2017年02月 | 毒親を持った子供の愚痴
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毒親を持った子供の愚痴

今更ながら自分の親が毒親だった事に勘付き始めてしまった。 一度気付いてしまうと日々ストレスが溜まる一方なので ガス抜きにブログでちびちび愚痴ろうと思いブログ始めました。 子供を育てている方は反面教師になるかもです。(※アフィリエイト広告を利用しています)

指定期間 の記事一覧

親子の間にも礼儀有り

2017.02.28 (Tue)


思春期を迎えた頃、

私は自分の部屋のドアに鍵をつけて欲しいと親に頼んだ事があった。

その時、親から返って来た答えは「NO」だった。

理由は母親曰く「(鍵の掛かった部屋の)中で良からぬ事をするかもしれないから」的なものだった。

早い話が「お前は信用出来ないし、私(母親)が監視できないから」という事だ。

正直、私は不満だった。

信用されてない云々は別にいい。(いや、厳密には良くないが……)

不満なのはそんな母親がまともなノックも出来ない事だった。

母親のノックはこうだ。

一度ドア叩いて私の返事などお構いなしにすぐ開ける(酷い時には叩きながらドアを開けていた)というもの。

幾ら私が「ちゃんとノックしてくれ」と頼んでも改善しようとしてくれなかった。

そればかりか「ちゃんとしたじゃない」と開き直る程だった。

ようするにだ、

母よ、あんたがそんなんでひとのプライベートを平気で侵害するから私はドアに鍵をつけたかったんだよ!!

ってことである。

そして母親は今も相変わらずちゃんとノックをしてくれない。


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母親との会話。

2017.02.27 (Mon)
私は大人になってから母親との会話がめっきり減った。

母親がいつも自分の意見を押し付けるか、適当に受け流すかしかしていない事に気付いてしまったからだ。

私の話をまともに聞いてくれないのだ。

私とちゃんと向き合ってくれないのだ。

だから私は母との会話に意味を見いだせなくなった。

言いなりになるか、無視(スルー)されるかしかない会話は私にとって辛いだけで不毛なのだ。


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父親との会話。

2017.02.26 (Sun)
私は大人になってから父親と会話をしたことが殆ど無い。

何故か?

答えは簡単である。

子供の頃からそもそも会話が少なかったからだ。

私は父親と言葉を交わすのが苦手だ。

何故か?

答えは簡単である。

子供の頃、父親と言葉を交わした経験が少ないからだ。

子供の頃の習慣は大人になってもそのままだ。

そんな私は会話そのものが苦手である。




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親のちょっとした出来心が子供の心を傷つける事がある。

2017.02.26 (Sun)
幼いころの話。

子供は何処からくるの?

子供時代、一度はそのような事を親に訊いたりするだろう。

その時のわたしの母親の答えはこうだった。

「お前は橋の下に捨てられていた子だよ」

ショックを受ける私の姿をみて、母親は嬉しそうに高笑いしていた。

その光景は今も脳裏に焼き付いている。



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理由を述べよ。

2017.02.24 (Fri)
子供は親に無条件で従うもの。

そう育てられた。

そこには理由も理屈もなく、

正も誤もなかった。

親が正と思えば正で、誤と思えば誤だった。

そして、親は一度こうしようと思ったら梃子でも動かない。

そして、そこには理由も理屈もないから説明がない。

唯、ダメか、やれ、の一点張りであった。

そうして育った私は今、親に口出しされるのが頗る嫌いな事になった。



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子供騙しとは。

2017.02.23 (Thu)
子供騙しは子供にしか通じない。

故に子供騙しである。

そして子供というのはいずれ大人になる。

大人になった子供は当然ながら子供騙しに気付くようになる。

親が子供に子供騙しをする時は気をつけた方が良い。

いつか子供にバレるものだから。

将来的に子供にバレて困る事には子供騙しは使うべきじゃない。

いつか子供にはバレてしまうから。

短絡的に子供騙しを使うのはやめた方が良いだろう。

いつか子供に幻滅されてしまうから。

子供騙しの乱発はやめた方が良い。

将来的に親の威厳を失ってしまうから。



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行動原理によって言葉の意味は変わる。

2017.02.22 (Wed)
むかし上京して一人暮らしをしていた(し始めた)時の話。

夏休みだったと思う。

実家に帰郷していた私が再び東京に戻る為、実家をあとにする時の事だ。

母親「心配だから、向こう(東京の家)に着いたら連絡しなさいよ」

私「わかった」

その時、交通手段として使ったのは高速バス。東京には午後9時くらいに着く予定のものだった。

だがその日は運悪くバスが渋滞にはまってしまい、結局 家に着いたのは午後11時過ぎだった。

親が心配していると思った私はすぐに実家に電話した。(この頃、親は携帯もパソコンも持っておらずメールが使えないので連絡手段は電話しかなかった)

コール音が二、三度あった後、母が出る。

そして言われたのが、

母親「今、何時だと思っているのよ! 時間考えなさいよ!!」

こちらは言われた通りにしたのに、もの凄い剣幕で怒られ、一方的に電話を切られたのだった。

電話越しで聞く限り、母親は寝起きらしかった。

だとすれば、心配と言っておきながら早々に就寝していたという事になる。

そこで私は悟った。

親の心配が口先だけで、いつもの如く子供を管理したいだけだったという事を。

心配しているのではなく、管理できているという安堵感を得たいだけなのだと。

動機が安心したいという自己の欲求を満たしたいだから、生き物の習性であるより大きな欲求である睡眠に容易に取って代わられるのだろうと。

これ以来、私が親に連絡を入れるのが極端に減ったのは言うまでもなかった。


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身勝手

2017.02.21 (Tue)
家庭内に於いて。

私の親は身勝手である。

そして、探究心の乏しいつまらない人間だ。

そんな親は子供に対して、自身が不要と判断した物事には何かと理由をつけて拒絶する。

子供の誕生日→「もう大人なんだから我慢しろ(小学生に対し)」

クリスマス→「もう大人だから今年からサンタさんは来ないよ(小4に対し)」

夏休みの旅行 →「お金がない、忙しい、疲れるだけ」etc.

子供の頃の楽しい思い出が全然浮かばない。


一方、親は自分用にある日突然、無駄に高価なカメラを買ったり、中途半端に値が張る掛け軸を買ったりする。

カメラなんか、殆ど使わないのに。(そもそも家族旅行を拒否るくらいである。殆ど外出しないので使う機会がなく、実際使ってる所を見るのなんて年に1回有るか無いかだ。)

掛け軸だって買った瞬間から価格が暴落するのであろう、中途半端なものである。

いや、別に、趣味に金を費やすなとは思わない。

ただ、子供への投資を極限まで抑えてまでやることじゃないだろ、って事だ。

そのカメラも掛け軸もランクを1つ下げるだけで、小学生の誕生日プレゼント程度なら1つや2つ余裕で買えるだろ。
何処か、外食に行けるだろ。
子供との思い出が作れるだろ、と。

子供に我慢を強いるなら、親もそれに見合う妥協をするべきなんじゃないのかね。

ホント、私の親は身勝手である。




本来、気持ちのいいものの筈なのに。

2017.02.20 (Mon)
私は風呂があまり好きではない。

幼い頃に、身体によくないからという謎の理由で石鹸を使わせてもらえず(使おうとしたら怒られる)、代わり難く絞った手ぬぐいで肌が真っ赤になるまでゴシゴシと擦られていたのと、風呂は熱い方が良いという根拠のない理由(あとになってわかったのだが、実際には単に父親が熱い風呂が好きだっただけ)で45度くらいの湯に無理やり浸からされていた(尚、勝手に水で薄めたら怒られる)のが原因だ。

私の中で風呂とは熱くて痛い苦行でしかなかった訳である。


親の愛情の後回しは子供を不幸にする。

2017.02.19 (Sun)
私には姉がいるのだが、

母親は昔からよく「〇〇(姉)はいずれ嫁いでいなくなるので今(子供)のうちに可愛がっておかなきゃ」なることを言っていた。(実際にそうであった。)

対して私には「いずれ家を継ぐ(家に残る)のでいつでも可愛がれる」と言って後回し感丸出しであった。

現在、姉は結婚して家を出たのだが、母が今でも可愛がっているのは姉の方である。

結局、親というのは幼い頃に可愛がった子供の方を大人になっても可愛がるものなのだ。

そして子供は子供で可愛がられたからこそ、いつまでも親を慕い頼るのである。

では、後回しにされた方は………

いつまで経っても損な役回りしかまわってこないのである。






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