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- 2019/02/16 : 虐待されている子どもは自分がされている事を虐待だと認識できなかったりする。 (未分類)
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2019.02.16 (Sat)
幼少期、物心ついて間もない頃。
庭の古びた物置小屋に夜ぶち込まれた事がある。
石造りでホコリまみれの真っ暗な地下室にぶち込まれた事がある。
食事を与えられず、赦してもらいたければ反省文を書いて謝罪しろと迫られた事がある。
恐怖に震える私。
泣き叫ぶ私。
屈辱で唇を噛む私。
それらの記憶の最後には、いつもニヤニヤと楽しそうに笑う母親の顔があった。
今思えば、あれは虐待と呼べるものだったのだろう。
だが当時の私はそれが世間的に異常な事だとは思っておらず、どこのウチでも似たようなことがされていて、それが当たり前のことだと思っていた。
だって、そういう環境の中でそういう教育を親から受けていたから。
だからひたすら耐えながら、自分のせいだと自分に言い聞かせていた。
それが常識ではなく非常識であると知ったのは随分後になってからだった。
あの母のニヤついた笑顔が悍ましいものであると知ったのは大人になってからだった。
そして、母の笑顔以上に悍ましかったのが、そんな母を諌める者が家には誰もいなかった事であると知ったのもその時だった。
祖父は物心つく前に他界していて殆ど記憶にない。
祖母も父も他人事のように無関心だった。
姉は遠くから見ているだけだった。
とにかく誰も止めようとすらしなかったのだ。
「止められなかった」ではなく「止めようとしなかった」のだ。
それを知った時、私は既に子どもではなく、
それを理解した時、私の心は既に壊されていた。
あの時どうしていれば私は救われたのだろうか?
自分が虐待されていると認識できない子どもが、どうすれば誰かに助けを求められるようになるのだろうか?
世間では「困ったら気軽に児相に相談しよう」みたいなのを聞くが、自分が困っていると認識できない環境で、認識させないように育てられている子どもにそれは不可能である。
この難問の答えを私は未だ見出だせないが、
せめて世の中の人間にこの認識が少しでも広まってほしいと願う。
そうすれば少なくとも、見当違いの事を口にして守っている気になっているだけの大人は多少なりと減ると思うから。
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