろうと思いブログ始めました。 子供を育てている方は反面教師になるかもです。(※アフィリエイト広告を利用しています)

指定期間 の記事一覧

毒親の子どもの無知につけ込んだ偽りの知識自慢。

2020.03.28 (Sat)


 私の毒親は知識自慢でマウントを取ろうとする。

 これが本当に悪質でタチが悪いのだ。

 というのも、毒親は自分の豊富な知識を自慢するのではなく、相手の乏しい知識につけ込んでマウントを取ろうとするからだ。

 相手がその事に無知である(知識がないので反論も間違いの指摘も出来ない)のを良いことに、知ったかぶりで適当なことを言って、あたかも自分(毒親)が知識を有しているかのように見せてマウントを取ってくるのだ。

 これがなぜタチが悪いかというと、相手(私)からすると、嘘っぱちを真実のように吹き込まれているのと一緒だからだ。

 実際に私は子どもの頃から、毒親のこの『知識自慢っぽい嘘っぱち行為』のせいで赤っ恥をかいた事が多々あるし、人を傷つけてしまった事もある。

 そして問題は、なまじ『真実』として吹き込まれているせいで、その過ちに気づくのが遅れ、被害が拡大してしまうということ。

 無知に付け込まれているので間違いに気づけないし、形的には知識を得たという事になるので知識の再取得からは遠ざかり、真実に近づき難くなるのだ。

 本当に迷惑な話である。

 だが、毒親はこの事に自覚がない。

 なにせ毒親は自分の欲求を満たすことが最優先だから。

 子どもにマウントをとって優越感に浸ることの方が、子どもに正しい知識を与える事よりも大事だからだ。

 そのためなら子どもを騙すことも厭わない。

 それが毒親である。

 私はこの毒親の『知識自慢っぽい嘘っぱち行為』からそれを学んだのだ。

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毒親と会話すると大体こんな感じ。

2020.03.26 (Thu)

私の毒親との会話。


毒母編

・常にマウントを取ろうとしてくる。
・常にマウントを取るために毒母の自慢話を延々と繰り返す。
・毒母が常にマウントを取るために私を批判してくる。
・毒母が知らない(解らない)事も知ったかぶり等で意地でもマウントを取ろうとしてくる。
・毒母が知らない(解らない)けど私が知っている事でもマウントを取るために意地でも私を否定しよう(揚げ足を取ろう)としてくる。
・マウントが取れそうにないと解るやいなや、話の流れなど一切無視して無理やり話題を毒母の知っている(解る)事に変えようとしてくる。



毒父編

・そもそも言葉を交わそうとしない。
・極稀にある会話が自慢や批判といったマウント取り。



私にとって毒親との会話とは百害あって一利なしである。

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時間にルーズな毒親。

2020.03.22 (Sun)


 私の毒親は時間にルーズである。

 例えば近くの親戚宅で法事があるとして、「午前10時から始まるので9時半に来てください」と先方から言われたとする。

 こうした場合、毒親が先方のお宅を訪ねるのは何時頃になるのか、であるが、なんと『8時40~50分』くらいなのである。

 集合時間の40~50分前に先方のお宅に押しかけるのだ。

 理由は毒親曰く「遅刻したら大変だから」だそうだ。

 私はこの毒親の時間のルーズさが昔から嫌いである。

 非常識だからだ。

 子どもの頃から毒親のこの異常な感覚につきあわされる度に罪悪感に苛まれるのだ。

 だって先方に迷惑をかけているのがわかるから。

 法事で予定集合時刻よりも40分、50分と早く押しかけた時、まだ他に誰も来ていない中、先方はまだ礼服にも着替えておらず、驚いた様子で慌てている姿を見れば一目瞭然だった。

 当然である。事例の予定をみてもらえば分かる通り、そもそも集合時間自体が多少遅刻しても構わないように余裕を持って設定されている(実際に法事が始まるのは10時からなので30分余裕を持たせている)のだ。そんな予め早めに設定された時間よりも更に40~50分も早いのだから。

 そして、先方に迷惑をかけている人間の1人に自分が含まれていると思うと、申し訳無さで胸が押しつぶされそうになるのだ。

 私は何度か毒親に注意を促した事がある。

「こんなに早く行ったら迷惑だよ」と。

 だが毒親は決まって「そんな事はない」の一点張り。「迷惑だったらそう言ってくるはず」という謎理論で却下された。

 そればかりか、毒親は誰よりも早く一番乗りで先方宅に辿り着けた事を誇らしげにしているくらいであり、(毒親の毒行為として毎度のことながら)それに苦言を呈する私の方がおかしいのだと貶してくるほどだった。

 子どもの言葉は毒親には届かないし、毒親に逆らうと傷つけられる(それが精神的になのか、肉体的になのかは毒親の性質次第)ので、私にはどうしようもなかったのかもしれないが、それでも問題であることが解っているのにそれを改善できず、そればかりか(不可抗力とは言え結果的に)毒親と同様に迷惑を掛ける側になってしまっていることにずっと罪悪感を懐かずにはいられなかったというわけだ。

 そんな時間にルーズな毒親だが、逆に自分たちが似たような事をされると頗る嫌がるのだ。

 と言っても、それをした本人に直接文句を言うわけではなく、家族にねちっこく文句を垂れるのだ。「あの人ったら、あんな早く来られたら本当迷惑だよね」と。(「そんな事はない」「迷惑だったらそう言ってくるはず」じゃなかったのかよ)

 そして、毒親のそれがまた私は嫌いである。

 やっている事と言っている事が違うのもそうだし、私が指摘した事はそもそも普段毒親が愚痴っている事なのに私の方が非常識な変人扱いされるのも納得がいかない。

 それに毒親自身が嫌がっている姿を見ているので、先方が嫌がっているであろう事にはより確信を持ってしまい、余計に罪悪感が増すのである。

 そうした事もあり、私は冠婚葬祭などで親戚の家に毒親に連れられて行くのが昔から嫌いであった。

 そうして大人になった私。

 大人になり、社会をそれなりに知り、そして自分の親が毒親であると気づいて……、より一層毒親と同列に見られたくない(見られてはいけない)という思いが強くなった私は、ついに我慢の限界に達して行動を起こす。

 それまで私は自分の親を毒親であると認識できていなかった事もあり、どんなに嫌な思いを抱えていようとも、親(毒親)をたてるために自制してきた事があるのだが、それを行うことにしたのだ。

 私は毒親の目の前で先方に訊ねた。

「こんな早く来られても迷惑ですよね?」と。

 すると毒親は慌てた様子で「そんな事はない! そんな事ないよね? ね?」と必死で先方に言い繕い始めた。

 更に言うと、その後暫くの間、毒親は集合時間にそれまでよりも気を使うようになった。(と言っても、一時的なものであるが)

 私がただ苦言を呈した時は一向に聞き入れようとしなかったのに、世間体を気にして自らが後ろ指をさされそうになるとあっさり改善しようとする毒親。

 そんな毒親を見た私は、毒親の事がまた嫌いになった。

 慌てたり、改善しようとしたという事は毒親は自分たちのしていることが拙い事であるとの認識があるという事、少なくとも拙い事になりえる事は知っていたということだからだ。

 それはつまり、嘗て私が指摘した事は正しかったのに、その事を知りつつ毒親はそれを否定して、尚且私を貶していたということだからだ。

 毒親は自分の間違いを知りながらも確信的に私を侮辱していたという証だからだ。

 これだから私は毒親が嫌いなのだ。


 ※因みに、私の問いかけに対して先方は苦笑とも取れそうな微妙な笑顔で「いや、大丈夫、大丈夫だよ」と言ってくれました。


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毒親の論理的ではない教育。

2020.03.14 (Sat)


 毒親の教育は論理的ではない。

 綺麗事ばかりで筋が通っていない。

 表層ばかり着飾って、中身がない。

 それを押し付けられる子どもは混乱し困惑し悩み苦しむ。

 それでも表層だけは綺麗だから、周囲の人間はその醜悪さには気づかない。

 例えばである。

 親が子どもに「ゴミはゴミ箱に捨てなさい」と教えている情景を思い浮かべてみて欲しい。

 それを情景を想像して貴方はどう思うだろうか?

 普通はしっかりとした親御さんだな、と思うのではないだろうか。

 私もそう思うし、多分それは正しい感じ方なのだと思う。

 ただし、それはその親が真っ当な親だった場合である。

 それが毒親であるならば、話は全く異なってくる。

 なぜなら先程述べた通り、毒親の教育は見た目だけの非論理的なものだからだ。

 どういう事かと言うと、

 毒親というのは『ゴミ箱のないところ』で「ゴミはゴミ箱に捨てなさい」と説教を垂れるからである。

 毒親は『ゴミ箱のないところ』で「ゴミはゴミ箱に捨てなさい」と言い、『ゴミ箱のないところ』で「なぜゴミをゴミ箱に捨てないんだ」と怒り、最終的には「なぜゴミ箱を用意していないんだ」と子どもを叱責するのである。

 これが毒親なのだ。

 本来は『親がゴミ箱を用意』して「ゴミはここ(ゴミ箱)に捨てなさい」というものではないだろうか?

 だが、毒親はそうした事前準備には全く労力を使わずに、ただ「ゴミはゴミ箱に捨てなさい」と親っぽい姿を見せる(表層を着飾る)部分ばかりに精を出しているだけなのである。

 だから子どもは毒親のその準備不足(不手際)のせいで苦しめられるのだ。

 端から用意もされていない手際に翻弄され、その不手際の責任を負わされるから。

 そして、それでも周囲は毒親の醜悪さに気づかない。

『ゴミ箱が用意されていない』事など周囲の人間からは見えないから。

 普通は『ゴミ箱が用意されていない』のに「ゴミ箱に捨てなさい」と言うなんて思いもよらない事だから。

 毒親の論理的ではない教育は人知れず子どもの心を壊していくのである。


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毒親育ちはサンドバッグである。

2020.03.11 (Wed)


 毒親にとって子どもはストレス発散のためのサンドバッグである。

 時折優しさや気遣いのようなものを見せるが、それは殴って破いてしまった箇所を縫い合わせているだけ。破れたままじゃサンドバッグとして使えないから。

 でもね、幾ら縫い合わせても破れた箇所が元通りに直ったわけじゃないんだよ。

 だからサンドバッグとして使えば使うほど損傷箇所は増えていく。

 そうして最後は縫い合わせる事が出来ないくらいに継ぎ接ぎだらけのボロボロになる。

 そんなサンドバッグが毒親育ちである。


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一度物を貸すと奪われる。

2020.03.09 (Mon)


 毒親に何か物を貸すと奪われてしまう。

 といっても、その場で奪われるわけではない。

 ではどういうことか。

 私の毒親は一度目は「貸してくれ」といって私の物を借りていき、用が済むと一応「ありがとう」と言ってそれを返して来るのだが、二度目以降それを使いたくなった時は私の許可を得ずに勝手に使い始めるのだ。

 何を言っているのかわからないかもしれないし、実際私も意味がわからないのだが、とにかく毒親は二度目以降私の物を、毒親の私物のように勝手に使い始める。

 どうやら毒親の中では、『私から一度使用許可がおりた物は、その後永続的に使用許可がおりている』という事になっているようだ。

 意味がわからないが、そう考えないと辻褄があわないのだ。

 そうして二度目以降、私に無断で勝手に使い始めたものは、いつの間にか置き場も毒親の都合のいい場所に移され、私の物なのにあたかも「毒親の物」のように扱われ始める。

 何度か文句を言ったことはあるが、決まって「別にいいだろ」「使っていないならいいだろ」「ケチな事言うな」だの、なぜかこちらが悪いかのように文句を言われる。

 しかも文句を言って一時的に使うのをやめたとしても、毒親は暫くするとまた「貸してくれ」と言ってきて、確認をとってくれたからいいやと思いそれを貸すと、またその次からは勝手に使い出す。

 どうやら毒親の中では、『一度使用許可をとった私の物を借りる場合、私が毒親に「物を借りる時には私に確認をとってくれ」と主張しない限りは勝手に使ってもよい』という事になっているらしい。

 意味がわからないが、そう考えないと辻褄があわない。

 借りるのは毒親の方なのに、なぜか貸す側の私が毎度確認を入れなければならない(しかもその都度文句を言われる)、という理不尽な面倒臭さ。

 そして、その面倒くさい事を怠ると毒親に私の物を勝手に使われるという、輪をかけた理不尽。

 こうして理不尽に労力を強いられた結果、疲れた私はいちいち毒親(が勝手に私の物を拝借していく事)に反応しなく(出来なく)なり、最終的に私の物は実質『毒親の物』となっていくのだ。

 毒親に一度物を貸すと奪われる。

 本当やめて欲しい。


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note:毒親育ちが考える『虐待されている子どもが助けを求められない4つの理由』

2020.03.06 (Fri)
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noteで 毒親育ちが考える『虐待されている子どもが助けを求められない4つの理由』 という記事を書きました。

よろしければ、こちらも読んでみてください。


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違和感の正体。

2020.03.04 (Wed)


 子どもの頃、よく「親にそんな口の利き方をするな」と言われて納得がいかなかった。

 とりわけ父親に対しての「お父さんにそんな口の利き方をするな」というのが納得いかなかった。

 それでも、それが駄目である事を知識としては得ていたし、それ以上に言うことを聞かないと母親はヒステリックに怒鳴り散らすし、そんな母親は何を仕出かすかわからない危うさがあったので、恐怖から必死に『そう思う(納得がいかない)自分が悪い(おかしい)のだ』と自分を責めて無理やり納得するようにしていた。

 今になって漸く私は当時の自分がなぜ納得がいかなかったのかを理解する。

 あの時既に、私にとって彼と彼女は親ではなかったのだと。

 二人は『毒親』という親ならざる存在であったのだと。

 私は「親にそんな口の利き方をするな」「お父さんにそんな口の利き方をするな」という台詞の『親』や『お父さん』という言葉に納得がいかなかったのだ。

『毒親』という全く別の生き物が『親』を名乗っている事に違和感を感じていたのだ。

 当時の私は『毒親』という言葉を知らなかったから、その違和感を言い表せずに苦しんでいたのだ。

 私はそれを今更ながらに理解した。

 本当……今更ながら……。


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毒母といると気が滅入る。

2020.03.03 (Tue)


 毒母といると気が滅入る。

 毒母は常に他者を批判し、蔑み、こき下ろしているからだ。

 誰かの悪口を延々と聞かされて、何が楽しいというのか。

 本当にやめて欲しい。

 聞かされる身にもなって欲しい。

 だったら、当人(毒母)にそう言えば良いじゃないか、と思われるかもしれないが、そうもいかない。

 そんな事を言えば、批判の矛先が私に向けられて、余計に気分が悪くなるだけだ。

 なら、うまく話題をそらして楽しい事に話を持っていけばいい、と思われるかもしれないが、そうもいかない。

 別の話題に誘導したところで、今度はその話題に関連した批判、蔑み、こき下ろしを始めるからだ。

 そればかりか、そらした先の話題に興味がなかった場合、毒母は話の流れなんかガン無視で再び話題をもとに戻して批判、蔑み、こき下ろしを続けるだけだ。

 どう足掻いても批判、蔑み、こき下ろしを聞かされるという結果は変わらない。

 許されるのは、毒母に同調するか、聞き流すか、だけ。

 悪口に同調するのは気が引けるので、私は専ら聞き流すわけだが、それでも話の内容は頭の中に流れて来るので、どのみち気が滅入る事には変わりがない。

 もはや私に出来るのは、一刻も早くその場から離れることだけ。

 結果、私が毒母と顔を合わせる時間は少なくなった。


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不意に感じる恐怖

2020.03.01 (Sun)


 衝撃映像なんちゃらという番組をテレビでやっていた。

 毒母が人が死にかけているような事故映像を観て

「はははっwww、これは助からないわwww」と楽しそうに笑っていた。

 映像の最後に「幸いこの人物は軽症で事なきをえたそうだ」なるナレーションが流れた時、

 毒母はつまらなそうに「へぇーそうなんだ。助かって良かったわね」と漏らしていた。

 文字で台詞だけ見ると真っ当に見えるかもしれないけど、その時の毒母は本当に落胆したような表情を浮かべていたのだ。

 自分の親が毒親であると認識して彼らを観察していると、日常の会話や行動の端々に『恐怖』を感じることがある。

 これはその一例だ。

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