2024年11月12日-Cobweb of にーしか

Cobweb of にーしか

モデリング、海外ドラマ感想、洋ゲーRPG
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Mech Warrior 5: Clans 物語への理解

ストーリーはやや凡庸ながらも、熱血漢や“己が信念”がテーマと言える。ファーストガンダムで喩えるなら、ジオン・ダイクンの思想に感化された若者たちが、ギレン・ザビ総帥の下でコロニー落としを強制させられた、といった状況がクライマックスに当たる。ガンダム THE ORIGINの若きランバ・ラルみたいな立場だ。

青春ドラマとして若者5人が配役されており、遺伝子兄弟である彼らの繋がりや反発が描かれている。彼らトゥルーボーンは、映画「ガタカ」でのジュード・ロウのように、本来ならエリートであるはずだが、弱肉強食の世界においては底辺からの奮起をかけてメック小隊(スター)の功績を上げなくてはならない。第二次世界大戦の爆撃機に乗り合わせた飛行少年たちのように結束することになる。嗚呼、なんというアメリカン・グラフィティ!(開発元はカナダ国籍だが) 

発破をかけるための鬼教官らしい台詞には、彼らが落ちこぼれだとでてくる(何か理由があるのだろうか?)。5人のうち何人かはすぐにもメンツが替わり、DEIの背景を語るに都合のいい有色人種も絡んでくる――ここが現代的だ。

主人公の所属するジャグア・クランだが、バトルテック世界のメタ視点では(地球連邦に対するジオン公国のように)悪者とみなされているようだ。勇猛果敢な戦士としての名誉と死生観を持つ彼らには、いくつもの決闘神判(トライアル)の慣習があって、ケルト文化のバイキング(*)か、さもなければ、中世ヨーロッパの一騎打ち(騎士道精神)を彷彿とさせる。その一方で、ゲーム内の中心領域で覇権を誇るクリタ一族にはサムライの掟(騎士道に対する武士道)があると台詞に出てくる。
 *ヴァイキングは本来ゲルマン系でノルマン人。ケルト神話はアーサー王などの元ネタ。

近代的な合理主義と科学の申し子であるはずの遺伝子兄弟が、古風な戦闘種族の掟に従いながらも、戦功を立て成り上がるというサクセスストーリーが縦糸だ。そこにはアーミッシュのような、時代錯誤的で不思議な共同体か、あるいは、科学技術のなれの果てのマッドマックスを感じさせる。横糸には、粗暴で人種差別主義の上司が立ちはだかる事件を用意して、抗いようのない若い彼らの取るべき手段に、社会組織に対する個々人の有り様を考えさせる。

主人公には古巣からの脱退を選べる分岐が用意され、袂を分かった旧友との対決が大団円となる。シノプシスはよくできている物語の類型なのである。ここもドラマとしては見所で、己が信念は友情やしきたりに勝る様とそれゆえの悲哀が描かれる。

また、この遺伝子兄弟(シブキン)を、同じ境遇にある者の小単位と捉えるとなかなか奥深い現代劇になる。例えば、LGBTQであれば5人のトランスジェンダーであるとか、そういう寓意だ。彼らは自らの人権を勝ち取ろうと努力する。

さらにまた、劇中にはボンドというしきたりが紹介され、決闘の敗者には命を奪われなかった恩義として忠誠を返す義務が生じる――その先例としてユウイチロウという捕虜の描写も入ってくる。

バトルテックとは未来的なSFではなく、古典的な暗黒時代の通過儀礼や冒険譚に根ざした作劇なのだった。鎧と馬がロボットになっただけとも言える、ファンタジーワールドのSF色の作品なんである。これが砂の惑星デューンほどであれば、エポックだったろうが、現代もしくは初出当時では、すでにネタ切れで打ち止めであった。富野作品で喩えるなら、ガンダムではなく、重戦機エルガイムのような世界観でしかない。それは今日のスターウォーズのように、そんなに珍しいものではなくなった。

だからこそ、大虐殺やDEIの要素を入れ込む(原典のソースから行間を読み取る)ことで、かろうじて現代的であろうとする苦労が感じられもする。

ストーリー分岐では、主人公たちの離脱を許容している。ジャグアは祖先ケレンスキーを信奉する民族主義者なのだが、敵陣営にはそれを受け入れる懐の広い組織がある。この作りは面白く、冷戦時代の東側諸国からの亡命か、はたまたキリスト教の赦しをも連想させる。台詞ではクリタ一門でもとりわけ一目置かれている人物が傭兵擁護の黒幕であると言及されている。しかし、今作の物語はそこまでで、それ以上の発展がないままキャンペーンクリアを迎えてしまうのが残念で仕方ない。ミッションの数はそこそこながら、彼らが特徴的なバックグラウンドを獲得し、さぁ本筋はここからだぞ!といわんばかりで終わる。

ジャグアの思想では、中心領域の圧制者からの解放が正義となっている。聖地奪還に重ねてクルセイド(クルセイダー)と称するセンスで、これら一連の原作者が指向する文化的元ネタの限界が想像もできよう。

ジャグアやノバキャットの氏族が侵攻を途中で止めてしまうのは、“伝承”にある通りの正史であるとされ、このゲームでもそれを変えることは敢えてしなかったのだろう。バトルテックのユニバースは既に派生の小説などで完成してしまっていて、根強いファンも多く、改変にも五月蠅いからだ。

今回の物語に難を言うなら、いささか青臭い表現であるため、熱くたぎる青春をとうに過ぎてしまった筆者のような輩には、古臭い趣向にも思えたことだ。はっきり言えば映像作品として物足りない。プレイヤーには主役のジェイデンがアバターとして与えられ、これを変更したり、カスタマイズしたりはできず、変わることのない宿命をひたすら醒めた目で見てしまうのである。そして、物語は第1章だけのように中途半端だ。ドラマとしての見せ場や情動の表現、役者それぞれの演技などはバンド・オブ・ブラザースでも見てた方がいい。

steamのレビューを読むと、ストーリーは概ね好評のようだ。中心領域への侵攻の内幕が描かれた点が評価されている。力の入った、90分にも及ぶシネマティックが高評価というのはなかなか珍しいかもしれない。とはいえ、やはりゲーム性はMercenariesに軍配を上げる人が多かった。
[ 2024/11/12 11:35 ] 考察 | TB(-) | CM(0)
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